68 広沃野
レグルスが消滅してから一カ月が経った。
エパットは神でありながら死亡した。
しかし、彼の力は完全に消えることもなく、人獣たちはまだ生きのびている。
実際、翔一自身が存在に何の変化もないのだ。
まるで、義務であるかのように、翔一はエラリアの怪物退治を行う。
四姉妹に依頼して『隼の目』で警戒精霊を放ち、完膚なきまでにこの地の人獣を見つけ出し駆逐する。
翔一の人獣狩りは徹底的であり、機械のように冷徹に行われた
命乞いをするような人獣もいたが、やはり、人肉を喰らう前科があり、翔一は無言で始末し続ける。
一カ月も続けると、人獣はエラリアとゲール地方全体から消えた様だ。
人獣だけではない、その他、非常に強力な魔物たちもこの地から綺麗に抹殺されている。『ジルバール』に抗し得る存在はいない。
もちろん、貧弱で頭数の多い魔物はまだ存在したが、それは騎兵隊で簡単に倒せる存在だった。それの討伐は彼らに任せると、翔一は急速に暇になった。
人間の兵たちは『熊神』に勇敢さを見せようと奮戦している。
やることがなくなった翔一は、エラリア宮殿の一番高いバルコニーに上り、レグルスの方をぼんやり眺めつづけることが多くなった。
遠くを見つめていると、翔一の耳に人々の声が聞こえてくる。
聞きたくなくても彼の耳は拾ってしまうのだ。
「コンラッド王! レイド王国はガルディア黒騎士連合軍に降伏しました。もう、南からの圧迫はなくなったのです」
「そうか、でも、これからが大変だぞ。戦争が終わっても、人口は少なく大地も荒廃している」
コンラッドは朗報に少しも喜んでもいない。
気持ちはわかる気がした。
翔一の目には黒く荒廃している大地が見えている。
広大な大地なのに緑が極端に少ない。
「人獣や魔物は全て偉大な熊神様に退治をして頂きました。これからは恐怖なく開拓に集中できるのです。王よ、我々は勝ちました」
「熊神様はアンナ姫も救出されました。何をご覧になったのか、あれからかなり無口な少女になったと聞きますが……アルノエ公爵は大変お喜びになり、大英雄にお会いになりたいと……」
「その大英雄だが……」
コンラッドの声が沈む。
翔一はあれからほとんどしゃべらない。
戦いがあれば無言で行き、無言で倒して帰ってくる。
コンラッドは痛いほど感じていた。
翔一の背中の寂しさを。
狼たちは翔一を守るようにいつも後ろで控えているが、彼の心を晴らすことはできなかった。
「何か手立てはないものか……見ていられん」
コンラッドのつぶやき。
翔一はその日も無言でベットに入ろうとした。
ポロローン
なぜか電子音がする。
机の下に押し込んだフロールのパックパックからだ。
意外と耳障りな電子音である。
このままでは寝られない。
翔一はため息をついて、鹿皮のバックパックを引っ張り出し、革紐をほどき中を見る。
煤は既に払ってあるが、隙間には少し入っているようだ。
息を吹きかけて机の上に中身を出す。
小さな革の包みがいくつもある。
何かが光り輝いて、転がる。
「宝石の袋だ。フロールさんらしい」
思わず苦笑する翔一。
他にもいろいろあった。雑多な小物。電子装置。翔一は電子装置関連は疎いので、それが何かわからない。
機器には文字が記入されていた。
(アルファベットでRとF……)
タッチモニターが最後に出てくる。
あの戦いの前に、フロールから手渡されたものだ。
すべてが終わった後、中に放り込み、全く見ることもなく放置している。
目にするのが苦痛だったのだ。
(音がしていたのはこれだ)
何かの表示がモニターに浮かんでいるのでそっと触る。
音声録音の再生コマンドだった。
「えーっと、翔一、俺はどうもこれ以上体がもたないような気がするから、ここにメッセージを残しておく。俺が機能停止したら一カ月後に再生するように設定した」
「フロールさんの遺言!?」
思わず姿勢を正す。
「俺は、まあ、わかっていると思うけど、ロボットだ。最初はサイボーグだと思っていたんだがな。脳味噌とか有機パーツがあるとしたら飯を食わないと持たない。しかし、俺はこの世界に来てから一度も飯を食ったことがない。ありえねーだろ。オカルトじゃあるまいし。電力だけで人間は生きられない。だから俺は、誰か酔狂な奴が作ったロボット。俺の死を悲しむことはないぞ。俺は作られただけの奴だ」
「そんなことないよ、僕にとって、フロールさんは人間で友達だよ」
翔一は相手もいないのに反論する。
「でも、涼子は……やめよう、湿っぽくなるからな。俺が悪かったそれだけだ」
「……」
「そうだ、俺はロボットだ。だから家族はいない。でも、翔一お前にはどこか、ここではないどこかにお前の家族がいる。父ちゃん母ちゃんが心配しているぞ。俺にはいない。うらやましい限りだ。だから、なんとしてでも、家族に会いに行け。熊になったとかつまらんことだ。お前は最高にいい奴で、俺の友達だ。そして、俺の自慢だ」
「何をいってるんだよ、フロールさん……」
ぽとっ、涙が落ちる。
「俺たちはオカルトの力で異世界から呼ばれたんだ。オカルトの力で故郷に帰れ。ゴル・サナスの婆さんでもいいし、ダナ王妃、ガラエル、あいつらに頼んで帰してもらえ。おまえはいい奴だからこの世界の惨状に踏ん切りがつかんのだろう? でもいいんだ。ここのことはこの世界の奴らに任せたら。俺の世界もお前の世界の奴らも聞いてみたらいい、『異世界の人に社会問題解決してもらいたいですか』ってね。普通は『いいえ、結構です、自分たちのことは自分たちで何とかします』そう答えるに決まってる。だからお前は故郷に帰れ。ダナも帰った。お前も帰るんだ」
「……」
「最後に、俺のものは全部お前にやる。入ってる部品類にR印が入っているのは涼子の人工知能のコピーだ。大事にしてくれ。F印は俺の人格コピーとここまでの数年の録画記録のコピーだ。俺の方はオマケだがな。……いつか、お前の世界で涼子を復活できるなら、してくれないか。すまない、勝手なお願いなのはわかっている。……俺は……あの子を愛していた。死んでから気が付いたよ。……本当にバカだな俺。本当にバカだ」
そこで録音は切れた。
「本当にバカだよ、フロールさん。……うう、う」
翔一は我慢できず号泣した。
それからしばらくして、翔一は何かに没頭し始めた。
精霊界を行き、情報を集め、精霊を収集する。
「熊神様、何やっておられるんだ」
「邪魔するなよ、どうやら、オークのゴル・サナスとダナ王妃に連絡とってくれって王に頼んだらしい」
「さすが、熊神様のお知り合いだけのことはあるな、超大物じゃないか」
翔一の信奉者『聖熊四姉妹』がひそひそ喋っている。
彼女達はユニコーンの杖や監視精霊の柱『隼の目』を使うので、今は非常に敬意を受けている。
翔一が友人たちを次々と失ってから、彼の悲しみに心を痛めていた。
ひそひそ噂話をしていると、
「四姉妹さんたち、ちょっと見てほしいクマ」
翔一がやってきて、呪術の概略を書いたメモを見せる。
いつもは騒がしい彼女たちも、無言になって必死に目を通した。
「これは……」
アガタが目を細める。
「すごい、これが上手くいけば、この世界は大いに助かります」
モリーが目を輝かせた。
「熊神様。ありがたや」
ゼルマとマルギットが翔一に土下座する。
「でも、僕一人ではだめ。オークのお婆さんとダナさんが力を貸してくれないと」
「ええ、わかります。あまりに必要な力が強すぎて」
アガタが目をこする。
「四姉妹さんも忙しいと思うけど、この術式のために準備してほしいクマ」
「もちろん、ご主人様がいいつけであれば我らは奔走いたしますぞ」
アガタが頭を下げる。
「ありがとう、じゃあ、まずは場所確保をお願いしますクマ」
四姉妹は翔一の指示で動くことになる。
王と折衝し、場所を確保し、呪術に必要な触媒や人材を集める。
コンラッドは術の概要を聞いて、驚愕してから全力で手を貸すと確約してくれた。
そして、翔一は三人の人物を待つことになる。
ある雨の日。
荒野の儀式場に三人の女がやってきた。
一人は、オークの女大祈祷師ゴル・サナス。
一人は、ダナ王妃。
そして、最後に、ダナの下僕ガラエル。
「クマちゃん、今日はいい天気ね」
ダナは雨が降っているのに全く濡れていない。
「儀式の場はしっかり整備され、聖別されておる。腕を上げたな翔一殿」
ゴル・サナスは皺だらけの顔を笑顔にする。
「ありがとうクマ、お婆さん」
「翔一さま、これが成功したら、私の罪も少しは晴れますわ、ありがとうございます」
ガラエルが膝をつく。
「すごい儀式を行うと邪魔が来るクマ。どうしたらいいでしょうか」
「心配いらないわ。もう倒してきたから」
ダナがにこっと微笑む。
「もう、お主の邪魔をする力を持つものはいないぞ。心配するな。ワシもダナ様をお手伝いしたのだ」
ゴル・サナスが太い腕を見せる。
「ありがとう、じゃあ始めようか。『ジルバール』!」
翔一は剣を中空に浮かせると、あの巨岩に剣を突立てた。『ジルバール』はずぶずぶと岩に突き刺さり、半分以上突き刺さってしまう。
エパットの宿精の面を被り、獣の皮を纏う。
そして、魔聖剣から無限の力を大展開する。
魔女三人は剣を取り囲んで無限の力をそれぞれの力で活用した。
ゴル・サナスは大地の女神に祈願し、魔力を送って豊穣の神力を降ろしてもらう。
ダナは魔聖剣の混沌魔力を中和し、皆に純粋な魔力を送る。
ガラエルは死神に祈願し、大地を汚染した死の力を冥府に返す。
翔一は、その間、剣から力を抽出し豊穣のゲートを開くと、原初の世界から生命の精霊たちを呼び続ける。
大地はみるみる力を取り戻し、小さな緑の芽が一面に生えてきた。
「精霊よ、来い、大地に力を戻すんだ! 精霊よ、来い!」
翔一は叫ぶ。
一度溶けたガラスの大地にも命の力は行き渡る。
ガラスの隙間から緑が芽生えた。
大地を嘆き悲しみながら歩く死霊たちは、満ちる緑に唖然として立ち止まり、やがて、穏やかな心を取り戻して天に帰る。
滅んだ農地を哀しく眺めていた幽霊たちも、緑の復活に安心して各々の『あの世』に去った。
荒廃した『死人荒野』は再び緑豊かな『広沃野』として復活する。
翔一は『ジルバール』と巨岩がコケに覆われ始めたのを感じた。
そして、コケが分厚く生えた場所から草が生え、花が咲く。
ポンと、巨岩から飛び降りると、魔女たちにうなずく。
「豊穣のゲートを固定してほしいクマ。大地がよみがえりきったら閉じる、その時まで」
魔女たちはうなずき、そのように術を設定する。
三人の魔女は互いに違う魔力だが、『混沌』のマナがそれを繋げ、一つの力として世界に穴をあけた。
「これでいい。もう僕の仕事は全部終わったと思うクマ」
翔一は心が晴れた。
もうこの世界で何かをする必要はない。
「坊や。本当にありがとう。わしはこの世界に悲劇しかないのかと諦めかけておったのだ。まさか、お主みたいな可愛い坊やに世界が救われるとは」
ゴル・サナスは老いた目に涙を浮かべている。
「私の罪が消えることはない。でも、私もわずかでも、贖罪できた……」
ガラエルは翔一にひざまずき、そして、毛皮の体を抱きしめた。
翔一は避けたりしなかった、彼女が苦しい年月を過ごしていたのを知っていたからだ。
彼女の涙がぽとぽとと、背中に落ちる。
「ガーディアンでも置くべきかしら。この偉大な術を破壊したい奴はいるでしょうから」
ダナは腕を組んで考え込む。
「この術式まるごと、神界に置いて守護者を置けばええ」
「すごい、そんなことできるクマ?」
翔一はそれを聞いてびっくりする。
「婆さん共の力を舐めてはいかんぞ」
「あら、私、お婆さん扱いなの?」
ダナが少し不満顔。
「年齢からいえば、三人ともそうなりますね」
ガラエルが少し微笑む。
三人はそういいながら、神界にゲートを開き『ジルバール』と巨石を神界の存在として刻む。
そして、三人は各々、恐ろし気な怪物を呼んだ。
ゴル・サナスは金属のうろこのドラゴン。
ダナは七色の特大のエレメンタル。
ガラエルは死の神のアバター、大きな鎌を持つ騎士。
そして、翔一も何かを呼ぼうと念じると、巨大な狼男『原初の野獣』がやってくる。
「息子よ、我も力を貸そう。そして、罪を償う」
野獣から思念が伝わってくる。
彼は『ジルバール』に宿ると、一体となった。
魔聖剣『ジルバール』はその瞬間から知性を持つ存在となった。
「ありがとうお父さん」
巨大な猫がやってきて、剣の突き刺さる岩の元でうずくまる。
「あ、猫母ちゃん来てくれたクマ」
最後に、巨大な猫科の野獣がやってきた。
そして、四体の守護者でこの術を守ることになる。
翔一は存分に猫母に甘えてから、神界を去った。
神界から戻ると、巨岩はコケの大きな塊になっており、魔聖剣は消えていた。
エラリア宮殿に帰ると、重臣や兵士たちはひざまずき、最大の敬意を示す。
ダナとコンラッドが待っていた。
「すごい魔術だったな。誰にも邪魔させないように軍を配置したが、みるみる大地が緑に覆われるとは……」
コンラッドの頬に涙の痕があった。誰もが、この大地の荒廃に心を痛めていたのだ。
「コンラッドさん。僕はこの世界でやりたいことを全部やったと思うクマ」
「そうか……そうだよな。でも、何時までもいてくれていいんだぞ」
「だめよ、クマちゃんは異世界の人。何時までも甘えていては……」
「ああ、しかし、ダナ王妃。俺は彼に何を返したらいいのだろう。お礼の一つもできない」
「コンラッドさんが僕やフロールさんの友達というだけで、それで僕は満足クマ」
「ありがとう。翔一。故郷に帰っても元気でな」
コンラッドはそういうと、いきなり席を立った。
少し、背中が震えていた。
「これからどうするの」
「よくわからないけど、『奇跡の里』に行くよ。連れて行ってほしいクマ」
「ええ、喜んで」
翔一は宮廷の書記官を呼ぶと、綺麗な羊皮紙を貰う。
「えーっと、今までありがとう、皆さんお元気で、クマっと」
翔一はエラリアにメッセージと熊の手形を残す。
「可愛いメッセージね」
ふと見ると、宮廷の隅で『聖熊四姉妹』が膝をついて頭を下げていた。
「ご主人様、お行きなさるんですね」
筆頭のアガタが、微かに震えながら声を出す。
膝にぽとぽと涙が落ちる。
「ご主人様、いつまでも、この国に……」
「バカ! ご主人様が故郷に帰るのを邪魔するんじゃないよ!」
「でも、あんたもいてほしいんだろ!」
二人の女、ゼルマとマルギットは頭を下げながらいい合う。
「クマ様。行かないで!」
「これ、モリー、ご主人様だってご両親に会いたいんだよ。邪魔をしてはいけない」
アガタがモリーを叱る。
「四姉妹さんごめんなさい。本当は一杯思い出のあるこの世界を去るのも辛いんだ」
「ご主人様は大英雄としてこの世界に大いなる幸と正義を齎しました。本物の英雄、本物の神です。この緑の大地!」
アガタが涙を流す。
彼女が指さした先には広大な緑の野が広がっていた。
「そんなふうにいわれると恥ずかしいクマ。僕はちょっとドン臭いクマさんでしかないと思うクマクマ」
四姉妹はそれ以上語らず、翔一に一度しがみついて感謝の言葉を述べると、涙を流しながら去った。
「じゃあ、行こう」
「ええ」
ダナはテレポートする。
翔一とダナはふっと消えた。




