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32 汚泥

 ハイエルフ領に向かう。

 もちろん、彼は皇帝の紋章を持っているので、各門はフリーパスで通れた。

 門は警戒厳重なので紋章を見せて、無理はせずに通る。

 兵士たちも翔一のことは知っており、皇帝のお気に入りである子熊の邪魔をすることはなかった。

 ハイエルフ領に入る。

 晴天の中央公園に行くと誰もいない。静まり返っている。

 微かに小鳥の鳴き声。

 レンドール夫妻の家に向かった。

 食事の香りが漂ってくる。

 翔一は隠密精霊を張ってこっそり中庭に侵入し、中の様子をうかがう。

「あなた、今日はスープにするわ」

「ああ」

 レンドール夫妻の声、心なしか弱い。

 静かに食事をとる二人。

 翔一は裏口から侵入する。

 家にリリーの匂いがかすかに残っているが、彼女の存在を思わせるものはなかった。

 翔一が家の中をうろうろしても、夫妻は全く気が付く様子もない。

 どこか心あらずといった空気だった。

「スープの味はどうかしら」

「美味しいよ……」

 夫婦の会話が聞こえる。

 そっと食堂を覗くと、夫婦が寂しく食事を摂っている。 

 美しく明るい日光の射す場所だったが、不思議と、空虚で悲しい。

(このままでは、埒が明かない……)

 大事なことを忘れた夫婦に少し苛立ちを感じ、残酷だとは思ったが、翔一は行動を起こした。 

 物陰に隠れ、リリーのビジョンを観相精霊で送る。

 楽しげに笑っている愛しいリリーの姿を、夫妻の心に。

 からん。

 二人はスプーンを落とす。

「何かしら、私、大事なことを忘れているような」

 突然、ボロボロと涙を流すレンドールの妻。

「なんだろうね。僕たちは子供……なんていなかったよね」

「そうかしら、何か、思い出せるような」

 際限なくリリーの母は涙を流し続ける。

 翔一はもう一度ビジョンを送る。

「何か忘れているわ!」

 リリーの母は、突然、立ち上がり走り出した。

 慌てて、レンドールも妻の後を追う。

 家の前の公園まで行く二人。

 翔一はこっそり追った。

「どうしたんだジョアンナ。突然泣き出したりして」

 レンドールも妻を追いながら、涙を流している。

「何か大事なことを忘れているの! 私、絶対!!!」

 リリーの母、ジョアンナは叫ぶように声を発する。

 翔一は可哀想だと思ったが、連続してジョアンナとレンドールにリリーのビジョンを送った。

「本当だ、僕たち、絶対、何か忘れているよ、女の子だ!」

 レンドールも叫ぶ。ボトボト涙が落ちる。

 何事かと近所の人間が出てきた。チュペル夫妻もいる。

「私、何か忘れているわ、皆さんご存じありません?」

 ジョアンナは泣きながら、人々に問うが困惑するばかりだった。

 チュペル夫妻が二人を慰める。

「何か気の迷いですよ、さあ、こんなところで泣いていてはカッコ悪いですよ」

「しかし、私たちは、大切な……子供……」

「チ、さあ、いいから、家に帰ってゆっくり休むんです。疲れているんですよ、お二方は」

 翔一はチュペルが舌打ちした音を聞き逃さなかった。

 妻のアナトーがジョアンナを慰めながらこっそり魔術を使う。ジョアンナはくたっと力を失い、眠ってしまったようだ。

 人々はお互いをの顔を見合わせながら去っていく。

 翔一はチュペル夫妻のオーラを見た。

 彼らと初めて会った時は疑いもせず見もしなかった。気が弱そうで大人しい夫婦だったからだ。他の人々と同じと思い込んでいた。

 しかし、今、改めて見ると、彼らのオーラはハイエルフとは違い、強力で刺すような魔力を帯びている。

「何かしら、ご主人様の力が衰えている?」

 アナトーはこっそりつぶやく。

 翔一は我慢ならなかった、今すぐでも飛び出して、チュペルたちを尋問したい。しかし、ここは人目もある。

 彼らが家に帰るまで、待つことにした。

 騒ぎが落ち着き、チュペル夫妻は家に帰る。

 翔一はチュペル邸に入ろうとしたが、ふと、思いついて、一旦、庭の灌木にに隠れる。

(……ダナちゃんに迷惑かけるクマ……)

 今からやる事を思うと、愛しい少女に危険が及ぶかもしれないと考えた。

 観相精霊をダナに送る。

(今日はチュペルの家に帰らないで、ユアンおじさんのところで泊まってほしいクマ)

 ビジョンを彼女に送る。意思が伝わるだろうか? 

 今、彼女は宮殿の図書室にいるはずだ。

 彼女に話をするために戻ってうろうろしていると、不審に思われるかもしれない。

 そう考えていると、白い小さな光が目の前に跳んでくる。

「クマちゃん、何をするつもりなの? でも、私のことを気にかけてくれてうれしいわ。今日はユアンちゃんの家で泊まるね」

 光は何かのメッセージ魔術だったのだろう、彼女の声を届けると消えてしまう。

 ダナが素直に従ってくれてほっとする翔一。

 改めて、チュペル邸の一階にこっそり侵入する。


 隠れやすい応接間に入ると、聞き耳を立てる。

「レンドール夫婦は一体どうしたのかしら……」

 アナトーの声とお茶を飲む音。

「ご主人様の魔力が弱まっているのかも知れない」

 チュペルの声。二人の声は二階から聞こえる。

「捧げたのね、あの夫婦の子供を」

 翔一の耳がぴくっとする。

「ああ、たぶん。グロウギル公が我らも思出せない子供を推挙したんだよ」

「ダナを推挙してくれたらよかったのに」

「駄目だよ、あの子はかなり強力な存在感がある。あのような子は依代に向かない」

(依代……)

「でも、なぜ、今日、あの二人思い出しかけたのか不思議ね」

「フォノンの件もあるから、油断はできないよ」

「フォノンね……あの坊や、彼はどうなったの?」

「グロウギル公の話では、天罰騎士団の遠征中に、流れ矢に当たって死ぬ手はずだよ」

「ハイエルフ共はじわじわ死んでいくわね。いい気味よ」

 ギリッ

 翔一はもう我慢できなかった。

 のっそのっそと階段を上り、扉を開け、彼らの部屋に入っていく。

「え、だれ? ……熊ね、あのダナの飼ってた」

「君、勝手に入ってくるな。ダナの元に帰れ」

 翔一は無言で剣を出す。

 青く輝く聖剣。

 夫婦の顔に驚愕が走る。部屋の奥に追い詰められる二人。

「ひ、な、何の真似だ。君は何者だ」

「こいつ、たばかっていたのね。単なる熊ではないわ!」

 そういうとアナトーは翔一の脇を見事な動きですり抜けようとした。

 しかし、翔一が聖剣を無造作に一閃させると、アナトーの首は刎ねられて天井に当たる。盛大に血を噴き出すアナトーの胴体。

 ゴン、と、落ちてきた首は見たこともない不気味な怪物だった。

「お前たち、何者?」

 翔一は問うた。

 長く発声していなかったので、声が上手く出ない。

「喋る、のか? お、俺たちは人間がドッペルゲンガーと呼ぶ種族だ。金で雇われただけだ。許してくれ」

 チュペルは命乞いをする。

「リリーをどこにやった」

 翔一の声は怒りで掠れた。

「リリー?」

「レンドールさんの娘の名前だ」

「ああ、リリーというのか、ご主人様の魔力で我々も忘れさせられているからな。悪いが俺にはわからない」

「ご主人様とは何者だ。彼女をどこにやった」

「ご、ご主人様のことはいえない。いえば死ぬことになる。リリーの行き先はグロウギル公なら……」

 翔一はそこまで聞いた瞬間、チュペルの首を刎ねた。

 チュペルは驚愕した顔のまま死ぬ。

「意外と酷い奴だなおまえ、だが、幽霊共はすぐに消え去ったよ。奴らは霊格が弱いようだ。つまらない魔物だよ」

 ダーク翔一が精霊界で呆れている。

「グロウギル公のところに行く」

「気をつけろ、警戒が強いぞ」

 暗くなってから、家を出た。

 グロウギルの屋敷は領内でもひときわ大きな屋敷だった。ダナと翔一が通っていた図書館は彼の屋敷の一部である。尚、学校はまた別の建物がある。

 グロウギルの屋敷の周りには十人ほどの衛兵がいる。彼らは宮殿の警備兵で、警備の一環でここまで出張っているのだ。

 彼らの装備を霊視した結果、

「武具は全部魔法。対魔術の護符もあるな。兜は知覚を強化している」

 ダーク翔一は分析した。

 見ていると、兵士たちは巡回を終えるたびに酒を飲んでいるようだ。

「温めたワインだ。今日は冷えるからな。飲まないとやってられないのだろう」

「あれに睡眠精霊を憑依させる。時間はかかるけど安全に倒せる」

 翔一は特大の睡眠精霊を呼ぶと、彼らが火にくべているワインに憑依させる。

 大体半時間で全員が飲んだ。魔術の護符も飲食には意味がないようだ。体に入れてしまっては効果が発揮できない。

 次々と眠っていく兵士たち。

 更に睡眠精霊を呼び、時間差で起きている奴らも睡魔に包む。これは護符が邪魔して効果が薄かった。

 しかし、一時間もたつと、全員高いびきになる。二人ほど異変に気が付いたが、それは翔一が聖剣のみねうちで片づけた。

 翔一は堂々と正面の玄関から入る。

 特に施錠はしていない。魔術の警戒もなかった。

 この領内で暴漢など来ないからだ。警備兵の存在だけで満足していたのだろう。

 グロウギルの屋敷内には召使や家族もいるが、全員睡眠精霊で包んでしっかり寝てもらう。


 三階の大きな部屋、グロウギルの寝室に入る。

 グロウギルらしき男がベッドに腰掛けている。

 目の前に服を着ていない女。

 貴族らしく、立派なひげを蓄えた紳士であり、裸の女性を立たせてにやにやしている。

 女性は人間のようだが、美しい。グロウギルは鞭を持っている。

(好都合だ)

 女性は何故か縛られているので問題ないだろう。大声を出してもどうせ誰も来ないのだ。

 のっそりと、特に隠れもせず部屋に入る翔一。

「うん……だれだ、私の寝室に勝手に入ってくるな!」

 グロウギルが大声を上げるが、翔一は無視して入って行く。

 グロウギルは鞭を構えつつ向かってきたが、

「エイ!」

 翔一は鞭の一撃など無視してグロウギルの腕を打った。みねうちだが、彼の腕は折れた。 

「はぁ、ぐああ! お、俺の腕が!」

 翔一は鞭を斬り飛ばす。

「誰か! 誰か来てくれ! 怪物が襲ってきた!」

「黙れ! 静かにしないと殺す」

 すっとぞくぞくするような刀の刃をグロウギルの首に当てる。

「はぁはぁ、わかった、これ以上乱暴はするな」

 観念したのか大人しくなるグロウギル。

 翔一は女の縛めを剣で斬り、睡眠精霊を当てて眠らせる。

「おまえ、皇帝陛下のクマだな。というか、ダナのペットだ。喋る上に剣をふるうとは、噂は本当だったのか」

「リリーをどこにやった。レンドール夫妻の娘だ」

 怒りを押し殺しながら問う。

「リリー? ああ、知っているぞ。俺はこっそり記録をつけているのだ。宰相が忘れさせるからな」

 グロウギルは顎でしゃくる。その先には小さな手帳があった。

「じゃあ、どこに行った」

「宰相の部下にやったよ、確かハルベルトだ」

 グロウギルは手帳を見ながら答えた。

「奴はどこにいる」

「さあな、宮殿の地下じゃないのか。奴の表の仕事は獄吏だ」

(エルネスト将軍を襲った奴らの親玉……)

 翔一はその名前に聞き覚えがあった。悪事の影には彼がいるのだ。

 彼を追い詰めるには宮殿の地下に行く必要がある。しかし、これは大ごとだった。あからさまに油断しているハイエルフ領の能天気ぶりとは桁が違う。

 翔一はフロールから貰った通信機付き眼鏡を取り出す。

 久しぶりにフロールと話すと思うと、少し優しい気分になった。

「フロールさん、起きているクマ?」

 暫くして、何か起動音が聞こえる。

「おお、翔一か。久しぶりだな。喋るようになったのか」

 若干寝ぼけているようにも感じる。

「今、グロウギル公爵を尋問しているクマ」

「グロウギル? ああ、ハイエルフ領の領主か。話が見えないが、今の状況を教えてくれ」

「グロウギルは宰相テオドールの手先クマ。こいつは極悪人で領民を誘拐し、宰相に引き渡し、宰相の魔力で被害者の存在を忘れさせているクマ」

「なるほど、元からいなかったことになるということか。それなら、捜査も行われないから。安泰だな。悪人的に」

「僕は攫われたリリーという女の子を救いたいクマ。彼女は宮殿の地下に連れ去られた。宰相の部下、ハルベルトという男に渡されたクマ」

「ふむ、今グロウギルはどんな状況だ」

「腕をへし折って、屈服してるクマ」

「それは都合がいいな。ハイエルフの秘術を貰って行け」

「しかし……それは強盗クマ?」

 躊躇する翔一。

「お前の目の前にいるのは、たぶん、誘拐魔で人身売買の常習犯だ。リリーが死んでいないとしても、他に余罪が絶対ある。そんな奴から財宝を奪っても小さな悪事だ。それに、ダナの助けになる」

「……わかったクマ」 

 何かと通信していた子熊がギロッと公爵を睨む。

 公爵は恐怖に怯えた。

「ひぃ! 殺さないでくれ!」

「ハイエルフの秘術の話をきいたことがあるクマ。渡してもらおう」

「……わかった、地下の図書室の一般禁止エリアを知っているか? そこにある」

(『重要書類保管庫』というのがあったクマ)

 ダナと一緒に図書館へ行ったことを思い出した。


 二人で図書室まで降りる。

 折れた腕を抑えたグロウギルは『重要書類保管庫』前でコマンドワードを唱える。

 あっさり扉が開いた。

 そこにはずらりと蔵書が並んでいたが……。

「あ、消えていくクマ?」

 入った瞬間、外から見えていた、書物の背表紙は消えていく。

「幻覚?」

 翔一の目の前には空っぽの書棚が並んでいるだけだった。

「そうだ、幻覚だよ! ハイエルフの秘術なんてない。全部、目先の利益のために切り売りして、俺たちは生きることと、金を選択した。今の俺たちハイエルフは単なる人間の金持ちとほとんど変わりがないんだよ! そんな俺たちが、病弱な子供を犠牲にして何が悪い! あんな死にかけのガキで金になるなら、幾らでも売るさ。俺は、俺たちは生きるために恥なんて感情は全部捨てたんだよ! ハハハハハハ! ハハハ!」

 大笑いを始めるグロウギル。転がって涙を流しながら笑った。

「子供を売って、人として恥ずかしくないのか!」

「俺だけじゃない。俺の親爺もやっていたんだ。あのテオドールは子供を欲しがった。親爺は奴に売った。それだけではないぞ、変態に売ったり、魔神信徒に売って生贄にしたり。何度も何度も売ったよ。もう百年以上やってる!」

「その話おかしい。テオドールは人間のはず? あなたの父親は大昔の人、一体何年生きて……」

「あいつは人間じゃない。あいつは……」

「さっさといえ!」

 剣を突きつける。

「ああ、いいよいってやるよ、あいつは、宰相テオドールは呪詛のマナを持つ魔王。呪詛王だ!」

「呪詛王? それは一体……」

 しかし、グロウギルはそれ以上の言葉を発することができなかった。

「ゆ、許してください、呪詛王様」

 ひぃひぃいいながら、グロウギルはぐしゃぐしゃと潰れていく。

 みるみる縮んでいく。

 最終的に十五センチくらいの芋虫のような生き物になり、顔だけ人間、体は芋虫という、おぞましい混沌の生物になった。

 翔一はぴくぴく動くその生き物を摘み上げる。

「キーキー! お前の喉の奥に入って支配してやる!」

 魔物になったグロウギルの姿。

 翔一は精霊ポケットから紅茶の入った瓶を取り出すと、茶を捨て、生き物を放り込んで蓋をする。

 そして、悪霊を封印する施術を行った。

 グロウギルは瓶の中で暴れるが、出ることはできない、誰かが出さない限り永遠に閉じ込められたのだ。

「そんなことをしてどうするつもりだ」

 ダーク翔一が首をかしげる。

「何かに使えるかもしれない、持ってくクマ」

「俺は気に入ったぜ、こいつ。色々面白そうだ」

 翔一は精霊界ポケットにグロウギルを放り込んだ。魔物であっても、封印物にしてしまえば、翔一の精霊ポケットに放り込んでおくことができる。

 がらんとした秘蔵書庫。

 ふと見ると、一本の巻物が転がっていた。

 持ち上げると魔力を感じる、が、真っ白で何も書いていない。翔一はなんとなくポケットに放り込んで書庫を出る。

 フロールと交信する。

「秘儀はなかったクマ。変な白紙の巻物だけ」

「そうか、それなら仕方がない。『奇跡の里』に行ってみるしかないな……」

 フロールが残念そうにいう。

「その前に、宰相の部下ハルベルトに会うクマ」

 翔一はハルベルトという人物のことを告げる。悪の黒幕の一人であると。

「それは、宮殿の地下牢に潜入することになるぞ。皇帝の身分証を使えば行けそうだが」

「それでは、皇帝のおじさんに迷惑かけるクマ」

「じゃあ、無理に潜入するしかないけど、大変だぞ。……デリクに頼むかな。あいつは相当な腕前の忍びだ」

「デリクさんにわたりつけてほしいクマ」

「わかった、あのおっさんとはかなり付き合いができたから心配するな。連絡を待て」

 翔一はフロールの指示でハイエルフ領を出た。

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