1 熊になった少年、旅の始まり
「起きろ!」
声が聞こえる。
「起きろ!」
再び声が聞こえた。
泥まみれの人々が闇の中に倒れている。
うめき声、すすり泣き、闇の中に苦しむ人々の声。
突然、光が刺す。
闇の空に、突如、満月が現れた。
ここは夜の森。
ごうごうと風が吹き、細い葉が舞っている。
闇に佇む人々は、数十人はいるだろうか、男も女もいるように見える。
全員、泥だらけであり、それ以上のことはわからない。
一人の小柄な人物が体を起こして、月を見上げた。
彼は少年のようだ。
彼の正面には高い岩が聳え立ち、その頂上に、満月を背にして一人の男がいる。
岩の上に直立しているのだ。
逆光であり、シルエット以外わからないが、長髪で筋肉質の肉体。たぶん、男。
そして、その男はじわじわと人間ではないシルエットに変容する。
多数の触手が生え、その先に黒い野獣の頭部が幾つも生えていた。
「ヒィ! 化け物だ」
誰かが叫ぶ。
その人間ではない巨大な何かに膨れ上がったものは、泥だらけの人々に覆いかぶさった
闇の中に浮かぶ幾つもの顎と白い牙。
「ぎゃぁ!」
「グワぁ!」
人々の悲鳴。
その複数の顎は人々を噛んだのだ。
少年も右肩を巨大な顎に噛まれる。
食い込む牙、噴き出す鮮血。
あまりの苦痛に少年は気絶してしまった。
次に目を覚ましたのは、何か騒がしい音が原因だった。
噛まれた右肩がしびれているが、不思議と痛みはない。
少年は薄い意識の中、半目を開けて音の方を見る。
煌々と輝く満月の下で、二つの存在が激しい戦いを繰り広げていた。
一つは、先ほど見た怪物化した男である。
背中に何本もの触手が生え、その触手の先端に多様な獣の頭が付いていた。
男自身は狼のような人間のような頭部と、濃い体毛の生えた体をしている。
もう一つは、人間に見えた。
光り輝く剣、美しい黒髪をたなびかせた女。
白いドレスに白銀の小手と脛あて。体の大きさは男の半分もない。
たぶん、男の方が大きすぎるのだ。
化け物の攻撃は激しいものだったが、女は風に乗るように軽くかわし続ける。
そして、首を幾つか切り落とした。
落とされた首は光に包まれて消失する。
「やるな! 聖剣の使い手!」
化け物男が吼える。
「終わりよ! エパット!」
女が一気に間合いを詰めて斬りかかる。
化け物は慌てて下がるが、女の速さについていけない。
バシュッ! 光り輝く剣が一閃し、怪物の左腕を切り落とす。
しかし、腕を犠牲にした男は、何とか距離を取る。
「人間を超えた速さだな、ミレーヌ。お前も俺と同じ化け物だ」
ミレーヌと呼ばれた女は返事もせずに光り輝く翼を一瞬出現させると、光芒を化け物に浴びせかけた。
光の矢は男を貫くように見えたが、結果は……。
黒い霧が爆発的に広がり、気配が消えた。
誰も気が付かなかったが、女が放った光芒の内一本が、呆然と戦いを眺めていた小柄な影を貫く。
人影は膝をつく。
「逃げたのね」
ミレーヌの声が聞こえる。
「奴だ! こっちにいるぞ!」
どこかで声が聞こえる。
「単独で向かっては駄目! 私が行くわ!」
そうミレーヌは叫ぶと、漆黒の森に消えてしまう。
それから何時間たっただろうか。
少年は目を覚ました。
昇り始めた陽。
曙光が少年の目を刺す。
ふらふらと立ち上がる。
泥にまみれ、寒くて仕方がない。
肩と胸が痛い。
少年の右肩には無残な噛み痕、胸の中央にはやけどの跡があった。
白いシャツと羽織ったジャージは泥まみれだった。シャツは胸の中央が焦げて穴が開いている。
周りを見渡す。
岩と針葉樹が生えた山の中腹。
木々のために視界が悪いが、かなり標高の高い場所にいる。
そして、ここはちょっとした広場であり、岩に囲まれ、泥地になっていた。
少年と同じような状態の人々が座り込んでいる。
彼らも少年と同じようにキョロキョロとしていた。
「君は誰だ、ここはどこだ」
目の前に泥だらけのビジネススーツを着た男がいる。
彼と目が合った。
いかにもサラリーマンといった感じだ。
そいつは左の肩に大きな噛み痕がある。
「わからないのです。教えてください」
少年も答える。
黒髪で小柄、いかにもひ弱な少年だった。
「ここはどこなの」
中年の女性らしき声が聞こえる。座り込んでいる大柄な女性だ。
「誰だ、俺を拉致った奴は!」
これも成人男性の声。ガラの悪そうな声。
見ると、かなりの大男がいる。
「よくわかりませんが、ここは森の中ですね。この泥から出て、体を乾かしましょう。話はそれからですよ」
最初のサラリーマン風の男が皆に声をかける。
泥の中で座り込んでいた人たちは、重い腰を上げると、草が生えて乾いた場所に移動する。
少年はぎょっとした、全員に自分と同じような無残な噛み痕があるのだ。
致命傷でもおかしくないはずなのに誰もそれで苦しんだり死にかけてもいない。
少年はまだ倒れている人がいないか確認した。
とても小さな少女がぶるぶる震えて座っている。
「大丈夫かい、君」
この少女にも残酷な噛み痕はある。
(尖った耳? この娘は何者だろう)
「おや、可哀想に、その子の面倒は私が見るわ」
先ほどの中年女性が少女を抱きかかえる。
少女を女性に預けた少年は、念を入れる性格なのかさらに探す。
おかしなものを発見した。
丸い大きな卵のようなものがある。
泥をめくって、確認すると縦が六十センチほどの金属の卵。よく見ると、上部にレンズ、蛇腹の適当な手足的なものが付いている。
「なんだ、これ、ロボット?」
幼児の玩具みたいなロボットが泥の中に転がっていたのだ。
「おい! 坊主! もういいだろう! 自己紹介しようぜ」
大男が少年を呼ぶ。気にはなったが、少年は人々の中に戻った。
人々は、早速、焚火を起こそうとしている。
何らかの針葉樹の葉を集めると、大男がジッポを取り出して火をつけた。
パチパチという音とともにすぐに火が付く。
早朝だが草木はそれほど湿っていなかったようだ。
皆が適当に枯れ枝などを集めてくる。
「火が付いたな、やれやれ、これで人心地つく」
大男は百九十センチは絶対ある。袖なし革ジャンにTシャツ。太い腕には体毛がびっしり生えていた。
彼もわき腹を噛まれた跡がある。
「俺は……待てよ、俺の言葉はおかしいな。英語じゃないぞ」
大男はどう見ても白人だった。
「私は日本人だが、この言語は何でしょうね。聞いたこともないのに理解できるし会話もできる」
サラリーマンの男が首を振りながら答える。
「聴いたこともない言語よ、バーチャル空間にでも閉じ込められたんじゃないの」
そう答えた女は泥まみれなのでよくわからないが若いようだ。
「とにかく、このままじゃ森の中で遭難してしまう。自己紹介が終わったら今後の方針を決めましょう」
リーマンはリーダーシップのある人物だった。
皆はうなずく。
「私は高橋、中村商事の課長です。中村商事の名前は皆さんご存知でしょう」
その会社の課長であることを誇る高橋。
少年でもそのような名前の大企業があることは知っていた。
「俺はニューメキシコのモーターサイクルクラブ所属、ボビーだよろしくな」
「うわ、ヤクザよね」
中年の女がげんなりしたような声を出す。
「おいおい、ヤクザ呼ばわりはよせよ。俺はまともなバイク愛好家なんだぜ」
「は、どうだか。テキサス出身のエイミーよ。よろしくね」
中年女性。さばさばした感じだ。
あと六人ほどいる。が、少年は覚えられなかった。
少年に自己紹介の順番が廻ってくる。
「ぼ、僕は翔一。日本出身だと思う、学生、かな」
おずおずと少年は最後に自己紹介をする。
「おい、なんだか頼りない自己紹介だな。覚えてないのか」
ボビーが大げさなアクションで問う。いかにもアメリカ人らしい。
「ええ、名前しか覚えていないのです。姓は思い出せない」
「まあ、元気出せ。その内思い出すぜ」
ニヤッと笑うボビー、こんな状況で笑えるとはただものではない。
少女はぶるぶる震えるだけで、答えることもできなかった。
エイミーが抱きしめている。
少女の耳はよく見ると、やはり、尖っていた。
人間ではないのだろうか。
「ところでどうするよ。ここは山の中みたいだから、さっさと降りて、文明と合流しないとすぐに死んでしまうぜ。食料も水もない」
「ええ、そうしましょう、ボビーさん。皆,必要と思うものを持って、さっさと下山するのです」
高橋は眼鏡をかけながら答えた。
自己紹介している間に、焚火もようやく大きな火になって、人々を温め始めた。
「あのロボットどうします」
翔一は高橋に聞く。
「ロボット? そんなものがあるのですか」
少年の言葉に人々はそのロボットを見に行く。確かに、タマゴの玩具のような安っぽいロボットが泥まみれで転がっていた。
「あ、これ知ってるわ。中華新国製の安物義体よ」
誰かが声を上げる。
義体、といわれて、当惑の顔をする人々。
「義体? なんじゃそりゃ」
ボビーの声は大きい。
「サイボーグよ。中華では囚人が入れられてたってうわさよ」
「入れられてた?」
ピンとこない人が大半であり、翔一も意味が分からなかった。
「義体か何か知らんが、壊れてるだろ」
ボビーが乱暴に蹴っ飛ばす。
ボコ!
ピー、ガキ、ガキと突然安っぽいLEDのランプが点滅を開始した。
「うわ! なんだこれ、まだ動くのか」
ゆっくりと立ち上がるタマゴロボット。
一メートルくらいの大きさである。
「君、大丈夫?」
翔一が聞くが、ロボは無言だった。
「壊れてるだろ、これ。もうほっとこうぜ。腹の足しにもならん」
ボビーは急速に興味を失う。
しかし、ロボットはゆっくり人々の方に向かって歩き出す。
「おい、ついて来るな!」
誰かが投げた木の枝が当たると、ロボットは尻餅をついて動かなくなる。
「……やっぱり故障してるんだよ……」
高橋はロボットを見て、冷や汗をかいていた。
特に持つものもなかったので、火を消すと、彼らは下りと思える方向に向かって歩く。
足取りは重い。
「なんだか遭難するパターンのようです。場所がわからない、物資がない」
高橋が不吉なことをつぶやく。
皆は聞こえないふりをしているようだった。
「こういう時は逆に高いところに上って、ルートを見つけるのよ」
エイミーがつぶやくようにいう。
「そうだな、高橋、そうしようぜ」
「ボビーさん、あなたは大丈夫かもしれませんが、もう私たちにそうする余裕も体力もない。真っ直ぐ下って、何らかの道に出たらそこから人家まで行き、誰かに応援を呼んでもらうんですよ」
「そうだ、端末持ってる? 携帯とか連絡装置よ」
先ほどの義体を知っていた女が提案する。
人々は慌てて様々なものを取り出すが、一様に連絡できないことが分かった。
翔一もスマホを出そうとしたが、根本的に持っていなかった。
「全部圏外ね。ここはどこなのかしら、先進国じゃないわね」
エイミーがスマホらしきものを叩く。
「何だよそれ」
「ボビーあんた、バイク乗りのくせに知らないの。先進国なら山の中でも携帯は繋がるのよ」
「あー、しってるよ、しってる。そんなことぐらいな!」
結局、人々は黙々と高橋に従って下る。
やはり、水も食料もない状況で山を登るという恐怖に耐えられなかったのだ。
正午近くなって、人々はかなり疲労が増していた。
飲まず食わずなのだ。
誰もしゃべろうとしない。
「おい、聞こえるか!」
突然、高橋が叫ぶ。
「う、おい、水の音だ!」「流れの音だ!」
水の音が聞こえる。
どこかに川があるのだ。
人々は元気を取り戻すと、川に向かって足早に進む。
果たして、そこには小さな渓流があった。
まだ喉が渇くほどではなかったが、手持ちの水がないという恐怖が彼らを川に走らせる。
「水だ!」
ごくごくと人々は飲んだ。
エイミーまでも少女を置き去りにしていたので、翔一が彼女の手を引いて川に向かう。
少年が到着したころには、皆、存分に水を飲んだ後だった。
「水があったのはよかったけど、何だか凄い生臭い水だな」「ああ」「なんだか気持ち悪いわ」
水を飲んで助かったはずの人々はその味に怪訝な顔をする。
「おい見ろよ」
渓流の上流には小さな滝がある。
皆で見に行くと、その滝つぼが真っ赤に染まっていた。
「うわ、俺たちあんな水飲んだのか」
よく見ると、滝つぼには不気味な獣の首が浮かんでいた。最初は黒い物体でよくわからなかったが。狼とも熊とも鹿とも取れるような、不気味な真っ黒な生首。
「うげー! 吐き出せないか!」
数人が飲んだ水を吐き出そうと苦心している。
「落ちてくる水なら綺麗だよ」
翔一は滝から落ちる清水を少女に飲ませる、確かに、滝の上から来る水は綺麗だった。
「ひぃ、ひぃ」「うわー!」
突然、二人の人間が全速力で離脱し始める。
「おい、止まれ!」
ボビーが叫ぶが、二人は止まることはなかった。森に消えてしまう。
「何なんだあいつら」
「怖くなったんでしょう。私たちには彼らを助ける余力はない。それより、早くここを離れましょう。嫌な予感がする」
高橋がそう提案すると、皆はのろのろと下流に向かって歩き出す。
それでも、水を飲んたおかげで、彼らは少し元気を取り戻した。
「そろそろ、昼か……腹が減ってきましたね」
高橋がそうつぶやくと、幾人かがうなずく。
「何もないんだ、諦めるしかねぇだろ」
ボビーが怒りを孕んだ返事をする。
「本当に腹が減りました」
高橋は目を剥き出し、キョロキョロさせている。
「あんた、何か気持ち悪いよ」
「エイミーさん、あなたも腹が減るでしょ」
「ええ、でも、仕方がないじゃない」
小一時間も歩くと、絶望的な光景に出くわす。
小川は断崖絶壁を細い滝になって落ちていた。
遠くは霞んでみえない。
崖の下は深い森のようだった。
「これではかなり迂回しないとだめだな」
誰かの諦め声。
「そうですね、迂回するしかない。そうだ、その前に腹ごしらえをしよう」
高橋がそう告げる。目が充血してぎょろぎょろしている。
翔一は恐怖に震えた。
誰かが聞く。
「どうやって」
「私から提案があります。この中でもっとも役に立たないものを食料にするのです」
高橋はそう告げると、震える少女をねっとり見つめる。
「このかわいい女の子を……今は最も役に立ちません」
「おい、何をいってる。人間を食べるなんて……」
ボビーは反論しようとしたが『人間を食べる』と口にした瞬間生つばを飲み込んだ。
「何をいってるんです、ダメですよ!」
翔一は怖かったが、こんなかわいい少女を食べさせるわけにはいかない。
思わぬ大声が出た。
「そうよ、ダメよ!」
エイミーも翔一に同意する。
翔一は心強くなった。
「足だけでいいんだ。いや、腕だけでもいい。その子の柔らかい肉を食べさせてくれ」
よだれをだらだら流しながら高橋がじわじわと迫ってくる。
翔一は後ずさる。
少女は翔一の腕にしがみついていた。
高橋のエリート然とした顔は目が吊り上がり、耳がとがり、口が裂けていく。ずらりと並んだ不気味な牙。
「腕一本でいいからさぁ! 坊や、どいてくれよ」
高橋は気のせいか体も大きくなっている。
ビジネススーツは破れるように存在が消え、毛むくじゃらの肉体が姿を現す。
高橋の後ろの四人も、同じような変容を始めている。
「下がりやがれ!」
突然、高橋がふっ飛ぶ。
ボビーが渾身の力で殴ったのだ。
しかし、高橋だったものは異様な身体力でばねのように跳ね上がり、殴られる前と同じ位置にすぐに復帰する。
「何のつもりです、ボビーさん」
「……!」
ボビーは何か話そうとした、しかし、彼の太い右腕は一瞬で引きちぎられていた。高橋の後ろにいた誰かが彼の腕を食いちぎったのだ。
そいつも高橋と同じように口が裂け、牙が見えている。
「ぐああああ!」
ボビーの叫び声
「可哀想に、逆らうからですよ」
「逃げて、翔一、その娘をつれて!」
エイミーが叫ぶ。
翔一は少女を抱えると脱兎のごとく走る。
少年は小柄だったが、火事場の馬鹿力なのか、彼女を抱えて飛ぶように駆けた。
一瞬振り向く。
ボビーは数人の獣人のような奴らにわき腹と両腕を食いちぎられていた。
「逃げろ!!!」
ボビーの叫び。
翔一の目から涙がこぼれる。
あれほどの姿になっても、人を思いやれるのだ。
エイミーも一緒に走っているようだが、彼女を確認する余裕はなかった。
翔一は枝に引っかかり、岩角に転んで血塗れになっても逃走を止めない。
あの化け物たちにつかまれば、運命は見えている。
どのくらい走っただろうか、あまりの疲労に足を止めた。
いつの間にか崖をおりている。
岩が無数に転がる河原に出た。
(浅いし、渡れそうだ)
少年はそう考えて、川に入り、無理やり超える。
思った以上に川は冷たく、滑り易く、困難な作業だったが何とか渡り終えた。
そして、岩陰に身をひそめる。
少女は目をつぶっていた。大人しくて白い肌の女の子。汚れていたので気が付かなかったが、東洋人ではない。
やはり、改めて見ても耳が尖っている。
(この子も人ではない?)
翔一はそう思ったが、危機的状況で追及する余裕はなかった。
休憩していると、対岸で獣が激しく争う音が迫ってくる。
こっそり見ると、三人の毛皮の人間が殺し合いをしていた。
一人は雌だと思う。
匂いがそんな感じだ。
残りは雄、怪物たちはただ殺し合っている。
爪でひっかき内臓をかきだし、体を食いちぎり、皮を剥ぐ。
本当におぞましい魔獣の殺し合い。
やはり、一対二では雌に勝ち目はなかった。
一人を道連れに、その雌獣人は力尽きる。
死亡すると正体を現す。
エイミーだった。
道連れの奴は高橋と一緒に獣人化した一人。
「エイミーも化け物だったんだ」
翔一はこっそりつぶやく。
もう一匹も虫の息だ。
(止めを刺すべきか、しかし、どうやって)
翔一は悩んだ。
ゆっくりと、大柄な獣人が降りてくる。
高橋だ。
直立した狼のような人間のような不気味な姿。
腹が破れて大出血しているが、平気なようだ。
見ると、怪我はみるみる治っていく。
「あなたはもう駄目ですね。食料にしますよ」
そういうと、もう一匹の瀕死の奴の喉を食いちぎる。
絶命すると、やはり、人間の姿になる。彼も同じく元仲間。
「川の向こうだね。賢いですね、匂いを断ったと」
高橋はぴょんと跳ねて川を超えた。
キョロキョロしながら探し回る。
翔一は息を止めた。
「どこかなどこかな。かわいいウサギちゃんは。早く出ておいで。優しくかわいく食べてあげるから」
よだれを垂らしながら、高橋が辺りを嗅ぎまわる。
「私からは逃れられませんよ、ヒヒヒ」
翔一はじっとしていたらいずれ見つかると感じた。
相手は匂いがわかる、動物だからそうだろう。
本能的に靴を脱ぎ、靴下も脱ぐ。
少女を背負って逃げる。
全身の毛を逆立てて、スローモーションのようにゆっくり動く。
不思議なことに彼の服はどこかに消えていた。
本当にこそッとも音を立てない。
人間技ではなかった。
彼はまだ気が付かない。
既に、自分が人間の姿をしていないことを。
少年の体は危機の中で、ゆっくり人の姿を超えていた。
丸い耳に短い尻尾。
狼とは違うようだ。
岩陰から出た頃には毛皮の球のようになっていた。
このままいけば見つからないかもしれない。
少年の心に少し光明が灯った。
しかし、
「みーつけた。なんだぁ。お前も獣なのか」
高橋の声が背後から聞こえる。
「くそ!」
「でも、そのおチビちゃんは人間だな。本当に旨そうな匂いがするぞ」
よだれを垂らす高橋。
脱兎のごとく逃げる翔一。
考えている余裕はない。
自分の異常にどこかで気が付きながらも無我夢中で走り出す。
左手で少女を背中に抑え、右手を衝きながら、三足で飛ぶように駆ける。
高橋も走るが、若干、翔一の方が早いようだ。
「おお、そうか、もっと獣になったら早く走れるのか」
高橋は何か思いついたのか、四つ足で走り始める。
すると、彼の姿は完全に狼となり、翔一より早いようだった。
音で翔一は高橋に追いつかれることを悟った。
どんどん近づいているのだ。
(戦うしかない、でも、勝てるのか)
翔一はそっと少女を木陰に降ろすと、待ち構える。
腕を見ると、両手は毛皮に覆われ、鋭い爪が生えている。
まるで熊のようだ。
「熊?」
「そうだな、お前は熊の獣人だ。俺は狼のようだ」
高橋が目の前にいた。
背の高さは同じだった。
「……」
「俺たちはもう化け物なんだ。仲良くやろうぜ、その少女を二人で引き裂いて食べるんだ。旨いぞ、きっと」
にやにやしているのがわかる。
「そうはさせるか!」
突然怒りがわき出し、翔一は高橋に爪を繰り出す。
高橋は避けようとしたが、ぎりぎり爪が引っ掛かって、胸の皮膚を破った。
「調子に乗りやがって小僧! 大人がお仕置きしてやるぜ!」
高橋が鉤爪で攻撃する。
翔一の分厚い皮が破れ、両肩をえぐられて出血する。
それからは二匹の獣の血塗れの食い合い殴り合いだった。
高橋は翔一の腹を破り、翔一は高橋の腕を縦に裂く。耳を食いちぎり、頬をビリビリと破る。
戦いは肉と骨の破壊。
しかし、やはり、翔一は子供だった。
精神が耐えきれなくなったのだ。
互いの破壊に恐怖し、翔一は後ずさりする。
「はぁ、はぁ、やっぱりガキだな。俺を殴って怖くなったのか。ビビったのならお前の負けだ。その子供を渡せ」
ニタニタしながら高橋が迫る。
ぐっと首を取られる翔一。
絞め殺そうというのだろう。
魔獣であっても、脳に血液が流れないと途端に苦しくなった。
「あ、うあ」
視界がもうろうとしてくる。
狼人間高橋の臭い息が鼻腔を衝く。
「そこまでだ、化け物!」
突然、高橋の後ろから声。
ぎょっとして高橋が振り向くと、ドスっと何かの金属が高橋の右目を貫通した。
「ぐが!」
高橋は思わず翔一の首から手を放す。
同時にバチバチと火花が飛び散り、高橋は電撃に焼かれた。
「ぐ、は!」
一瞬だが、高橋は意識が飛んだ。
「いまだ! やれ! クマ公!」
無我夢中で高橋の腹と背中を爪でえぐり、延髄を噛み砕く。
高橋は驚愕の表情を浮かべながら、無言で動かなくなった。
翔一は限界が来たのか、そのまま気を失ってしまう。
くたっと座り込んだ。
「こいつは……女の子を守っていた」
何者かの声。
パチパチ。
焚火の暖かさと、香ばしい肉の焼ける匂い。
この二つで翔一は目を覚ます。
「……ここは」
焚火の前にはタマゴロボットが座り、小枝を放り込んでいる。
串に刺したネズミのような生き物がおいしそうに焼けている。
「ようやく目を覚ましたか。いつまで寝てるんだよ」
ロボがしゃべる。
「うわ、ロボットがしゃべった!」
恐怖にかられる翔一。
「あのなぁ、あんなバイオモンスターが大暴れしたのに、ロボくらいで一々ビビッてどうするんだ」
「バイオって、そんなものだったの」
「どう見てもそうだろう。あれは大企業が作ったバイオモンスターだ。ついでにお前もな」
SF的断言をするロボ。
「そ、そうなんですか。でも、僕はそんな化け物じゃないですよ」
「諦めろ、お前、自分が今どんな姿かわかってる?」
翔一は自分の体を見て顔を触る。毛皮の感触。
「ほれ鏡」
ロボは腹を開くとモニターが出てくる。
目の部分にある三つのカメラが映す映像がそこに表示されるらしい。
モニターには毛皮の丸い子熊みたいな生き物が映っている。
「え、これ、僕?」
「そうだよ、どう見てもクマ男。哀れな改造人間だ。ここは未来世界なのだよ、たぶん」
「え、でも、なんだかこの世界は剣と魔法みたいな感じだと思うクマ」
自分を熊と意識すると、思わず語尾がクマになる翔一だった。
翔一の脳裏には白い女と邪悪な怪物男の剣と魔術のような戦いがあった。
「何、オカルトみたいなこといってんの。ねーわ。そんなの。絶対」
「でも、ロボさんも適当な未来SFっぽい感じのロボだから、ファンタジーと大差ないんじゃ……」
「失敬な、だいたい、俺はロボじゃねぇし。俺はサイボーグなの。中にはしっかり人類の脳味噌が詰まってるんだよ」
「サイボーグって、もっと人間みたいで……」
「俺は不幸な事故で全身義体にするしかなかったんだよ。その内俺の涙なしでは語れない過去話を聞かせてやるから」
「ま、まあ、その内に、ところでロボさんのお名前は」
「俺はフロール・高倉。トウキョウベイシティ警察の巡査長だ」
「トウキョウベイシティ? 東京じゃないの?」
「東京ってのは古い呼称だな。今はトウキョウベイシティっていうようになったんだよ。旧市街区はテロで破壊されたからな」
「僕の記憶てしている世界とは違うクマ、かな」
「フム、じゃあ、お前は昔からやってきたとでもいうのか」
「もしかしたら思うんだけど、僕たち異世界転生したんじゃないだろうか。僕の世界ではそういうのが創作ではやってたんだ……クマ」
「はあ? 異世界転生?」
「そうとしか思えないクマ」
「じゃあ、仮に俺たちが転生したとして、お前の出自をいえよ」
「僕は翔一。姓は思い出せない……年齢、職業……思い出せないけど、たぶん学生クマ」
「ふーん、お前記憶ないんだな。他の奴らはそれなりに覚えていたみたいだが」
「ロボさんは聞いていたの?」
「再起動に時間がかかったんだよな。俺、高性能だからしゃーない」
「安物の中華新国製とか女の人がいってましたクマ」
「外見はな。中身は超高性能だよ。というか、俺は基本的に天才ハカーだから、外見に予算はつけられんとか警察署長のデブハゲ野郎がケチりやがって……」
タマゴボティに三連カメラ、安っぽいスビーカーらしい声、腕と脚は短い蛇腹。手足は丸いぐにゃついた球……。
「どう見てもDIYくさいクマ」
「余計なお世話だ! それにしてもさっきから、クマクマいってるけどそれ止められないのか?」
「そういわれても、やめられないのです……クマ」
語尾『クマ』を止めようとしても止められない翔一だった。
「ふむ、病気では説明できないな……インプラントもないお前が脳内書き換えられるわけもないし」
フロールは翔一をスキャンする。
「熊化と同じで何かすごい存在にそうさせられていると思うクマ」
「神や悪魔の呪い? そんなことありえねーだろ」
フロールは特に考えもなく『神や悪魔の呪い』という言葉を使ったが、翔一にはその発想の方が腑に落ちた。
パチパチと焚火がはぜる。
「とりあえず、このネズミの肉でも食え」
ロボに渡された翔一はネズミと聞いて躊躇したが、空腹は極限まで来ていた。
ネズミの肉はこんがり焼けてとても旨そうな香りがしている。
串の肉を翔一はほうばった。
旨味が口いっぱいに広がる。
「ロボ、さんは食べないよね。エネルギーは何で動いているの?」
「マイクロブラックホールだよ」
「へ? なんか怖そうクマですね」
「俺が死ぬとき世界も消滅する」
「じょ、冗談きついクマ」
思わず焦る翔一だった。
「嘘に決まってるだろ。小型核兵器くらいだよ」
「そ、それなら安心……クマ? なわけない」
「そんなことより、この小娘、病気じゃないか。ぶるぶる震えてるし、水をやってもあまり飲まない。肉も当然食べない」
少女は五歳か六歳くらい。
非常にかわいらしい銀髪白肌の少女だが、顔色はかなり悪い。
「ロボさんは未来技術で何とかできないクマですか」
「まあ、待て、検索するから……うん、低血糖……これは違うだろう、発熱悪寒、これかな」
「検索できるんですか、ネットと繋がってるクマ?」
「ライブラリーを内蔵しているだけだ。今時一般情報をネットで採るとか危険行為でしかないぞ」
「へえ、そうなんだ。ところで何か治療法は?」
「ずばり、抗生物質と熱さましが必要だ」
「ない、クマですよね」
「いや、少しだけならある」
フロールは腹を開けて格納スペースから小さな箱を出す。小さな銃のようなものを出して当てると、プシュッと少女に何かが注入された。
少女は呼吸が穏やかになる。ロボはゴムチューブを出して、少女に何かを飲ませる。
「凄い、便利ですね。何でもできるんだ」
「警官だからな。応急キットは内蔵している。でも、すぐに尽きるぞ。本当の最低限しかないからだ。すぐにでもこの子を安静にできる場所に移さないと。雨でも降ったら万事休すだ」
「でも、今日はもう暗いクマですよ。明日の早朝から動きましょう」
「そうだな。おい、熊。お前が毛皮で温めて寝るんだ。いいな。でも変な気を起こしたら即裁判抜きの射殺だと覚えておけ」
「了解クマ」
翔一は少女を抱きかかえて寝る。翔一は疲れていたのですぐに眠りに落ちた。
夢の中で翔一は、日本の学校にいた。
クラスの皆が翔一を馬鹿にしている。理由はわからない。
翔一は椅子に座って頭を抱えているだけ。
「僕は何もしていないのに、なんでみんなはイジメるんだ」
翔一をあざ笑う声が聞こえる。
涙を流す翔一。
(こんな生活がいつまで続くんだ)
彼にとって学校は地獄だった。
「起きなさい翔一」
女性の声が聞こえる。
頭を上げると、どこかの海岸にいる。
後ろに暗い山、目の前には広大な海。
「ここは」
「翔一。目覚めましたね。あなたには二つの道があります」
目の前に背の高い女性が立っていた。
日本人ではない。裸に近いような服装だが、翔一は状況に頭が付いていかず、それを気にする余裕はなかった。
「二つ。どういうこと」
「一つは怒りと力の道です。それを選べばあなたの力は山すら砕くでしょう。もう一つは世界の狭間の道です。人と獣の中間の者として、異世界をつなぐ力を得ます」
「最初の方は嫌だな。力ばかりなんて」
「でも、あなたは高橋を倒した時その力に身を浸していたわ。それなしではいられなかった」
「うーん、とにかく後者の方がいいよ。力に身を任せる人生なんて嫌だ」
「あなたをあざ笑ったやつらを力でねじ伏せたくないの? 誰もがあなたにひれ伏すわよ」
そういわれると心が揺らいだ。誰かは思い出せないが、翔一を苦しめた奴らを叩きのめして土下座させてやりたい。
そう想像もしなかったというのなら、それは嘘だからだ。
「でもいいよ、そんなの、あいつらと変わらない人間になるってことじゃないかな」
「うふふ。いい答えよ。じゃあ、精霊の道を進みなさい」
翔一の前に二つの霊魂が現れる、一つは赤くて荒々しい霊魂、一つは白くて優しい光。
翔一は踏み出し後者に包まれる。
「レベル一です」
どこかで声が聞こえた。
目が覚めたら、温かいベッドで全部夢だった……。
そう願ったが、現実は残酷だ。
「ふう、目が覚めたら熊。これが現実クマ」
翔一はため息をついて起きる。少女は毛皮にしがみつていかわいい寝息を立てている。
「起きたか、じゃあ出発だ」
「フロールさん、僕はロボじゃないですから……朝食とかないんですか」
「これを喰え」
昨日と同じネズミの串焼き。
「ネズミは……」
「スタンガンで仕留めてる。当たらなくても電撃で気絶するからな、小動物くらいなら」
フロールの右手の平から銛のような先端が見えている。それがスタンガンなのだろう。
「スタンガンも内蔵されてるんですか。でも、そんな威力ある物なんですね」
「そういえば、これで犯罪者生きてたことないな……」
小声で恐ろしいつぶやきをするフロール・高倉だった。
少女は歩けそうもないので、翔一が背負う。
翔一の体のサイズは百センチくらいでフロールよりほんの少し大きい子熊に見える。口吻はあまり長くない。完全な子熊ではないが、動物に詳しくない相手なら子熊として通用するだろう。手は単なる熊より器用で、丸太い指になっている。
小柄な三人はトボトボと山を下っていく。
ふかふかの毛皮に包まれて少女はちょっと嬉しそうだった。
「君、名前なんていうの、僕は翔一だよ」
「しょ、しょういち」
ようやく少女が口を開く。
「お、喋ったぞ。俺はフロール・高倉」
「ロボさんの名前は変わってるから……」
「フロル」
「そうそう、覚えたか。ええでええで」
突然関西弁。
「君の名前は?」
「ダ、ダナ」
「ダナ?」
「ダナ! 名前が分かった万歳!」
ロボが大喜びする。
「そうだ、君ちょっと耳尖ってるけど、エルフとかそんな感じ?」
翔一は前から聞きたかったことを聞く。
「うん。ハイエルフ」
「ハイエルフ? へぇ?」
「ハイエルフというのはだな、検索してっと……イギリスのファンタジー作家が創作した古代の異種族のことだ。情報の信ぴょう性に疑問?」
「フロールさんの情報、僕の世界のネットと同じクマですね」
「仕方がない、情報がないよりましってことも多いからな」
肩? をすくめるフロール。
一行は正午まで歩く。
地形はようやく平坦となり、森がまばらになってきた。
平原が広がっているが、人の姿はない。
「なんだか、寂れた平原だなぁ。お、よく見ると建物があるぞ」
山のふもとに小さな集落があった。
一行は向かうが、百メートルも近寄ればわかる、廃墟だった。
壁は崩れ、建物も壁が辛うじて立っているだけで概ね半壊している。人の気配はない。
「地面もよく見ると耕作した形跡があるけど、だいぶん昔っぽいクマですね」
翔一は足元の石組みを指す。用水路か何かだったようだ。
「戦争でもあったのか、農民が過去に居た気配だけだ」
二人は集落を探したが、めぼしいものはなかった。
「壊れた農具くらいかなぁあったのは」
翔一は鎌と鍬の錆錆の物を持ってくる。
「おお、それでも十分役に立つぞ」
金属を受け取ると、フロールは適当な家屋の奥で作業を始める。
「しばらくかかるクマ?」
「ああ、串焼きネズミでも食べて待っててくれ」
辛うじて家の形を保ってる建物に入って、くつろぐ二人。
ダナはすぐに眠り始めたので、翔一は抱っこしていた。
いつの間にか翔一も居眠りしそうだった。
(さすがに油断しすぎだ)
そう思って慌てて起きようとしたとき、目の前に二人の人間が居ることに気が付く。
一人は男、一人は女。
ぼんやりとした姿で、二人を何ともいえない表情で見ていた。
翔一は驚いたが、同時に懐かしい感じがした。赤の他人だけど、両親に会ったような。
(この人たちは幽霊?! ……でも、悪意はないようだ……ダナの寝顔を見ているのか)
二人の感情が伝わってくる。
子供がかわいい、それだけのようだ。
二人は翔一の毛皮の頭をなでる。毛皮を触りたい。なんだか微笑ましい幽霊だった。
ふと、二人は遠くを眺めるような目をする。険しい表情。
危機が迫っている。そんな顔だ。
「おい、できたぞ、待たせたな」
フロールが無神経にやってくる。
幽霊はふっと消えた。
「ああ、幽霊が消えた」
「何だ? 寝てたのか。まあいい。じゃーん、これを見ろ」
フロールが自慢げに棍棒を見せる。鎌と鍬の金属をどうやってか溶かして、先端に巻き付けた棘付き棍棒だ。
「凄いですね。どうやってそんなものを作ったんです」
「俺は天才エンジニアだからな。内臓のレーザートーチで鉄如き飴のように加工できるんだよ」
「でも、棍棒ですか。マシンガンとかできないクマですか」
「無理をいうな、工業製品は無理だ。それに俺愛用のスーパーマグナム五十口径が見当たらないから仕方がない」
「五十口径……犯罪者の逮捕にそれって威力ありすぎクマですよね?」
「あ、俺、あんまり逮捕したことないわ、射殺したら被疑者死亡で捜査もそれで終わるから」
「暴力警官の典型クマ」
「司法が壊滅してるから仕方がないんだよ。俺の世界では。むしろ俺は被害者。本当は地域住民に愛される人情派警察官なんだ」
(人情……刃傷の間違いだと思うクマ)
「ロボさんが乱入したから幽霊が逃げたんですよ。でも幽霊さんたちはこちらの方向を気にしていたクマ」
翔一は幽霊の見ていた方向を指す。
「幽霊? そんなものは気の迷いだ。気合と根性が足りんからそんなものが見えるんだ。でも、一応その方角確認するぞ」
フロールは外に出ると壁に潜み、その方角を望遠レンズで確認する。
「かすかに土ぼこりが見える。何か集団が歩いているようだ」
「こちらに向かっているのですか」
「何ともいえんが、いるのは確かだ。もう少し行って偵察するしかないだろう」
「じゃあ、望遠鏡内蔵のロボさんに……」
「分裂は危険だ、三人で行った方がいい」
「ダナちゃんも?」
「そうだ、俺は大事なもの、守りたいものは手元に置く主義なのだ」
「寒い村に置いておくのも、よくないクマですね。僕が背負っていきましょう」
翔一はダナをふかふかの背中に背負うと、フロールと一緒にじわじわと土埃に向かっていく。
三人が見たのはある意味滑稽であり、そして、異常に残酷な光景だった。
十数人の人間と、人間と思えない何かが追っかけっこをしている。
追っている方は倍くらいの数がいた。
両者とも早くない。
逃げている側は女子供老人であり、早く歩いている程度。
追う側はボロボロの服を纏い、痩せこけた体に爪と牙。
「あれは何だろう、ファンタジーゲームで見たグールみたいな感じかな」
翔一はふと、ゲームのリアルな映像を思い出す。
追われる側は一人、力尽きる。
すると、追う側の連中に寄ってたかって、食い殺された。
犠牲者が食いちぎられる間は追う側の速度が落ちるので距離を開けられるが、化け物と化した追う側の存在は疲れを知らないようだった。
「逃げてる奴ら、迷いがあるのか、まっすぐ逃げないな」
「どこかに行きたがってるけど、邪魔されてるようにも見えるクマ」
「助けに行ってやりたいが、ダナを置いていくのもな」
「そうですね」
翔一は彼女を隠す方法はないか強く念じていた。ふと見ると、霊体が目の前にいる。手を伸ばすと、手の気配が無くなる。体をすっぽり覆うと、二人がキョロキョロし始めた。
「お、クマ公どこに行ったんだ。ダナ、奴がどこに行ったか見たか」
「目の前にいたのに消えたの」
首を振るダナ。
しかし、ダナは翔一がいる辺りをじっと見ている。
翔一は精霊をどける、
「あれ、目の前にいるじゃん。てめーどこいってやがったクマのくせに」
意味不明の批判をするフロール。
「人を隠すことを強く考えていたら、隠密の精霊が来たんです。この精霊を纏えば、ダナちゃんも見つからないクマ」
「精霊? なーにオカルト臭いこといってるんだ」
しかし、翔一が隠密精霊をダナに被せると、ダナの存在は二人に認知できなくなった。
「おい、ダナが消えたぞ」
「だから、隠密の精霊がダナちゃん隠してるクマだけで、目の前に居ますよ」
「何かわからんが光学迷彩か何かだな。フム、気を付けてみたら一応わからんこともないな。ダナが動くとそこの映像がゆがむ」
「だから精霊」
「世迷言はいい。とにかく隠れていられるなら、あいつら助けに行こうぜ」
「俺は棍棒とスタンが主武器だ。スタンガンは射出電撃ひっこめと三段階かかるので、速射性はないから気をつけろ。あてにするな」
「わかったクマ」
翔一は戦いの助けになる精霊を呼べないか強く念じてみた。
小さいが力の塊のような精霊が来る。
(武器につけたらいいのかな、とりあえず右手の爪に付けよう)
「ところで、戦に行くのはいいけど、お前、あの狼おっさんとやり合った時みたいに巨大化できないのか」
「僕、巨大化してたの?」
「何だ、気が付いてないのか、あのおっさんよりでかい熊だったぞ、今は俺と大差のないチビグマじゃん」
「じゃあ、でかくなるクマー!!!」
翔一は叫ぶ、若干、大きくなり、体長百二十センチくらいにはなった。
「なんかもっとでかかったと思うけど、まあいいか。いくぞ!」
棍棒抱えたロボットとツキノワグマ程の熊がグールの群れに突撃を開始する。
「あのちょっと思ったクマですけど」
「なんだ」
「敵二十くらいいますクマ。勝算あるクマ?」
「俺は今まで百人以上犯罪者を射殺している。心配するな」
(百人……幾らなんでも嘘だよね)
翔一は走りながら思う。
「銃がないクマ?」
「気合いだよ、気合。突貫精神があれば勝てる!」
「……」
二人は全速力、といってもロボはかなり遅いが、グール集団に追いつくと攻撃を開始する。
グールは数匹が翔一を相手しようとするが、ロボは完全に無視している。
「ちぇすとおおおおおお!」
ロボ、裂ぱくの気合で大ぶりの両手棍棒をグールの脳天に叩き込む。
意外と破壊力があり、グールの頭蓋は叩き潰れ、動かなくなった。
グールたちは生命の気配を感じて、翔一に群がっていく。
翔一は手の力精霊を頼りに右爪を振り回した。
バキ! バリ!
当たれば敵の体の骨が折れ、頭蓋は反転する。
左腕を守りに使っていたので、左腕は引っかかれ噛まれボロボロになったが、敵の攻撃は皮膚を深く破ることもなく、高橋やその他あの獣人ほどの恐怖も破壊力もなかった。
姿は恐ろしい奴らだったが。
「はぁーつまらん、こいつら、俺のこと完全無視しやがって」
フロールは棍棒を肉片塗れにしながら、作業のようにグールを殴り続ける。
真っ赤な血塗れタマゴの出来上がりだった。
暫くして、戦は終わった。
翔一は獣がするみたいにぶるぶると震えて血を飛ばす。同時に体がいつもの子熊サイズに戻った。
小さな怪我もみるみる治っていく。
走って逃げていた人たちは、唖然としてみていたが、翔一とフロールが彼らを見ると慌てて去っていく。
「あれれ、助けてあげたのに逃げるクマ?」
「仕方がない。怖いんだよ、化け物倒す化け物だってな、そんな感じで俺たちのことを見たんだろう」
「でも、あの人たちなら文明のある場所知ってるかもしれないから……」
二人はダナを回収し、少し化け物たちの死骸を調べる。
「グール共、やはり、元は人間だったんだな……ベルトポーチとか探ったら、私物とか現金とか持ってたわ」
フロールは硬貨と指輪などの小さな装飾品を見せる。
「バックパック見つけたクマ。これで多少楽できると思う」
風化寸前の代物だったが、皮革製でかなりしっかり作られていた。
「そういえばお前、熊として大型化できたんなら、人間の姿に戻れないのか。あの高橋という奴はお前を追跡しながら、適当に人間に戻ったり、化け物になったりしてたぞ」
「ロボさん、あいつ追跡してたの?」
「ああ、なんだか切迫してたからな」
「ボビーさんはどうなりました?」
「あの俺を蹴っ飛ばした奴か、どう見てもヤクザもんだから次見つけたら暴行罪と公務執行妨害で射殺……じゃなかった逮捕してやる。あの手のは社会の癌だ」
「それで見たんですか?」
「うーん、崖の上ですごい殺し合いがあった痕跡は見た。飛び散った肉片、元の形状がわからない肉の塊、辺り一面血塗れそんな感じだ。個体識別は鑑識呼んでくれって感じだったな」
「じゃ、じゃあ、エイミーさんは……」
これは自分でも愚問とわかっていた。
彼女は目の前で殺されたのだ。
「中年のちょっと美人のおばさんだろ……うーん見てないな」
「それならどこかで生きているかも……」
「獣人の生命力は凄いからな、あんたの怪我もみるみる治るし。確かに、死んではいないのかもな。そういえば高橋の死骸もなかったぞ」
思わずぞっとする翔一。
まさか、あんなに体を壊されて生きているはずがない。
「そんなことより、人間化だよ、やってみてくれ。俺たちの姿じゃちょっと信用されないだろ。誰でも第一印象というのは大事だ」
非常に説得力の無いロボットにいわれる翔一。
翔一は自分の人間の姿を必死に思い出す。
記憶があいまいなのだ。
小柄な少年。
彼が自分に覚えていることはそれだけだった。
一瞬、霧がかかって、翔一は人間の姿になる。
小柄で痩せて、ぼろぼろのシャツとジャージを着た少年だった。
「お、何ともチビで貧相なガキンチョだな。それがクマ公の本当の姿なのか」
少年が一番気にしてることをずけずけといいたてるフロール。
「ロ、ロボさんより僕は背が高いんです。ロボさんなんて一メートルくらいじゃないですか」
「俺の元は身長百九十で阿部谷寛似の超イケメン警官だったんだ。お前とは比べ物にならない」
阿部谷寛というのは高身長イケメンで有名な俳優だった。
「誰?」
「ああ、お前とは時代が違うんだったな。俺は未来、お前は原始」
「ぼ、僕はそれでも、ちゃんとした人間の姿なんです。ロボさんなんてブリキの玩具です!」
だんだん腹に据えかねてきた翔一だった。
「フ、イケメンへの嫉妬か?」
「どう見ても違います!」
「ねえ、クマたんどこ行ったの?」
泣きそうなダナの声。
「このちっさい兄さんがクマたんの正体だよ。用事が済んだら、クマたんは復活するからそれまで我慢だ」
「えーん、クマたんいないー!!」
大きな声で泣き始めるダナ。
「ええーい、うるさい。仕方がない、クマ公、クマに戻ってダナをなだめるんだ」
「はいはい、わかりましたよ」
ちょっと気を緩めたら、いつものチビクマに戻る翔一だった。
「クマクマ。戻ったクマ」
「わーい、クマたん帰ってきた!」
現金なもので、翔一が子熊に戻ったら、すぐに泣き止むダナだった。
「そういえばこの子の親はどうなったんだろう。あの場に居たってことは異世界から呼ばれてきたんだよな」
「それに噛まれてたから、獣人になるかもしれないクマ」
「今のところその雰囲気無いぞ。ハイエルフとかいう種族は変異ウィルスに耐性があるのかもしれんな」
(多分、ウィルスじゃなくて、呪いとかだと思うクマ……)
「ダナちゃん、お父さんとお母さんのこと覚えてない?」
「……」
フルフルと首を振るダナだった。
「僕も自分のことをほとんど覚えてないクマ。ダナちゃんも同じクマ」
「その内思い出すんじゃないか? 前向きに生きようぜ」
「ロボさんは覚えているクマ?」
「ああ、特に忘れていることはないと思う。俺の家族は……あれ? 出てこない。警察署の生活安全課に配属されて色々と事件に関わったのは覚えているが……」
「ロボさんも記憶が欠損してるクマ」
「そのうち、思い出すだろう。そうだ、俺には付属品があったんだ」
「付属品?」
「会えばわかる」
結局、人と接触する直前までは現状維持で接近することになった。
ふらふら歩く人々の後をつけると、山裾を流れる小川沿いに小さな丘があり、そこに向かっていることがわかる。
丘の上には土壁でぐるりと取り囲んだ小さな集落があった。
集落の周りには悪臭を放つ集団が包囲している。ちょっとした軍隊のようだった。
ゾンビといっていいような存在が五十、先ほど戦ったグールのような奴らが三十、そして、鎧を着て剣と槍盾を持った人間ではない人型生物が二十。青黒い顔に牙が見えている。背は若干低い。どうやら人間ではないが、人間のような文明を持っている存在のようだった。
集落に向かっていた人々は絶望の声を上げて、引き返してくる。
「今だ翔一、人間に成れ。ダナは静かにしてろ」
フロールは丸い手から指を立てて静かにしろッという仕草をする。
翔一は急いで少年の姿になる。
体が変容するというより、存在が入れ替わるように、人間の姿になる。
ダナはその変身を見てきょとんとした目をしているが、先ほどのように騒ぐことはなかった。
少年は難民たちの前に出る。
「皆さん、待ってください。あの集落に用事があるんですか」
「何だあんたは、俺たちはあの村に助けてもらおうと逃げてきたのだ」
一人の初老の男が返事してくれた。
ダナとフロールは岩陰に隠れてこっそり見ている。
「僕は……多分、異世界から来たのです、ここがどこかもわからないのです……」
「異世界? 何をいってるんだ。どこから来たか知らないがこの『死人荒野』に来たのが運の尽きだよ、何年も前にアンデッドが大量発生して大地が死滅したんだ。俺たちも土地を守ろうと頑張ったが、結局、ほとんどだれも生き残れない……あんたも逃げられるなら早く出た方がいい」
そういうと、老人は首を振って引き返していく。
「どこかあてはあるのですか」
しかし、老人やその他人々は疲れ切った目で少年を無視して去っていった。
少年は彼らが小さくなると、諦めて変身を解き、子熊の姿になる。
「あいつらもどうしようもない難民みたいだな。でも、あの村は包囲されてるけど、まだ全滅したわけでもないな」
フロールは望遠レンズで眺めている。
「何か見えるクマですか?」
「鋤とか鍬で武装した農民が必死に村の壁を守っている。ざっと十人くらいいるみたいだけど、絶望的だ」
「あの包囲してる奴らは何なんでしょう。ゾンビとグールはゲームで見たので何かわかりますけど、あの鎧の連中は人間じゃないと思いますクマ」
鎧を着た連中はごつごつした顔に牙がはみ出している。人間ではない。肌の色は青黒色だった。若干、背も低い。
「ホブゴブリンだよ」
「へーなんか知ってるんだ、ちびっ子のくせに」
フロールがスコープをダナに向ける。
「ゴーレムちゃんには教えてあげない」
「ゴーレムじゃねぇし、フロール・高倉! 意地悪しないで教えてくれよ。ダナちゃん」
手を合わせてお願いを始めるフロール。
「ちびっ子とかいわないって約束したら教えてあげてもいいわ」
「約束する。高級サイボーグは嘘をつかない」
「……」
(高級感が全くないクマ)
と思った翔一だったが、ここは口には出さなかった。
「ふふん。じゃあいいわ。ホブゴブリンは魔法で作られた悪いモンスターなの。人間みたいに村とか町とか作ってるわ」
「悪い……まあ、何となくわかるな。あんな村落包囲して殺すつもりなら、確かに悪い」
少女はそれ以上のことは知らないのだろう。自慢げではあったが、それ以上は何もいわなかった。
「あれがどういったものか、それを考える前に、あの風前の灯火の村をどうするかだな」
フロールはロボ腕を組む。
「どうするって……どうしようもないクマ」
「はぁ? 助けるのが当たり前だろ。お前、それでも男か」
「いや、どう見ても敵が多すぎクマです。それに、僕たちは武器も食料も……」
「心配するな、敵の武装は貧弱だ。お前が巨熊になって、俺がサポートしたら勝てる。敵のボスはなんかいい鎧着た奴だ。あいつを速攻で仕留めて、烏合の衆になったところを狩りまくればいい」
「そんなに都合よくいくクマ?」
「さっきの戦いみてたけど、お前を殺すのは相当大変な破壊力がいる。敵にはないと思う」
「でも、巨大化はちょっと……」
翔一は自信がなかった、高橋に追い詰められていた時は本気で死ぬと思っていたし、完全に必死だった。たぶん、死を覚悟するような無我夢中が必要だ。
「俺に策がある、いいから俺についてこい」
「どんな策クマ?」
「敵を騙すにはまず味方からというだろ、だからお前は俺についてきたらいいんだ」
「それって、堂々と僕を騙す宣言クマですよね?」
しかし、翔一は自信満々のフロールの作戦に、興味が湧いた。
(このブリキさんは一応未来のロボット、凄い未来兵器とかあるのかもしれないクマ)
そう思いながら彼の後を追う。
小さな二つの影はそろそろと、ホブゴブリンたちの本陣に近寄り、相当な距離にまで迫って岩陰に潜む。
ホブゴブリンたちは先ほどの難民などに気が付いてはいたが、無視しており、まずは村落の攻略を目指していた。
村落は今攻略真っ最中であり、粗末な武器で必死に村人が抵抗するが、疲れないアンデッド軍は彼らを一人、また一人と力尽きさせている。
村の壁は薄く脆く、各所が破れ、人員も非常に少ない。
陥落は時間の問題だろう。
見ている間にも、年老いた農夫が群がるグールに引き裂かれて死亡した。
新鮮な肉に群がるグールとゾンビ。
わずかな村人たちの目には破滅する絶望しかない。
翔一とフロールは元々小柄なこともあり、気が付かれてはいなかった。
「かなり近寄ったクマ、これ以上は危ないクマ!」
小声で警告する翔一。
「よし、これで十分だ」
フロールはそういうと、手足とレンズを引っ込め完全タマゴスタイルになる。
「?」
そして、
ブー! ブー! ブー!
突然鳴り響くビープ音。
「な、何をしてるクマ! そんなことをしたら……」
突然の騒音に、一斉にアンデッドとホブゴブリンたちが振り向く、その先には焦げ茶の子熊、翔一が焦りながら立っていた。
「何だこいつ! 熊だ、子熊だ。隊長どうします!」
「殺せ、食料にする、親熊がどこかにいるかもしれない、警戒を怠るな!」
隊長は冷静に判断する。
命令を聞いて、一斉にホブゴブリンたちは湾曲した刀を抜き、翔一に迫った。
「わわ、わあ! どうしよう、巨大化しないと殺される!」
翔一は恐怖の余り尻餅をつきながら、巨大化する自分を願望する。
フロールを見ても壊れたおもちゃのように明かりが消えて、ピクリとも動かない。
「フロールさん!」
翔一が必死に声をかけても反応はなかった。
ふと、目の前に精霊がいる。
赤くて血の塊のような。
敵が迫る。
翔一には選択肢がなかった。
(この精霊は!? 血の匂い……)
翔一は思わず、それを喰う。
精霊なのに、血の塊を食べたような味が口に広がる。
「があああああああ!」
翔一は、一瞬、理性が消し飛んだ。
翔一の体はめきょめきょと巨大化を開始し、かたい毛の分厚い皮に覆われる。
翔一は二メートル弱くらいの大熊に変身することができた。
「巨大化しやがった、何だこいつ!」
「化け物だ!」
「ひるむな! 弓と槍をもってこい!」
隊長の怒声。
翔一は刀と小さな盾で武装したホブゴブリンの中に飛び込むと、巨大な爪を振り下ろす。
バシュ! ぐしゃ!
盾で身を守れば、盾をかざした腕がへし折れ、引きちぎれる。
体や頭に当たれば、大きく肉をえぐり、何メートルも跳ね飛ばし、絶命させる。
ホブゴブリンたちはあまりの大熊の強さに恐怖を覚え、戦わず、逃げまどう。
「グールとゾンビを当てろ! 兵士は下がれ!」
隊長が吼えると、恐慌は治まり、魔物たちはてきぱきと動き始める。
翔一は悪臭漂うゾンビを叩き潰し、グールを吹き飛ばすが、さすがに、今度は早々簡単には倒せなくなった。
敵は恐怖と苦痛がない。
翔一の巨体を見てもひるまないし、必死にしがみつきくらいついて来る。
「ハァハァ、数が多すぎクマ」
翔一は渾身の力で敵をなぎ倒し続けるが、アンデッドはひるまない。
弓を持った敵兵が翔一を囲んでいるのが視界の端に見える。
(まずいぞ、このままでは数が多すぎる)
ふと、フロールを見ると居なかった。
(逃げたのか!? なんて奴だ!)
激しい怒りがこみ上げる。
怒りにかられると力が湧き、ゾンビをすさまじい勢いで辺りに撒き散らす。
怒りに満ちた目で、翔一は例のフロールが敵隊長の足下に転がっているのを発見した。
(???)
「何だこれは?」
ホブゴブリンの隊長は、兜の面を上げてのぞき込む。
いつの間に足元に居たのか。
つるんとしたタマゴ型の金属の球。
かぽっと中央が小さく開き、にょきっとトイレットペーパーの芯のような金属の筒が出てくる。
「おい! こっちに……」
部下に指示を出そうとしたのが、彼の最後の言葉だった。
ボン!
超高速で筒から細い金属の破片のような物質が撒き散らされる。
多数の金属片は、隊長の顔面をグズグズにつぶし、背後にいた護衛達に負傷を負わせる。
タマゴから突き出された筒はショットガンの先端だったのだ。
崩れ落ちるように死亡する隊長。
「隊長!」「隊長がやられた!」
叫ぶホブゴブリンたち。
「悪魔の罠だ、あのタマゴを壊せ!」
様々な声が飛び交う。
ホブゴブリンたちは恐慌に陥ったようだった。
フロールは手足を伸ばすと、隊長から偃月刀を奪い、
「おらー、しねー! 裁判抜きの処刑じゃー!」
などと叫びながら、偃月刀を振り回す。
非常に綺麗で切れ味の良い刀であり、金属の少ない皮鎧の手足などは、次々と怪我を負わせる。
しかし、どう見てもパワー不足。
彼らは戦い慣れしており、状況をすぐに把握した。
敵は一旦立ち止まって、半包囲する。
「隊長の敵討ちだ! あのブリキ野郎を取り囲め」
副隊長らしきホブゴブリンが指揮を執る。
フロールは包囲され、一斉に刀で叩かれ始める。
「おい! 助けろ! クマ公!」
あまりに殴られ過ぎて、セリフが飛び飛びになる。
刀でどかどか殴られても、すぐに壊れることはないようだったが、危機的な状況なのは間違いなかった。
翔一は群がるゾンビとグールを必死に跳ね飛ばし、フロールの方向に走り出す。
(あの力の精霊も来てくれたら……)
走りながら必死に思ったが、来ることはなかった。
ホブゴブたちの中に突っ込んだが、翔一はいきなり切れ味のいい刀に左腕をざっくり裂かれる。
(銀?)
刀身が普通の色と違いメッキがされているように感じた。
「グォオオオオオオ!」
吼える翔一、右手で斬りかかってきたホブゴブリンを叩くが、盾で防御される。
盾は壊れなかったが、あまりの破壊力に敵の腕が折れた様だ。
「ぐあ! なんて化け物だ!」
苦痛の表情を浮かべるホブゴブリン。
どうやら、副隊長らしい。
翔一の突撃と副隊長の苦痛の声に、フロールの包囲が解かれる。
フロールはめざとくまっていたのだ。
隙間からスタンガンを飛ばして副隊長の口に突き刺した。
副隊長は口に入った金属の矢を抜こうとするが、次の瞬間、
「……あぁぁあああ」
電撃を流されてもがき苦しみながら絶命する。
肉の焦げる匂い、失禁したらしい匂いも鼻につく。
翔一は右腕一本でホブゴブリンたちを叩き潰す。
「副隊長も死んだ!」
「逃げろ!」
指揮官を失って、敵の士気は完全に崩壊し全力疾走で逃げ始める。
「勝った……クマ?」
「油断するな! 後ろのバケモン共は健在だ!」
ゾンビとグールは士気など関係なく、血を噴き出す大熊によだれたらしながら襲い掛かってくる。
半壊した者も、そう簡単にあきらめないのがこの化け物たち。
翔一は激しい疲労を感じながらも、化け物たちを叩き潰し続ける。
彼は気が付かなかったが、体はじわじわと小さくなっていった。
フロールも無言で偃月刀を振り回して切り刻む。
最期の一匹を倒した時、翔一は疲労の余りふらふらと倒れる。
「戦場で寝るとは、まだまだ子供だな……」
フロールの声が聞こえた。
お読みいただきありがとうございます。
「転生王子」から十年くらい経った世界が舞台となっております。尚、続編ではありません。
政治的な話は少なく、個人的な戦いがメインです。
「転生王子」をお読みにならなくても、問題はないと存じますが、一読された方が世界観はわかりやすいかもしれません。
全体を俯瞰して感じますが、あまりギャグ要素は多くないですね。その期待をされている方には申し訳ないです。熊人間/少年のそれなりに過酷な話が多いです。
四月から新作を投稿すると予告しておりましたが、世間も騒然として家に籠らざるを得ない状況になっています。私の拙作でお暇つぶしして頂けるなら、少しでも早めに投稿した方がいいのではないかと考えました。
現状、下書きは八割程度進んでおりますが、修正訂正誤字脱字チェック等々考えると、やはり、前作と同じようなペースで投稿せざるを得ないかなと考えております。
では、暫くお付き合いいただけるなら幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
~2023/10/30 微修正、文章リニューアル