劇場での一幕
なお、出掛けに見えた先頭の護衛兵が銀盾と翼ある蛇をあしらった意匠の領旗を掲げていた事から、領主の存在に気付いた人々が自発的に避けてくれているのか、先程よりも円滑に車列は街路を進んでいく。
軽快な蹄の音を聞きながら振動に揺られる事暫し、件の劇場に併設された馬繋場まで至り、随行していた近衛兵の一人が丁寧に馬車のドアを開けた。
「到着致しました、陛下」
平身低頭の相手に謝意を示して降りた後、すぐに振り返ってイザナに手を差し出せば、傍に控えている御付の魔術師サリエルが隻眼を細めて満足そうに頷く。
その光景にラドグリフが一瞬だけ硬直し、屈託の無い笑顔で笑い飛ばしてきた。
「くははっ、騎士王殿が尻に敷かれているとはな!」
「いえ、旦那様は私を大事にしてくださっているだけですよ」
手を繋いだ翡翠色の瞳を持つ少女が先んじて柔らかく窘めたので、余計な口は挟まず黙して受け流す。
当の伯爵本人も奥方に脇腹を小突かれ、続けようとした言葉を無理やり飲み込まされているため、お互い様と言えなくもない。
「すまない、失言をしたようだ…… 向こうに貴賓客用の玄関がある。多少早いが席に着いてしまおう」
「あぁ、そうだな」
緩りと護衛兵に先導されて歩き出した伯爵夫妻に追随して、此方も近衛兵を引き連れ、腕を絡めたイザナの歩幅に合わせて歩き出した。
途中で貴賓席の安全を確保するため劇場の要所に移動した兵達の一部と別れて、貴賓席の区画まで赴くと…… 既に貴族風の優男と護衛騎士らしき女性が着座しており、何度か音楽祭に招待されている騎士団長の父娘が背後から疑問を呈する。
「ラドグリフ卿、今年は他にも招待客がいたのか?」
「他の貴族と同席するのは珍しいですね」
「是非にと頼まれてな…… しがない中立派の私にも付き合いくらいある」
やや溜息混じりに公演開始まで実は四半刻ほど時間がある旨を告げられ、伯爵の知己と対談の場を設けられていた事実に呆れつつも促されて座席に向かう。
此方に応じて腰を上げた二人の内、瑠璃紺色の薄いコートを羽織った優男が金糸の髪を微かに揺らして会釈した。
「色々とお手数を掛けました。感謝致します、ラドグリフ殿」
「いや、私にも利がある話だから畏まらなくて良い」
軽く片手を掲げて制した伯爵が振り返り、矢鱈と端正な顔付きの青年を此方に紹介してくる。
「帝国の皇統派に所属するヘイゼン卿の次男坊、エルベアト殿だ」
「以後、御見知り置き願います、陛下…… それに可愛らしい奥方様も」
「ふふっ、お褒め頂き、ありがとう御座います」
「これも何かの縁だ、宜しく頼む」
初見の挨拶を済ませて互いに隣席へ座れば、反対側にイザナが腰を下ろし、少し遅れて真後ろの席へ伯爵夫妻やゼノス達も着座する音が聞こえた。
そのまま視線を緞帳に遮られて見えない舞台へ向け、どうしたものかと逡巡していたら、相手の方から話を切り出してくる。
「…… 市井の噂で貴方は大和出身の稀人だとお聞きしました。この世界には不慣れでしょうが、我がアルマイン領についてご存じですか?」
「すまない、まだ西方諸国の地理には疎いんだ」
「中核都市フランクを擁する帝国中西部の侯爵領ですよ、クロード」
小声で囁いてくれたイザナの言葉に想起され、ゼファルス領訪問の際に副騎士団長から主要な帝国都市について叩き込まれた内容が脳裏を過った。
リヒティア公国の山岳地帯を源流にして、騎士国やアイウス帝国を通り抜けて北海まで到達するリーネア川沿いの大都市だったか……
「中々に良い土地柄のようだな、エルベアト殿」
「確かに河川貿易で財政は潤っています。ただ、中核都市や港町は領地西部に集中していますので不安が尽きません、実に困ったものです」
微苦笑を浮かべた様子から、“滅びの刻楷” の異形どもに西方三領地が食い破られた場合、次の被害を被るのは自分達だという雰囲気が伝わってくる。
「まぁ、為政者なら無策で災禍を待つ訳でも無いだろう?」
「勿論です、この対談含めて様々な手段を講じていますからね」
さらりと言い切った優男の態度を見る限り、彼を遣わせた父親は立場的に皇統派の貴族でも、自領の盾代わりになっている三領地の状況を悪化させる内輪揉めなどお断りな筈だ。
まだ面識のない御仁の思惑を踏まえて言葉を交わしていると、態とらしく咳払いしたラドグリフが急かしてくる。
「開演までの時間も余りない。手早く済ませてくれよ」
「それならば本題を…… 騎士王殿、近々リグシア領のハイゼル卿が動きます」
「厳しい冬の前に狐狩りの準備が整った訳だな」
女狐ことニーナ・ヴァレルも手勢の密偵や取引のある商人達から似たような話を聞き及んでいたらしく、膝元の中核都市に預けてある騎士国の駐在官を経由して、“救援要請に即応できる準備をして欲しい” との密書が先日届いていた。
従って動揺するような要素は無く、エルベアトも此方が既知であると想定しているのだろうが…… 彼女と利害関係にある皇統派貴族の次男坊から聞かされると微妙な違和感が拭えない。
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