うぅ~ あの愚弟ッ、許すまじ By レヴィア
雲一つない晴天の下、互いに庶民的な服装で昼下がりの街並みを歩く道すがら、物珍しそうにイザナが翡翠色の瞳を方々《ほうぼう》へ向ける。
「いつもは王城から見下ろすか、馬車の小窓越しですけど… 自分の足で歩きながらだと、興味深い物が多いのに気付きます」
「と言っても、普通の建物や露店ばかりだぞ」
「それが私にとって面白いのですよ、クロード」
嬉しそうに微笑んだ黒髪少女は串焼き肉などの屋台を覗き込んでいるものの、雑い食品を口にすると慣れない胃腸に合わず、場合によっては体調を崩すこともあるため、食べ歩きは厳禁されていた。
現在も健康上の問題を危惧する某女魔術師の監視下にあり、迂闊な行動を取れないのが実に面倒である。
街の要所を見遣ればサリエル直属の憲兵らが私服姿で佇み、不審な動きをする者がいないか、鋭く目を光らせているのも察せられた。
(上手く市井に溶け込んでいるようだが……)
騎士や軍人ではないイザナは気付かずとも、此方へ投げられる警戒の視線が気になってしまう。
「どうか致しました?」
「いや、特に何もないさ」
武骨な片腕に細い両腕を絡ませて寄り添い、ゆっくりと歩きながらも見上げてきた少女に曖昧な言葉を返して、王都西区の円形劇場まで移動する。
道中で何気なく隣を窺うと、瀟洒なドレス姿と異なり、ありふれた町娘の格好をした彼女が改めて目に留まった。
(いつもより、気軽に接しやすい印象だな)
などと、考えていたのは互いに同様らしく… 時折、眼差しを向けていたイザナが不意に言葉を紡ぐ。
「普段の軍服も凛々《りり》しいですけど、その格好も馴染みやすさがありますね」
「服装の兼ね合いで軍刀を帯びてないから、どうにも落ち着かない」
「それも偶には良いではありませんか」
不思議なもので人生の大半は武器と無関係な生活を送っていたが、最近はあって当たり前の “重さ” がないため、何やら本当に心許ない。
されども、王都に暮らす市民の姿で帯剣していれば不審者に他ならず、軍服姿だと目立つ上に職務中の逢引きを疑われる。
侭ならないものだと感じつつ、イザナに歩幅を合わせて大通りを進むこと暫し、複数設けられた円形劇場の出入口、そのひとつに辿り着いた。
「あれ? ここだけ、やけに空いていますね」
「サリエルが手配してくれた貴賓席の専用受付だからな、元々並ぶ人も少ない」
というより、俺達の直前に入場手続きで並び出した十数名に加え、後ろから来ている連中もすべて、隻眼の女魔術師が指揮する憲兵隊の所属だ。
それ故に高貴な少女と面識がある人員も相当数いるはずだが、巧妙な変装のお陰で勘づかれた様子はない。
(中々《なかなか》に良い仕事をしてくれる)
日頃の働きも含めて感謝を捧げ、順番が廻って来た受付でパンフレットを二冊もらい、その片方をイザナへ手渡した。
「うぅ、クロードが早く戻ってくれたら、“騎士王物語” の演目だったのに」
わざとらしい仕草で嘆くも、彼女が第三代騎士王シュウゲンの信奉者かつ、直系子孫なのは知っているので詫びておく。
「すまない、思慮に欠けていたようだ」
「ふふっ、我が儘を言ってみただけです♪」
どこか悪戯っぽく笑うイザナに手を引かれて貴賓席へ向かい、腰を落ち着けて数拍ほど置いた後、手元のパンフレットに目線を落とした。
「“空騒ぎ” か、原作はシェイクスピアだな」
「脚本家は昨冬に王都へ移り住んだ稀人と聞き及んでいます」
「英国出身のウォルランド氏だったか?」
「ん… 確か、レヴィアがそう申していました」
彼の御仁は転移前の世界でも脚本家であり、手掛けた古典作品などの質は高く、僅かな期間で王都の人々を虜にしたそうだ。
なお、その人物は偶然にも酒場で帰国に浮かれた将兵から、ゼファルス領で起きた一連の騒動を聞き齧り、近いうちに “新騎士王物語” の脚本を書くことになる。
同作品の帝国動乱編では、叶わぬ恋に身を焦がす “救世の乙女” ニーナ・ヴァレルとの一夜が描写されており、無実の俺がサリエルに捕まって問い詰められる訳だが… この時点では知る由もない。
それはさておき、小声でイザナと話し合っているうちに舞台は開幕を迎え、一般人に扮した憲兵らが周辺一帯の座席を埋める中で、物語は某国の大公が内海に浮かぶ島を訪れるところから始まった。
(ふむ、序盤は原作に忠実だな)
シチリア島などの名称が部分的に置き換わり、この世界で聞いたことのある地名になっていた程度でしかなく、独自のアレンジは控え目らしい。
(名作ではあるし、改稿する部分がない故、か?)
この “空騒ぎ” は善意の計略で騙され、互いに相手が自身を好きだと思い込まされた独身主義者の貴族ベネディックとベアトリス、知事の娘であるヒーローと貿易都市の貴族クローディオの二組を中心に展開されていく。
やがて前者の二人が恋を実らせる一方、仲人的な立ち位置の大公を快く思わない彼の弟が悪巧みして、後者の二人に罠を仕掛ける場面へ進み……
ヒーローの部屋から出てきた小間使いの娘が他の男性と逢引きする姿を見て、勘違いさせられたクローディオが婚約者の浮気を疑う一幕にて、やや離れた場所より耳に馴染んだ唸り声が響いてくる。
「うぅ~ あの愚弟ッ、許すまじ!」
「……お静かに、心の声が漏れていますよ」
「はぅ!?」
ある種の御目こぼしを受けたのか、密かに紛れていたレヴィアとフィーネの会話で頭痛を覚え、俺は俯き気味に静かな溜息を吐いた。
『続きが気になる』『応援してもいいよ』
と思ってくれたら、下載の「☆☆☆☆☆」を「★★★★★」にお願いします。
皆様の御力で本作を応援してください_(._.)_




