蕎麦屋にて、時空連続体を学ぶ
「これは……」
扉をくぐり抜けた瞬間、この世界に迷い込んで一月ほどにも関わらず、既に多大な懐かしさを生じさせてくれる和の内装に感嘆する。
「リゼル騎士国に派遣した教導技術者達から、貴方がジャパニーズだと聞いていたからね。ふふっ、その表情を見る限り、大正解みたい」
「心遣いに感謝する、普通に嬉しいな」
「あ、でも座敷席はお断りよ、正座なんて足が痛くなるじゃない」
微笑を浮かべたニーナが振り向き、板の間を眺めていた俺に気付いて、そっちじゃないと釘を刺す。確かに彼女のドレス姿では浮いてしまうだろう。
(細かく言い出したら、俺自身も内装に合ってないしな……)
大森林の戦いでボロボロになったスーツや、所持品は寝室の洋式箪笥へ大切に収めており、イザナとの婚姻以降は軍服を着込んで、薄手の外套を上から羽織っていた。
その外衣を脱いで片手に持ち、蕎麦と天麩羅の匂いに食欲を刺激されるまま、年頃の令嬢と共にカウンター席まで進み、木製の椅子へ腰掛ける。
「いらっしゃいませ、御嬢さん」
「久しぶりね、源蔵、息災だった?」
「お陰様で… そちらが例の?」
「えぇ、稀人のクロード殿、私達の同胞ね」
熱いお茶など淹れてくれた作務衣の御仁が頭を下げたので、失礼にならないよう、俺も会釈を返した。
僅かに言葉を交わした後、老齢の店主は調理場へ戻り、仕込みの段階で切り分けていた蕎麦を茹で始める。
少しの間、沸騰する湯の音だけが響く中で、ふと隣を見れば… 同席する令嬢も此方を窺っており、必然的に視線が絡み合った。
「前領主に拾われる前からの知り合いでね、頑固だけど良い奴なのよ」
「はっ、褒めても何も出ませんぜ」
茹で上がりの蕎麦を冷水に晒しながら、ぶっきらぼうに言い放った源蔵は麺の水気を切ると、二つのザルに揚げて卓上に出す。
待たせることなく刻み葱などの薬味や、特製のツユも添えられた。
「まさか、和食が喰えるとは……」
「大半の料理は再現できるんじゃない? 実は此処、地球だしね」
「…… なん、だとッ!?」
思いがけない発言に凝視するも、女狐殿はしてやったりな表情で受け流す。
折に触れて感じた食べ物や風習の類似性、断片的に得ていた地理的な情報を統合しつつ、その信憑性を検証するが… 身の丈、十数メートルに及ぶ異形の怪物、それと殴り合う巨大騎士が存在する時点で無意味な気がした。
詮無きことを考えているうちに海老や烏賊、旬野菜などの天麩羅を揚げ、綺麗に盛り合わせた源蔵が大皿を卓上へ置き、浅漬けと吸い物も並べていく。
「本来、天麩羅は一品ずつ揚げたてを出したいんですけど、私がいたら込み入った話はできないかと、お暇させて頂きます」
一通りの品を揃えてから、ひと仕事終えた作務衣の御仁は調理場より離れ、此方に見えるよう俺達が入ってきた料理屋の出入口より外へ出た。
そこの扉が閉じるまで見送り、この世界が地球だという根拠を問い質したものの、存外に器用なニーナは箸を扱って天麩羅を掴み、天つゆに浸けて口元へ運んでいる最中だった。
「ん、サクサクして美味しい、天麩羅はやっぱり海老よね」
「あぁ、そうだな」
舌鼓を打つ姿に、焦ることはないと考えを改め、俺も大皿に盛り合わされている白身魚を箸で摘まもうと… したら、割り込んだ箸にブロックされる。
「それ、私の好物だから」
「奇遇だな、俺も好物だ」
ちゃんと二人分が用意されているので遠慮なく奪い、天つゆに浸けて齧りつく。
「ぐぬぅッ、レディファーストという言葉を知らないのかしら、東洋人は!」
「…… もう一切れあるだろう、ニーナ殿の分が」
理不尽な台詞にぼやいてから、食べかけの天麩羅を口内に放り込み、余さずに味わって頂いた。
なんやかんやで残る白身魚を小さく齧り、幸せそうに微笑む令嬢を横目にして、蕎麦にも手を付ける。
「それで、地球の話だが……」
「ん~、変に説明するとややこしいかも、時空連続体って分かる?」
「三次元に時間軸を足して、四次元とする多様体だったか」
要点だけ纏めれば “空間的連続性” に “時間的連続性” を加え、宇宙規模で考えたモノが “時空連続体” のはずだ。
「概ね、その認識で構わないわ」
互いに蕎麦を啜る音など鳴らせて、現状の雰囲気にそぐわない会話を続けていく。
どうやらニーナ・ヴァレルの出した結論によると、此処は俺達の知る地球から、何処かで分かたれた並行世界の一つらしい。
時空連続体の内部で大きな変化が収束点、つまり現在に於いて起こる可能性が生まれた場合、世界は分岐するそうだ。
「小さな変化の可能性なら、別の時空連続体となる前に何某かの修正力が働いて、大抵は誰にも気づかれることなく、元の世界と統合されるけどね」
「俺がさっき白身魚の天麩羅を譲った世界があったとしても、大局に影響を及ぼさないから可能性の世界は広がらず、店を出る頃には統合されていると?」
「へぇ… 貴方、頭良いのね、説明の手間が省けるわ」
此方へ関心を見せた女狐殿は悪戯っぽく笑い、身を寄せながら問い掛けてくる。
「仮に私が無類の白身魚好きで、譲ってもらえなかったのを根に持ち、人類の天敵がいる状況でリゼル騎士国に敵対宣言するとしたら?」
「色々と影響するかもな… あぁ、バタフライエフェクトの話だな」
どこかで蝶が羽搏くだけの小さな事象でも、波及効果を重ねて想定外の結末を導き出すという、カオス理論の一種を不意に思い出した。
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