人の縁も因果応報
雲間から覗く夜半の月に照らされつつも、外套のフードで素性を隠して野営地へ戻った騎士国の兵卒らが眠りに就き、遅くまで惰眠を貪っていた頃……
臨時的に配給制となっている食料を求め、中央広場へ集まった都市ライフツィヒの住民達は飽きもせずに騒ぎ立て、為政者側への批判や不満をぶちまけていた。
「領民を、生活を護れない銃後の貴族など不要だ!」
「何が高貴なる者の義務だよ、巫山戯るな!!」
「私達はバレンスタイン家の統治を認めない!」
「次期領主には街を救った旅団長のラムゼイ男爵を!!」
声だけ大きい少数の扇動者が指標となる言葉を叫べば、其々の場所で感化された者達が次々と歓声を上げ、渾然一体となって周囲の熱気が高まっていく。
何かの弾みで宰相公爵の滞在している城郭内に雪崩れ込まないよう、広場との境目へ配置された警備部隊の中隊長は麾下の銃兵らと一緒に眼前の光景を眺め、辟易とした表情で溜息を吐いた。
「あいつら、文句だけ言って小麦や塩は持っていくんだよな」
「でも、適切な配給をしないと惨事になりますからねぇ」
“滅びの刻楷” の侵攻で領都が半壊して大量の死傷者を出した災禍に伴い、リグシア領軍は本都市を含む一帯より食料の徴発を断行しているため、内部に溜め込んでしまえば近隣を巻き添えにした暴動が起き兼ねない。
されども手渡しである以上は時間帯を指定して、敷地面積がある空間に人を呼び込む必要もあり、軍部が現侯爵家への抗議活動を主催している状態になっていた。
「… どう考えても理不尽だ」
「まぁ、手持ちの食料がある分、まだ良いじゃないですか」
「その点でも、教会が目の敵にしていた “悪魔の根” を普及させ、庶民の食卓に並べたニーナ・ヴァレル様々ですね」
仮に長期保存が利く新大陸原産の作物が帝国で食用栽培されてなかったり、今回の事態が秋の収穫期と重なったりしていたら、二次災害的な餓死者が相当数発生していたと思われる。
冬を乗り越えられない老人や子供は例年よりも増加するとの事だが、帝都発の支援物資や人口減少を加味した輜重隊と主計局の合同試算が正しいなら、何とか都市の民を食い繋がせるのは可能な筈だ。
「個人的に次の領主が女狐殿でも構わない気がしてきた」
「才色兼備な御令嬢は大歓迎ですけど流石にあり得ないですよ、中隊長」
「いや、ハイゼル様が吹っ掛けた紛争の賠償金とか、支払わなくて済むぞ」
「ははっ、それだと我々の完敗になりますね」
ある意味で市町村ごと領地を売って返済するのと変わらず、リグシア軍人の矜恃が揺らいでしまう等々… 喧騒を響かせている群衆とは別に将兵らも前途多難な自領を鑑みて、喧々諤々と持論を交わし合う。
幅広い層の者達が故郷の行末を憂慮する中で、広場近くのリグシア領軍本営にいた宰相クリストフも大天幕の内側まで届く雑音に眉を顰め、取り留めのない愚痴を零していた。
「皇帝陛下の臣民でありながら、衆愚的な思想が自らの首を絞めると理解できないのは嘆かわしいな」
往々にして知識や経験の異なる大勢の者達が賛同できる御題目など、肝心な部分を削ぎ落して分かり易く矮小化した騙し絵のようなものであり、百害あって一利すら無いとも言える。
目先の事に囚われて判断を誤ってしまえば、異界から来た得体の知れない女狐に帝国の実権を握られ、ゼファルス領の特区で横行している稀人優遇の政策が全土に及ぶ事だろう。
「せめて西方諸国の出自なら、まだ許せたのに……」
革新的な騎体技術を齎して多くの帝国臣民を生かせた政敵への畏敬、相容れない事の無念が籠められた何度目かの小さな呟きを拾い、難儀な御仁だと思いつつも傍に控えていた渦中の男爵が語り掛けた。
「閣下は… 小官が女狐殿に靡くとお考えですか?」
「この場では何とでも言えるが、帝国の将兵は巨大騎士を開発した “救世の乙女” などと傾倒しているからな、信じることはできんよ」
まだ西方大陸と海峡を挟む亡国イグラッドが健在だった頃、遠征先で初めて大型種の怪物に出遭った敗残兵達は僅か数騎で殿を務め、最後まで戦い抜いて討ち死にした当時のゼファルス辺境伯らと随伴歩兵隊の勇姿を覚えている。
その遺志を継いだ見目麗しい養女であり、なりふり構わず大盤振る舞いした先進技術で諸国に第一世代の騎体クラウソラスを増産させて、異形の怪物どもを旧フランシア王国の東部で食い止める事に貢献したニーナ嬢の信頼は厚い。
実直なラムゼイ男爵も同様のため、宰相公爵の指摘を否定せずに無言を貫き、昨日今日と悩んでいる御仁の判断を待った。
「幾ら愚かしく見えても、臣民の意に添わず造反を招くのは更に凡愚…… 貴殿を陞爵させ、リグシアを伯爵領に仕立て直すのも吝かではない。ただな、身辺調査で気になった部分が一つある」
存在な所作でクリストフは避難の際に司祭が持ち出していた出生等記録の写しを卓上へ置き、祖父が記載されるべき箇所の不自然な空白を指さす。
古くから帝都近郊の地に根差して、代々軍人を輩出してきた男爵の家系を踏まえると、唐突な情報の欠落は違和感を禁じ得ない。
「何処かの貴族にでも娘が摘まみ喰いされたのか?」
「… いえ、祖父はホルスト領の碩学者だと聞いています」
「左様か……」
裏付けは必要なもののアルダベルト老と親しい者なら、一度くらいは宴席で聞いた事のある好色な先代が使っていた呼称を耳にして、静かに瞑目した宰相公爵が口を噤む。
狐狩りに失敗したリグシア勢とゼファルス領軍の間を取り持ち、隣国の騎士王を証人として和睦させるよう皇統派の老翁に依頼した挙句、無意味に死なせてしまったのは彼自身である。
件の誘拐事件を主導しているとは露知らず、老翁の孫娘を一瞬だけ思い浮かべながら、大きく舵を切るために腹を括った。
「卿をリグシア伯爵とする旨、皇帝陛下に上奏しよう。よもや断るまいな?」
「閣下の御命令とあれば、謹んでお受け致します」
軍人らしい態度に少しの諧謔を含め、ラムゼイ男爵が堂に入った敬礼を返す。
その遣り取りを以って次の領主が定まり、矛を交えた二領間の正式な講和が会談の場で結ばれて、長引いていた内輪揉めに漸く政治的な決着が付けられる次第となった。
ちょいと長かった事後のゴタゴタも解決という事で(*'▽')




