餌付け用の御菓子は切らす訳にいかない(キリッ)
図らずも身軽になると先刻の会話に際して、一瞬だけ脳裏を掠めた琴乃が気に掛かり、俺は半分森へ隠れた野営地の内側をぐるりと見渡す。
団長騎に搭載された土魔法による二重の石柱壁で覆われた草原の作業場や、賑やかな中心部に姿がなかった事を鑑みて、暫しの黙考を挟んだ上で凡その見当を付けた。
(森の奥か… 少々、危険だな)
斥候小隊が哨戒に出ているとは言え、彼らの数名は騎乗して撤退する砲撃型の敵騎に追随して、皇統派の陣容を探りに向かったので通常よりも手薄だ。
此方と同じく相手方の間者が様子を窺いに来ていたり、狂暴な魔獣の類が浅い部分に顔を出したりする可能性も捨て切れず、単独や少数での行動は推奨できない。
「まぁ、俺も五十歩百歩だが……」
軽く呪錬刀の柄頭を撫でて、暗くなり始めた森を少し進めば樹木に凭れ込み、その根元へ座り込んだ琴乃と寄り添うイリアを発見する。
警告を兼ねて驚かすのもありかと疼いた悪戯心を抑え、不慣れな対人戦闘を終えた直後の二人や木陰に潜む隠者に配慮して、適度に鳴らせた足音で存在を報せながら近づいた。
「あ、蔵人さん、お疲れ様です」
「余り、遠征部隊から離れるのは感心しないぞ」
「ん~、ディノさんとこの斥候兵かな? 傍で見張りをしてくれているから、好意に甘えて静かな場所で心を落ち着けていたの」
意外にも余裕があるように見えた黒髪少女の言葉通り、兵卒の中には騎士階級の家系と繋がりを持つ縁者が多数混ざっている。
指揮命令系統の観点では問題を内包するものの、主家筋が少し融通を利かせる程度はできるため、最近はリーゼに感化されて面倒見の良くなってきた藍髪の騎士が気を廻したのかもしれない。
「ともあれ、気持ちの整理は済んでいるみたいだな」
「や、そんなことないよ!? まだ、騎体ごと人を殺めた実感がないだけで、鬱になると思うけど… 戦争だからと妙に醒めた自分もいて、絶賛混乱中としか言えない」
後ろで纏めた黒髪ポニテを首振りで左右に揺らし、女性士官向けの軍服姿で体育座りしている琴乃を注意深く見遣れば、その手は微かに震えていた。
ちらりと横目に確認したイリアは無言で頷き、表面上の態度ほど大丈夫じゃない事を暗に伝えてくる。
(似た境遇でも、魔導士側の精神負荷が軽そうなのは価値観の差か)
人ならざる “滅びの刻楷” との生存闘争が身近な並行世界だと、座して死を待つよりも戦いに生きると決めた時点で、相応の覚悟は完了しているのだろう。
俺も筋骨隆々な爺さんに命懸けの鍛錬を施された隠れ社会不適合者でなければ、平和が前提条件の日本国に生まれた若者らしく、真っ当に苦悩していたと思われる。
「戦闘の最中は敵を斃さないと皆に生命の危険が及ぶ、理屈じゃなく本能で身体は動くが… 事後に皺寄せがくるのは避けられない、無理するなよ」
「ん、じゃあさ、次は威嚇射撃だけでも?」
「構わないさ、もう大掛かりな戦闘は起きない予定だ」
可愛らしいさを意識した上目遣いでの要求に応えてから、軍服の剣帯に通していた小さめの革袋より、二個一組で和紙に包まれた焼き菓子を取り出して渡す。
咄嗟に両手で受け取った琴乃が包装を開くと、その隣にいたイリアも興味を惹かれて覗き込んだ。
「これって… レヴィアが偶に齧ってる餌付け用のビスケットだよね」
「要らないのか?」
「ううん、甘い物は貴重だから嬉しい」
「…… クロード様、不公平は良くないと思います」
くいっと上着が引っ張られ、物欲しげな魔導士の少女に見詰められてしまう。
残りの個数は少なかれども、ヴァレル家と取引のある商人達がゼファルス領軍に帯同しており、彼らの設営した酒保へ立ち寄りさえすれば補充できるため、イリアにも同じ焼き菓子の包みを手渡した。
そのまま小動物のようにビスケットを食む少女二人を眺めて癒されつつ、ふと騎士王の立場で然したる用事も無いのに同盟相手の陣地へ赴き、仮設店舗に直行して嗜好品を買うのは如何なものかと思案する。
(ほぼ確実にライゼスの説教を喰らうな、小一時間ほど)
神経質な副騎士団長は論理的かつ、反論の余地がない言葉攻めをしてくるので、軽々に地雷を踏み抜いて怒らせるのは得策と言えない。
亡き親友の一人娘である故か、イザナですら迂闊な言動を厳しく咎められて、しょんぼりしている姿を見たこともあった。
(君子危うきに何とやら……)
彼の御仁が “歯に衣着せぬ” 主義なのは得難い諫言に繋がるから良いとして、問題のありそうな行為を敢えて実践する愚は犯さない方が無難だ。
何らかの理由でレヴィアの機嫌を損ねた際、宥め透かすためのお菓子は誰かに頼んで購入してもらう算段など立てていたら、小さな葉擦れの音が斜め後方より聞こえてくる。
「レインか、どうした?」
「いえ、その… 陛下ではなく、琴乃達を呼びにきました」
「あたし?」
「あぁ、露天風呂が頂けるみたいなんだ、仲間外れにはできないだろう」
嬉しそうに誘い掛ける猪突な女騎士の手を取り、緩りと立ち上がった琴乃は軽く頭を下げて、相方のイリアと一緒に野営地へ引き返していく。
これは余談だが、汗と油に塗れた整備班の錬金術師らも汚れを落としたいと主張し、一時的に荷馬車を解体した資材で木枠鉄底の五右衛門風呂を二つ組んだ事から、俺も身綺麗な状態で眠りに就けたのだった。
……………
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…
五右衛門風呂、構造は簡易ですけどしっかりと使える名品ですよね~
遅筆ながらもボチボチと更新してます(੭ु ›ω‹)੭ु
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