カエルの魔女
童話風ファンタジーです。カエルのような声をした女の子が主人公です。
読み切りですが、拙著「幸せのクローバー」( https://ncode.syosetu.com/n2962es/ )とリンクしています。
口を開けばゲコゲコと、潰れたカエルのような声でした。
指をさして、腹を抱え、みんな笑い転げます。
「あいつはカエルだ。カエルの魔女だ」と。
「どうして、おかあさん」とカエルの魔女は聞きました。
「わたしはカエルじゃないし、まほうも使えないよ」
「あのね、わたしたちのようにくすりうりをしている女はね、魔女と呼ばれてしまうの。領主さまに見つかってしまうと、火あぶりになってしまうのよ」
「どうして、おかあさんのおくすりはすばらしいわ。わたしのやけどを治して、声がでるようにしてくれたわ」
カエルの魔女は、幼いころ、せっかんで焼けた火箸を喉に押し当てられて、声が全く出なくなっていたのでした。
それを、わかいくすり売りの女が引き取って、まま母となりここまで育ててきたのでした。
「わたし、おかあさんのような、すばらしいくすり売りになるの」
血のつながりがなくても、わかいくすり売りの女は、カエルの魔女にとって大切な家族です。
「わたし、おかあさんのこと、大好きよ」
ゲコゲコとカエルの魔女は笑いました。
わかいくすり売りの女もほほえみました。
女はいつも、カエルの魔女に言って聞かせていました。
「私たちはみんな、心の中に小さな神さまを宿しているの。迷ったら、神さまの声に従いなさい」
幼い魔女には、よく意味がわかりません。ただ、もしも神さまがいるとしたら、それはおかあさんの形をしているのだろうな、と思いました。
おかあさんと魔女は、あたたかくてやさしい時間を過ごしていましたが、それは長くは続きませんでした。ある日領主さまに見つかって、わかいくすり売りの女は、火あぶりにされてしまったのです。
幼いカエルの魔女はひとり取り残されてしまいました。
カエルの魔女は、顔をマフラーですっぽり覆い、おばあさんのようなしゃべり方をして、ひとり旅を続けました。
おかあさんのような、すばらしいくすり売りになるのが、カエルの魔女の夢だったからです。
口を開けば、誰もカエルの魔女が幼い娘だと思わず、とうぞくやおいはぎも捨て置いてくれました。それで、なんとか旅を続けることができました。
何年か経って、カエルの魔女も年頃の娘になりました。
そのころ、カエルの魔女は、森にすむある男の小屋に出入りするようになりました。
男は、幼いころに両親に捨てられ、誰からも受け入れてもらえず、一人ぼっちで森の中に住んでいるのです。それでいて、男は誰のことも恨んでいないのです。そんな男に、カエルの魔女は、淡い思いを抱いていました。
「あんたに、幸せが訪れますように」
男の小屋を訪ねるたびに、カエルの魔女はよつばのクローバーを贈りました。潰れたカエルのような声の自分には、ふつうの娘のような幸せは望めないでしょう。
だからせめて、男の幸せを祈りたかったのです。
ゲコゲコと鳴いて、男を元気づけてやりたかったのです。
ある日のこと、男は突然、長いあいだ家を空けました。
心配する魔女のもとに、すっかり弱り果て、死にかけた男が運び込まれてきました。
荒野の真ん中で、行き倒れになっていたというのです。
息を吹き返した男は、カエルの魔女にはじめて、幸せを祈る言葉をくれました。
ありがとうと、何度もお礼の言葉をくれました。
魔女は、とてもうれしくなって、思わず、自分の身の上も明かしました。
カエルの声は、幼いころに負ったやけどのせいである、と。
自分はまだ、年若い娘なのだ、と。
すると、男ははっとしたように黙り込みました。
おびえたような目で、男は魔女を見ました。そして、かすれた声で言いました。
「すまない」と。
すべてを語らなくても、魔女は悟りました。
それは、拒絶の言葉でした。さよならの合図でした。
カエルの魔女は、森の小屋を去って、またあてなく旅をはじめました。
しかしあるとき、領主さまにつかまってしまったのです。
領主さまは、魔女を火あぶりにするのです。カエルの魔女のおかあさんも、生きながらに火に焼かれて、苦しんで死んでしまったのです。
恐怖におびえるカエルの魔女に、領主さまは言いました。
「お前の声は、役に立つ。いいか、今後一切、くすりなど作るんじゃない。くすりさえ作らなければ、お前は魔女ではないから、生かしておいてやる」
カエルの魔女はみせもの小屋で、ゲコゲコと鳴きました。
人々は指をさし、腹を抱え、大笑いしました。
みせもの小屋には、しっぽの生えた子どもや、首の長いヘピ女、ゴリラのような毛並みの男など、変わった者たちが捕らえられ、みせものにされ、笑われていました。
「人はみな、日々つらい生活を耐え忍んで生きている」
領主さまは言います。
「だから、お前たちのようなものが必要なのだ。お前たちのように、神に見捨てられた獣のようなものを見て、人は笑い、安堵し、つらい生活を耐え忍ぶことができるのだ。とうとい犠牲なのだ」
魔女は、人々の前でカエルになっているときと、一人きり、部屋の隅でヒトに戻って泣いているときと、どちらが本当の自分か、分からなくなってしまいました。
あるうわさを聞きました。
森に住んでいる男のすみかには、「幸せの青い鳥」がいる、と。その姿をひとめ見るために、何人もの人が森を訪れている、と。
また、こんな話を聞きました。
森にすむ男は、物や人の心の声を聞くことができるようなのだ、と。
よつばのクローバーや青い鳥、星の声を聞くことができるのだ、と。
そして、その話を聞きつけたえらい人やとうとい人が、その力を頼みに、男を召し上げたというのです。国を大きくするために、相手の手の内を読むことは、とてもだいじなことなのです。
男は、貴族になり、広い屋敷を構え、たくさんのお金を得て、幸せになったというのです。
一方の魔女は、あいかわらず、毎日ゲコゲコとカエルになって、人々に笑われていました。
きっと、カエルの魔女を笑っている人たちも、つらい立場に置かれているのです。首輪をつけた人間を憐れに思えないほどに、追いつめられているのです。
ある日のこと、しっぽのある子どもが、倒れてしまいました。
ひどい熱で、まったく目を覚ましません。このままだと、死んでしまいます。
「わたしのくすりなら、治せるかもしれない」
カエルの魔女は思いました。
しかしそうすると、魔女は領主さまに火あぶりにされてしまいます。
生きながら焼かれるおそろしさに、カエルの魔女はおののいてしまいました。
「わたしは、カエル……。くすりなんか作れない」
しかしそのとき、熱におかされた子どもが、うわごとで言ったのです。
「おかあさん」と。
魔女は、はっと目を見開きました。とおい昔、あたたかくて幸せだったころに、わかいくすり売りの女が教えてくれた言葉を思い出しました。
「私たちはみんな、心の中に小さな神さまを宿しているの。迷ったら、神さまの声に従いなさい」
カエルの魔女は、自分の心のなかの神さまの声を聞いてみました。心のなかの神さまは、おかあさんの形をしていました。そうです。カエルの魔女は、火あぶりにされる危険をおかしても、人々のために薬草を作り続けたおかあさんのような、すばらしいくすり売りになりたかったのです。
魔女は夜の森に飛びだしました。くすりにするための薬草を採ってくるのです。
夜の森は虫の音さびしく、フクロウの声がほうほうとこだましていました。
満月でした。
月明かりに見守られて、ひっしに薬草を探していた魔女のもとに、闇の向こうから立派な馬車が走ってきました。
「もし、こんな時間になにをなさっているのです? ここは、主人の森です」
馬車から飛び降りてきた少年が、声をかけてきました。
その目は、左右の色が違うオッドアイでした。魔女は驚いて、ぱちぱちと目を瞬かせました。見まちがいかと思ったのです。
「勝手に入り込んで、すみません。ひどい病気の子どもがいるのです。くすりを作ってやりたいのです」
魔女のカエルのような声に、オッドアイの少年はぱちぱちと目を瞬かせました。
しかし、ひとつ頷くと、すぐに馬車に引き返して行きました。
「主人が問うています。病気の子どもはあなたの子どもですか?」
「いいえ、ちがいます」
「くすりを煎じる魔女は、火あぶりにされてしまうんですよ」
「分かっているわ」
「あなたは、自分と何のつながりもない子どものために、命を投げ出すのですか」
「もしも、目の前で苦しんでいる子どもを見捨てたら、きっと、わたしの心は死んでしまうでしょう。どうせ死んでしまうなら、人間として誇りある生き方をして、死にたい。お願い、死にゆく者の最後の願いだと思って、どうか薬草をつませてしょうだい!」
少年は、魔女がなにか言うたびに、馬車に駆け寄り、主人の言葉を伝えました。
最後には、分かりました、お気をつけてと言って、そして馬車は、闇の中に去って行きました。
魔女は採って来た薬草でくすりを作り、しっぽのある少年を助けました。
そしてその咎で、領主さまに裁かれることになってしまいました。
「バカなカエルだ。そんなサル一匹、捨て置けば、命失わずにすんだのに」
「わたしは命を捨てるんじゃない。わたしの心に宿る神の声に従ったの」
ゲコゲコと潰れたカエルのような魔女の言葉に、人々はどっと笑いました。
魔女は、十字架の前に引き立てられました。
薪に油がまかれ、火がつけられようとしました。その時です。
「その命、オレが買った」
貴族の身なりをした男が、魔女の腕をとって引き戻しました。それが誰なのか、魔女にはすぐに分かりました。しかし、すぐには信じられませんでした。
立ちつくす魔女の服の裾を誰かが引きます。あの夜のオッドアイの少年でした。
「もう、だいじょうぶですよ」
領主さまが驚いて立ち上がりました。
「お前、人や物の声が聞こえるとかいう、成りあがり者か」
「そうだよ。お楽しみのところ悪いが、聞いた通りだ。これが、金だ」
男は、重そうな袋を領主さまの足元に放り投げました。
おびただしい量の金貨が床にぶちまけられました。
「こんな金ですむなら、いくらでもくれてやる。あんたこそ、誰かの楽しみのために、誰かの命を犠牲にする……こんなこと、やめるんだ」
「お前は、なにも分かっていないな」
領主さまは、物悲しげにため息をついて、諭すように言います。
「領主というものは、秩序を保たなければならん。秩序を保つためには、人々の心を満たす必要がある。では……心を満たすものはなんだ? 食べ物、家、着るもの、すべて金じゃないか。金が心を満たすんだ。だとすれば、金のない者はどうすればいい? どうやって、すさんだ心を埋め合わせればいいというんだ?」
領主さまは、床に散らばった美しい金貨を手に取りました。
「心の隙間を埋め合わせるために、必要な犠牲なんだ。こいつら役立たずの命を、有効に使ってやっておるわけだ。感謝してほしいくらいだ」
そうだ、そうだ、と声が上がりました。
男は悲しそうに首を振りました。
「それは、誰かを笑って、ほんとうの自分の心から目を背けているだけだよ。誰かの犠牲の上に得られた幸せなんて、そんなのは幸せじゃない」
男は領主さまを見ました。
魔女の火あぶりの様子を一目見ようと集った、多くの人々を見ました。
「それは、甘えてるっていうんだ。ここにいる全員、とんだ甘ったれだ」
広場は、しん、と静まり返ってしまいました。
男は、次々と金のはいった袋を積み上げていきます。こんな大量の金貨、誰も見たことありません。
「領主は秩序を守るもの、と言ったな」
男の声だけが響き渡ります。
「だったら、その秩序とやらに従ってやる。ここでは、人の自由は金で買えるんだよな。みせもの小屋の全員分の命、この金と引き換えだ」
最後に領主にだけ聞こえる声で囁きました。
「あんたが秩序を守るものなら、誰かの自由を犠牲にしないで、この金でまずしい人たちの心を埋めてやってくれよ」
そして、魔女の手を引いて、歩き出しました。
奇妙な一行でした。
貴族の身なりをした男を筆頭に、カエルの魔女、オッドアイのち少年、しっぽの生えたサル、首の長いヘビ女、ゴリラのような男、まるでハロウィンの仮装集団のようなありさまです。
カエルの魔女は、男に手をひかれるままに、とぼとぼと歩いていました。
魔女は途方にくれていました。
命を救われたのですから、本当はお礼を言うべきなのです。しかし、言えませんでした。自分はカエルの声しか出せないのに、カエルの声では言いたくなかったのです。誰に笑われても男にだけは、カエルの声を、笑われたくなかったのです。
「すまなかった」
しばらく無言で歩いた後、男はぽつりと言いだしました。
それは、森の中でひとりで住んでいた頃の、自分の境遇を誰も責めずに抱え込んで悲しんでいた、おくびょうで優しい男の声でした。
「みせもの小屋のことは、知っていたんだ。だけど、よその領主のやることに口出しできなくて……すべてを投げうつ覚悟もなくて……見て見ぬふりをしてきたんだ。今日まで、つらい目に遭わせて、すまなかった」
魔女はふるふると首を振りました。みせもの小屋のことを、見て見ぬふりをする人はたくさんいました。男が特別に冷たいわけではありません。
「あの夜、あんたの話を聞いて、思ったんだ。もし、あんたをあのまま死なせちまったら、オレの心はたぶん、死んでしまう。いまさらどんな顔して会えばいいのか、分からなかったけど、オレも自分の心の神さまとやらの声に、従ってみたよ」
魔女は、男の言葉に戸惑いました。
男は、魔女の境遇を聞いて、「すまない」と言ったのです。拒絶の言葉を伝えたのです。
どうしていまさら、「心が死んでしまう」なんて言うのでしょう。
「あんたに、もうひとつ、謝らないといけないことがある」
魔女の心臓がどきんと高鳴りました。
「オレは……オレは昔、あの森の小屋で、あんたの声を聞いて、なんておかしい声だって、心の中でバカにして見下していたんだ。自分の心がさびしいのを、あんたを笑って紛らせていたんだ。甘ったれていたんだ。あの領主に、えらそうなことなんて、本当はひとつも言えないんだ。……すまなかった、本当に」
何かを言わなければならないと思いました。何も言えませんでした。
心にひっかかっていたわだかまりが解けて、じんわりとあたたかい気持ちがこみ上げてきました。
「オレは、どうやら人や物の心の声が聞こえるらしいんだ。それで、いろんな人に逢って、いろんな人の声を聞いた。えらい人の声もとうとい人の声も聞いてみたんだ、けど」
魔女の手を握る男の手に、力がこもりました。
「あんたの声が一番きれいだ」
魔女は、ぽかんと口をあけました。
男はあわてたように、続けました。
「金も屋敷も土地もぜんぶ手放しちまったけど、あの森だけは、残してあるんだ。あそこでよければ、一緒に暮らさないか。――みんなで、一緒に暮らそう」
ありがとう、と言いたかったのです。
けれど、口から飛び出したのは、カエルが潰れたようなゲコゲコとしたなき声でした。
男は振り返ってこちらを見ると、笑ったようでした。
そして、握った手を優しく引くと、カエルの魔女にキスをしました。
森の中の小さな小屋に、男と魔女とガラクタと、ゆかいな仲間たちが住んでいます。
みせもの小屋のものたち、行くあてのないものたち、追い出されたものたち、たくさんの人が流れ着いてきます。
男は自分が捨てられたことがあるので、行き場のない人が来ると放ってはおけないのです。
みるみるうちに、森には小さな集落ができました。
そこにはいつも笑顔があふれ、いつまでも絶えることなくあふれているのでした。