98:実は舐められてるだけだったりして
テーブルの上には義姉お手製のドーナツが乗っていた。
「これ、豆乳とおからで作ったのよ? テレビでやってたのを見て実験してみたの」
へぇ、と答えて一口齧ってみる。バニラの甘い香りがした。
周は向かいに腰かけている美咲を見ていて、ふと思い出したことがあった。
「女将さん、あれから具合はどう?」
「実は今朝、電話してみたの。もうバリバリ働いてるって言うから……ちょっと心配なんだけどね。だいぶストレスが溜まっていたみたい」
「大変なんだろうな、旅館の女将って」
ほんの短い時間ではあったが、アルバイトをしたことのある周にだって、女将業がどれほど大変な仕事なのか理解できるつもりだ。
「そうね。私たち仲居より、ずっと大変よ。従業員をまとめないといけないし、それ以外にもたくさん仕事があるから。それに……皆が協力的って訳じゃないし」
そう言って美咲は溜め息をつく。
「……女将さんって、皆に好かれてる感じがしたけど……」
少なくとも周の印象では、柔らかい物腰と口調で、キツイ言い方など一切しない。
他の仲居達がいたって気軽に彼女に話しかけている様子を見て取った。
「ええ、もちろん。私を含めて慕っている人は多いわ。でも、そうじゃない人もいるのは事実よ」
その会話が引き金になって、さっき考えていたことを思い出してしまった。
「……どうしたの? 周君」
周は紅茶を一口飲んで、深く息をつく。
「義姉さんはさ……誰かにひどく嫌われたとか、憎まれたってこと、ある? 別に何か悪いことをした覚えはないのに」
すると美咲は、
「そんなの、子供の頃から日常茶飯事だったわ」
驚いて周は思わず義姉の顔をマジマジと見てしまった。
信じられない、というのが最初の感想である。
彼女は優しくて人当たりも良い、とても穏やかな人だ。好かれることはあっても、嫌われるなんて……。
「嘘だろ?」
「本当よ。たぶん、味方してくれる人よりも敵の方が多かったわね」
「なんで……?」
美咲は苦笑して見せる。
「話すと長くなるからやめておくわね。ただ、これだけは言える。たくさんの【誤解】があったってこと……」
そうして思い出してしまった。
いくら政略結婚だったとはいえ、他に男を作って浮気しているような、そんなふしだらな女性だと聞かされて信じてしまったこと。
過去の自分の子供じみた行動。
何の言い訳も反論もしなかった義姉。
俺はなんて小さい人間なんだろう。
「周君……?」
美咲は立ち上がって、周の隣に座り直した。
「やっぱり学校で何かあったの?」
「そうじゃ……ないけど、俺……」
心配そうに顔を覗き込んでくる彼女から目を逸らし、周は横を向いた。
「私ね、周君。数の問題じゃないんだって思ったの。例え10人に嫌われていても、たった1人でも味方してくれる……愛してくれる人がいれば、それだけで生きていけるんだって。誰からも好かれる人なんていないのよ。だって私達みんな、何かしら欠点があるんだもの……それを許せるかそうじゃないか、それだけなのかなって」
「許せるかどうか……?」
不意に温もりを感じ、手元を見ると義姉が自分の手を両手で包んでいた。
「私は、何があっても周君のこと大好きよ? 今も、これからもずっとそう……」
その時、周には「うん」としか言えなかった。
ありがとう、と本当は伝えるべきだったのに。




