89:脳内変換
それから芳江さんはぽん、と手を叩く。
「そうそう、思い出した。お祖母ちゃん、ニュースを見ながら昔話しよってん。昔、すぐ向かいに住んどった猪又の家はもう、滅茶苦茶でねぇ。そういう意味では気の毒じゃったみたいで……いずれはグレて、ゴンタになるじゃろ言うとったけど……」
【ゴンタ】と言うのは和泉にもわかる。
大阪から西ではヤクザ者のことを、そう呼ぶこともある。
「若い頃に何か事件を起こして、広島まで逃げた、ちゅうふうに聞いとるけどね」
「子供の頃に親しくしていた、あるいは……学生時代に親しかった相手など、ご存知ではありませんか?」
すると芳江さんは首を傾げ、
「私は他所者じゃけん……あまり詳しいことは知らんのですよ。お祖母ちゃんが戻ってきたら、通訳しますけんな」
余計に混乱しそうだが……。
その時、庭先に一台のライトバンが入ってきた。
ボディにデイサービスのロゴがプリントされた車から車椅子に乗った老婦人が降りてくる。
白髪を一つにまとめ、きちんと和服を着ている。顔にもしっかりと化粧が施されており、頭はハッキリしているようだ。
「お帰り。お祖母ちゃん、お客さんだが」
老婆はこちらをジロリと見ると、
「芳江さん、お茶ごしならんか」
はいはい、と広島から来た嫁は奥へ引っ込む。
先ほどからのやりとりで「ごしない」および「ごせ」などは「ください」もしくは「ちょうだい」の意味であろうことが予測できた。
「藤子さん、今朝……電話で伝えとったが? 猪又辰雄のことで、教えて欲しいことがあるだぁな。こちら広島から来なった刑事さん達。話を聞かせてあげてごしならんか?」
大迫が少し大きめの声で話しかけると、
「広島かぁ?」
「そう、広島」
「がいに遠いところから来なったな」
前後のやりとりから察するに「がいに」とはおそらく「ずいぶん」の意味だろう。
「そげだがん。だけんな、あんまり時間がないんよ。猪又の倅のこと、知ってることを話してあげてごさんか」
「……けぇ、きしゃがわりぃのぅ」
「まぁ、そう言わんと」
どうやら老婆は猪又を良くは思っていない様子だ。地元の刑事がとりなしてくれる。
「こちらの刑事さんたちゃ、わざわざ新幹線と特急を乗り継いでここまで来なっただが? それを手ぶらで返したりしたもんなら、鳥取の人間は器がこまいちゅうて、ええ評判にならんがや」
「こまい」とは「小さい」の意味だろうか。
なんにしても心強い援護射撃である。
和泉は胸の内で彼に礼を述べておいた。
「そげに言うならのぅ……」
そうして藤子さんと呼ばれた老婆は、話し出した。
方言がきつく、早口だという話は本当だった。
その上、通訳もやや分かりにくい。
申し訳ないが齟齬があるといけないので、何度も確認してどうにか和泉はメモをまとめた。
結果として。
猪又は荒れた家庭に育ち、高校まで入学はしたものの、校内で他の生徒に怪我を負わせたことがきっかけで中退した。
その後、米子市内で日雇いの仕事をしていたがそれも辞めて、知り合いの伝手を辿って広島に流れ着いたのだそうだ。
猪又にはこちらで親しくしていた人物がいた。
やはり近所に住んでいた【ゆかり】という名の少女。同じ年齢で、どちらも同じ高校に通っていたらしい。
和泉はその【ゆかり】という名前を、最近どこかで聞いた気がしてならなかった。
幼馴染みで親しくしていたなら、もしかすると出所後にその女性を頼って行った可能性も考えられる。
老婆から聞けた話は以上だ。
「ゆかりさんの、今の居場所はわかりますか?」
知らない、とつれない返事。
ややあって、
「刑事さんや」
老婆と言っては失礼だろう。
藤子さんはすっかり皺の寄った瞼に埋没した瞳を光らせ、こちらを見つめてくる。
「それで、誰が辰雄を殺したんか?」
ただの好奇心なのかそれとも、少しぐらいは同情な憐憫を覚えているのだろうか。
その表情からは読みとることができなかった。
どうしますか? と、駿河が目で訊ねてくる。
和泉は答えた。
「鋭意捜査中ですよ」
それから和泉達は礼を言ってそこを辞した。
再び長閑な田園地帯を車に乗って走りだす。
「この後は、どげんしますかいな?」
「もう少し……猪又のことを知っている、同級生などに会えればいいのですが」
鳥取の刑事はふむ、と唸った後、
「猪又が中退したっちゅうのは確か、米子東高でしたな~……あそこは昔から、ヤンキーが集まるので有名な学校でしただ」
「そうですか。もしかして、その学校に勤務していた教師だとか、OBなどは分かりませんか?」
すると米子の刑事は得意げに、
「おまかせください」
そう答えていったん、ハザードランプをつけて車を路肩に停めた。
それから彼はどこかに電話をかけ始めた。
しばらくして、
「境港に、猪又の同級生の女性がおぉなるそうだが。お会いになりますかいな?」
「ぜひ」




