88:山陰弁プラス広島弁
猪又の郷里は鳥取県西伯郡伯耆町岸本。
米子駅で降りてくれと言われていたので、その通りにすると、駅前に一台のセダンが停まっていた。
「広島県警の方ですか? 私、鳥取県警米子中央署刑事課の大迫と言います」
小柄で痩せた若い男性が出迎えてくれた。
和泉達は名刺を取り出し、挨拶を交わした。
「よーきんさった。お話は聞いちょりますけん、乗ってごしない」
「……?」
「あ、どうぞ乗ってください」
山陰の方言は独特だと聞いたことがあるが、標準語でしゃべってもらわないとまったくわからない。
「えーと、照会のあった人物……猪又辰雄でしたかね? もう生家はないんですが、近所に昔のことをよぅ知っとる人がおってですけん、その方にお話を聞きなるとええ思いますよ」
だだ、と彼は続ける。「方言がきつて、その上がいな早口ですけん……ちょんぼぉ聞きとりにくいかもしれんですが」
この人のしゃべり方でも時々「?」と、思うのに……今から不安を覚えた。
四方を山に囲まれた長閑な田舎町を車はひた走る。交通量はそれほど多くないというのに、綺麗に整備された道路が通っているあたり、どんな政治的配慮があったのだろうかなどど、余計なことを考えていたら、とある集落へと到着した。
「この辺が岸本町ちゅうて、まぁ、ご覧の通り何もないとこです」
確かにまわりは一面田んぼや畑で、どんな田舎町にも存在するパチンコ屋すら、影も見えない。ところどころ竹藪もあり、昼間でも薄暗い箇所があったりもした。
「広島も、山奥の方はだいたいこんな感じですよ?」
「そがか~……あ、あそこの家です」
この辺りの家はすべて農家なのだろう。古いが、敷地面積は異様に広い日本家屋が建ち並び、敷地を囲む用水路を流れる水の中に鯉が泳いでいる。
「こんにちは~」
米子の刑事は勝手知ったる家なのか、ずんずんと古い城のような門をくぐって奥へ踏み込んで行く。
「藤子ばぁちゃん、おーなってかのぅ?」
今、なんて言った?
するとしばらくして、エプロンをした中年の女性が奥から出てきた。ふっくらとした体型で、ニコニコ笑顔を浮かべている。恵比寿様みたいだ、と和泉は思った。
「あら、大迫さん。こんにちは。おばあちゃん、今日はデイサービスの日じゃけん、今はおらんのよ。もうじき戻ると思うけど」
おや? と和泉は思った。この女性の話し方には少し馴染みがある。
「あらまぁ、色男を2人も連れて!! どげしただねん?」
「藤子ばぁちゃんに訊きたいことがあるんじゃって」
「ほんならまぁ、上がってごしない。今、お茶淹れるけんね~」
「彼女はこの家のお嫁さんで、芳江さん言います。広島から嫁いできなったけぇ、ちょっこーおかしな話し方しなってなぁ……」
お前が言うな。和泉は胸の内で突っ込んでおいた。
都会のマッチ箱のような狭い家に比べて、田舎の住宅は玄関一つとっても広い。
昔見た、古い映画の舞台のセットのように天井が高く、上がり框は大の大人が腰かけても充分収まるほどのスペースがある。
芳江さんはお盆にお茶を3つ乗せて、玄関に戻ってきた。
「どっから来ちゃって?」
「広島です」
「まぁ!! 私もねぇ、生まれ育ちは広島なんよ~。まァ嬉し!! こっちに嫁いできたら、かなり訛りがおかしゅうなってねぇ……」
確かに。
「芳江さん、あんた……猪又辰雄のこと、ちょんぼーでもええがなんぞ知っとる?」
鳥取の刑事が訊ねてくれる。
「猪又辰雄さん……? さぁ、聞いたこともないわぁ」
「昔、このすぐ近くに住んどったんじゃが」
「……もしかして、お祖母ちゃんがよう、きしゃがわりぃが言うとった人かなぁ?」
記者が悪い?
確かにマスコミ関係者なんて皆、図々しくて、とても善人には思えないが。
「思い出したわ!! こないだニュースになっとった人じゃろ? なんじゃ、殺されたらしいじゃん……」
「そげそげ。その猪又のこと……」
あの、と和泉は大迫に耳打ちした。
「きしゃがわりぃ、というのは?」
「気分が悪いとか、不愉快だとかいう意味です」
なるほど。




