83:意外と聞こえてたりするんだわ、これが。
藤江賢司は連れである教授らしき人物に、先に行っていてくれと言う。
それから、にこやかにこちらを振り向く。
「こんな時間までお仕事ですか?」
「休憩時間だよ、今は。それじゃあな」
友永は駿河の手を引っ張り、さっさと立ち去ろうとする。
「待ってください。少し、お話が」
彼と話すことなど何もない。
駿河としてもさっさと立ち去りたかった。それなのに、
「昨日の、弟の同級生が殺害されたという事件のことで」
賢司の口から思いがけない単語が飛び出してきて、駿河と友永は顔を見合わせて足を止めた。
「実は、学校からの通知で事件を知りまして、犯人は既に逮捕されたとのことですが、本当ですか?」
「……ニュースか新聞をご覧ください」
報道では既に犯人が現行犯逮捕されていること、意味不明な供述を繰り返している、それだけが伝えられているが、彼は何も知らないのだろうか。
すると藤江賢司はこちらの疑問に答えるかのように、
「実は仕事が忙しくて、ニュースも新聞もロクに見る時間がありませんで。それで……まさかとは思ったのですが、少し心配なことがありまして」
「何でしょうか?」
思わず駿河は返事をしてしまった。
かなり小さな音ではあったが、友永が舌打ちしたのがわかった。
「その亡くなった子……確か角田君でしたか、その子とうちの周が喧嘩騒ぎを起こしたことがありましてね。少し前のことなんですが」
知らなかった。
「まぁ、幸い大きな怪我はありませんでしたがね……何が原因か知りませんが、あの子もすぐにカッとなるタイプでして。相手の子もどうやら、暴力的で尊大な子だったらしいと聞きます。その子のせいで今までに何人も、不登校になった生徒さんがいたとか?」
その話は駿河も聞いている。
「もしかするとその被害者の中に、周が……弟が親しくしていた子がいたりするのではと考えてしまいまして」
「だったら、どうだって仰るんです?」
思わずつっけんどんな口調になってしまう。
いや、苛立ちを決して表に出してはいないはずだが。
「兄の僕が言うのもなんですが、あの子はとても正義感の強い子です。ですが……ご存知の通り、世の中には正しいことよりもむしろ理不尽が罷り通るものですのでね」
「……それで?」
友永が苛立ったように続きを催促する。
「学校の先生はあてになりません。そこで、まさかとは思いますが自分の手で何とかことを正そうと、角田と言う学生を懲らしめてやろうと考えたのでは……」
「なるほど、それから?」
「実はその日、事件があった場所に我々もいたのですよ」
「ふーん、そりゃ偶然だな」
友永は興味のなさそうな声音で答えているが、内心は穏やかでないのがひしひしと伝わってくる。
「その、例の何とかというアイドルのライブチケットを用意したのは、弟なのです。まさかとは思いますが、あの子はあの日、その角田という生徒がそこに来ることを知っていた訳ではないだろうな……? と。仮にあそこで2人が出会って、トラブルが再発したのだとしたら……」
賢司の言うことを理解するまでに、少しの時間を要してしまった。
「あんた、気は確かか?」
友永の問いかけにはっ、と駿河は我に帰る。
「どういう意味でしょう?」
「……周ってのは、自分の弟だろ? あんたの言い方だと、まるで弟が角田って奴を殺したんじゃないかって、そう聞こえるんだが」
賢司は大げさに肩を竦めてみせる。
「とんでもない!! そんなことは言っていませんよ。だいたい実行犯は既に逮捕されているのでしょう? ただ、警察の方がそう疑ったりはしないかと……」
駿河の中で、様々な感情が渦巻いている。
それらを一言で表現するなら【不愉快】に他ならない。
「今あんた【実行犯】って、言い方したな? するってぇと、なんだ。弟が誰かに命令してやらせたとでも?」
「まさか!!」
と、思わず口にしていたのは他の誰でもない、自分だったことに駿河は驚く。
当の賢司は表情一つ変えず、
「……僕はただ、亡くなった彼と弟の間にトラブルがあったという事実をお話ししたまでです。周は確かに時折、頭に血が昇って手を挙げることもありますが、気持ちの優しい子なんです。ですが……警察の方がどういう見方をされるのか、心配で……」
この男は何を言っている?
理解が追いついていかない。
「もういい、行くぞ」
友永が再び、こちらの腕を引っ張って歩き出す。
どうやら自分はボンヤリしていたらしい。
今のは何だ?




