7:気になるアイツ
そんな周の内心を知ってか知らずか、いや、この男のことだ、わかっていてわざと何でもなかったかのように、他愛のない世間話を次々と繰り出してくる。
返事をしてもしなくてもおかまいなしだ。
だが、自宅マンションに到着し、エントランスに入ってエレベーターを待っているところで不意に和泉が言った。
「美咲さんは大丈夫?」
「……」
女将のことを話すべきだろうか。あれから旅館がどれほど忙しいかわからないが、女将も孝太も美咲もいないとなると、人手不足には違いない。
「……元気だよ、身体は。それより、あいつ元気?」
「あいつって?」
和泉が美咲の事を口にすると、周は必然的に駿河のことを思い出してしまう。だがどうしても素直になれない。
「……もしかして、毎日真面目に働いて、今度職団戦に出場しようっていう無口で無表情なあの彼のことかな?」
「職団戦って何?」
「将棋のね、職場対抗団体戦」
「へぇ~……あいつ、将棋やるんだ」
似合いそう。周も子供の頃、父から少し将棋を教わったことがある。今はほとんど覚えていないけど。
「僕もそうだけど、こないだの事件の直後はすっかり落ち込んじゃって……葵ちゃん、警察辞めるんじゃないかな、って本気で心配したけどね……」
自分のせいだ。周は唇を噛んだ。
「でも今はすっかり回復して元気に働いてるよ」
「ごめん……なさい……」
エレベーターが到着したのに乗ることを忘れて、周は和泉のシャツの裾を掴んで俯く。
「どうして?」
「だって、俺のせいだろ? 俺が勝手な真似したから……」
周君のせいじゃないよ、和泉は優しい声音で答え、周の肩を抱き寄せるようにして一緒にエレベーターに乗り込んだ。それから5階のボタンを押す。
「だから謝らなくていい。実際、あの時は周君がいなければどうにもならなかったかもしれないんだから。本来なら警視総監賞ものだと僕は思うけどね」
そんな訳ないことぐらい、周にだってわかる。それは和泉の優しさだと。
警察の内情は詳しく知らないが、素人が事件に首を突っ込んで危ない目に遭って、おまけに犯人を死なせるなんて、誰が考えたって理解できる。
警察の面子が丸つぶれだということぐらい。
でもあの時、周はとにかく必死だった。
大好きな孝太をどうにかして止めなければ。義姉のためにも、旅館のためにも。
5階に到着する。
「それにしてもさ……」和泉は鍵を取り出しながら、意地の悪そうな目つきで周を見つめると「周君って、ずいぶん葵ちゃんのこと気にしてるんだね?」
図星をさされた周は動揺を隠すことができなかった。
「べ、別に俺はそんな……っ! あいつのことなんてどうでも……」
頬が熱い。
「どうでもいい人の近況なんて聞かないよね? 普通は。あーあ、妬けちゃうなぁ……周君の心も頭も葵ちゃんのことでいっぱいなのかなぁ」
「へ、変な言い方すんな!!」
「第一印象は最悪、でもなぜか気になるアイツってやつかな?少女マンガの王道を地でいく……」
「う……う……」
「?」
「うるさい、うるさい! うるさーいっ!!」
思わず周は声限りに叫んでしまった。
ガチャ。藤江家のドアが開き、メイが飛び出してくる。彼女は和泉の姿を確認すると、にゃ~んと甘えた声で鳴きながら飛びついて行く。
「……周君?」
プリンを腕に抱いた美咲が怪訝そうな表情で出てきた。
「……!!」
いたたまれなくなった周は、黙って中に入ると靴を脱ぎ捨て、部屋に飛びこんだ。
※※※
ちょっとからかい過ぎたか……後悔はしているが、反省はしていない。
「美咲さん、こんにちは」
和泉は何事もなかったかのように挨拶した。彼女に会うのはあの事件以来だ。
「こんにちは……あの……」
「すみません、周君があまりにも可愛くてつい」
美咲はふふっと微笑み、
「今日はお休みですか?」
「ええ。久しぶりに有給休暇を取りましたよ」
しばらくは天気の話など、当たり障りのない遣り取りをしてから和泉は、
「……あれから、少し落ち着きましたか?」
事件が収束してから約一月が経過した。いったんはニュースになったものの、すぐに他の大きな事件が起きて、ほとんど報道されなくなった。一時期はハイエナのようにこのマンションに群がっていた報道陣も、すっかりなりを潜めている。
美咲はええ、と頷くと猫の頭を撫でた。
「周君がいろいろ心配してくれるんですけど、私……パソコンのこととかインターネットのこととか、まったくわからないので、そっちの世界で飛び交っている噂話だとか中傷は全然把握していないんです」
和泉は苦笑してしまった。
「女将さんは元気ですか?」
美咲が黙りこんで俯いてしまったので、すぐに具合が悪いのだなと和泉は悟った。
「……辛いですね」
それぞれ腕に抱いている猫が揃って欠伸をする。
「実を言うと、石岡さんからいろいろなことを伺いました」
和泉が言うと、美咲ははっと顔を上げた。
「美咲さんご自身のこと……ご主人とのこと……ご両親のこと……」
「……孝ちゃんが、どうして……?」
「彼は僕に、あなたと周君を守って欲しいと言いました」
「……」
「僕に何ができるのかわかりませんが、彼と約束しました。必ず二人を守ると」
そんなことは不可能だ、と美咲の眼が言っていた。
「できるかできないか、やってみなくてはわかりません。ただ少なくとも、僕にはその意志があるということだけは理解してください」
「……はい……」
ありがとうございます、と美咲は小さな声で言った。