75:お呼び出し申し上げます
「という訳で、猪又の経歴について、もっと突っ込んだところを探った方がいいと思います。遡って米子時代ぐらいまで……」
「そうだな。じゃあ彰彦、お前と……」
「僕、葵ちゃんとお泊りデートしたいです」
相変わらずの無表情だが、駿河がやや引いているのがわかった。
「普通に出張してこい」
「その前に、宇品で起きた誘拐未遂事件の被害者家族に話を聞きましょう。それから周君にも」
「周君?」
「誘拐未遂の時も、昨日の角田の事件の時も、いずれも彼は現場に居合わせました。なんて言うかほんと『持ってる』子なんですよね~」
※※※
朝から今にも降り出しそうな曇り空だったが、夕方になった今、本降りになっている。
周に電話をしたら、今は友人宅にいるという。
その友人の名前を聞いて、和泉はちょうどいいと考えた。
おまけに篠崎智哉も一緒だと。
和泉は聡介と共に円城寺信行の自宅へ行く為、駐車場に向かった。
廊下を歩いている途中で和泉の携帯電話が着信を知らせた。
めずらしい。
藤江賢司からだ。
夏の事件以降、否応なしに彼の連絡先を登録している。無視しようかと思ったが、あの男がくだらない用件で電話をかけてくるとは思えない。
「和泉です」
『藤江です。少しお話ししたいことがあるのですが、今からお会いできませんか?』
「今からですか?」
ちょうど弟の方に会いに行くところだったのだが。
『今、どちらですか? 県警本部にいらっしゃるのなら、すぐ近くまで来ていますが』
「残念ながら今は、宇品の方にいます」
『では、すぐそちらに向かいます。国道2号線沿いに【ジョイフル】というファミリーレストランがありますので、そちらでお待ちしています』
賢司はこちらの返事も聞かずに、勝手に電話を切ってしまった。
すっぽかしてやる、絶対に!!
と、和泉は心に決めたのだが……。
「誰だったんだ?」
父に訊ねられ、そういう訳にもいかなくなった。
指定された店に行くと、藤江賢司は窓際の席で待っていた。
今日は仕事だったのか休みだったのか知らないが、スーツにネクタイを締めている。そのネクタイに和泉は見覚えがあった。
「……お待たせしました」
彼は聡介が一緒だったことが少し意外だったのか、立ち上がって軽く一礼する。
「お呼び立てして、申し訳ありません」
外面のいい人間。
和泉は胸の内で毒づきつつ、向かいに腰かける。
「お話、と仰いますと?」
なぜか、聡介の方が切りだした。理由はわかる。和泉にしゃべらせるとケンカになりかねないと心配しているのだろう。
初めて会った時から、特にこれといった理由もなく本能的にこいつは敵だ、と和泉の脳はそう認識していた。そこはお互い様だろうが。
「昨日、殺害された角田道久という少年のことで……」
聡介の表情が強張る。和泉も咄嗟に警戒心を覚えた。
角田道久の事件は実名を出さずに報道している。詳細を知っているのは一部の関係者のみのはずだ。
「……なぜ、その名前を?」
すると賢司はたじろぐこともなく、
「実は私も昨日、事件のあった会場にいましてね」
「へぇ~。お堅いイメージのある藤江さんでも、アイドルのライブなんて見に行かれるんですね」
和泉が冷やかして言うと、
「弟がチケットをもらいましてね。何でもメンバーの一人があの子の幼馴染みだとかいう話で」
「……まるで他人事みたいに言うんですね。周君の幼馴染みでしょう?」
その情報は初耳だ。和泉は頭の隅にメモしておいた。
「歳の離れた弟の友人関係なんて、そう詳しくありません。あなただってそうでしょう?」
「僕には兄弟がいませんのでね」
これ以上、お前は話すな。
父の視線がそう言っている。確かに、これ以上は不毛なやりとりになりそうだ。
「それで、一緒に行かれたのですか?」
「ええ、噂で聞いたことがあるのですが……ああ言った会場では秘かに、若い子に麻薬を売り渡したりする、ヤクザみたいな人間も出入りすると。そんな場所へ未成年の弟が出かけて行くのは、私としても心配だったので」
お優しいお兄さんですね、と声に出さずに呟く。心にもないことを口にするのは空々しい。
「それで、話が逸れましたが……事件のことをニュースで知って、なんとなく会場で見かけた気がしたんですよ、その殺された少年を」
「そうですか」
何を言わんとしているのか、和泉には現時点ではわからない。ただ、
「それで……賢司さん。あなたはいったい何を心配しておられるのですか?」
すると。なぜか賢司の表情が少し変わった。
いつまで経っても何も注文しない客を、通りすがりの店員が不思議そうな顔で見ている。
『何をお訊きになりたいのですか』ではなく『心配しているのか』と訊いたのには、深い意味がある。
彼は単なる好奇心で事件のことを訊いてくるような野次馬ではないはずだ。
殺害されたのが弟の同級生。もしかすると2人の間に何かトラブルがあって事件に発展したのではないか。そうなれば家名にも、自社のブランドにも傷がついてしまう。
恐らく、そんなふうに考えているのではないか。
「……実は、殺された少年と周の間に……最近トラブルがありましてね」
「ああ、知っていますよ」
「なぜです?」
賢司はひどく驚いた表情を見せる。
基本的に感情を表に出さないタイプだと思っていたが、意外であった。
和泉は黙っていた。