67:顔
「ありゃ、精神鑑定が必要だぞ。絶対に」
取調室の様子を覗きながら日下部が言う。
「そうですね」と、彼の相方もうなずく。
和泉は黙って、中の遣り取りを聞いていた。
『お告げが、御宣託があったんだよぉ~、あいつを殺せって、ひひ、ひひひひひ……!!』
何日も洗っていないであろう湿った髪を振り乱し、薄笑いを浮かべて意味不明の供述をしている男の名前は、持っていた携帯電話の契約者名から判明した。
『お告げって、誰からのだ?』
聡介がウンザリした顔で再び訊ねる。しかし、何度質問しても、肝心の部分で男は黙秘してしまう。
『あいつっていうのは、君が殺したあの……角田道久で間違いないのか?』
『名前なんて知らないよ~、ただ、詩織ちゃんに近づく悪い虫がいるから、退治しろって頼まれただけ……』
『顔を見てすぐにわかったのか?』
『わかったよ、すぐに。それより僕チンのスマホ、返してくれない?』
「……確かに精神的な病気でしょうが、責任能力は充分あると思います。それに」
和泉は振り返って日下部とうさこに向かって話した。
「あの男が言ってることは、要するに誰かに頼まれた……そういうことじゃないでしょうか?」
「お前、俺に敬語でしゃべるのか……?」
日下部が気持ち悪そうに言い、
「そりゃ、僕と同期なのに未だに巡査長止まりって言うのは、ある意味で驚愕に値するというか……逆に敬意を払わなければいけない気がして」
「なんだとー、てめーっ!!」
「日下部さん、落ち着いて!! 試験は来週でしょう?! 今度こそきっと上手くいきますよ!!」
「携帯電話の履歴ですが」
そこへ真面目くさった表情の駿河がやってくる。
「故意か過失かわかりませんが、電話機そのものを水没させたらしく、すべてのデータが飛んでいるようです。今、鑑識の方で復旧作業を行っていますが……少し時間がかかりそうです」
「故意に決まってるよ」
和泉は吐き捨てるように言い、再び取調室の窓を除いた。
※※※※※※※※※
喫茶店を出て、周と美咲は自宅方面に向かう路面電車に乗る。
「アイドルかぁ~……周君なら、確かに舞台映えしそうよね」
「やめてくれよ、俺、あんまり歌上手くないぜ?」
なぜか義姉は絶句する。
「それより、智哉君……何か私に話したいことがあったんじゃないかしら?」
「なんで?」
「何度か私のこと見て、何か言いたそうにしてたの……気のせいかもしれないけど」
そのことは周も気付いていた。
「そうだよな。元はと言えば、智哉が義姉さんを一緒に連れて行ってやろうって言いだしたんだよ。でも、別に智哉と何か接点がある訳じゃないだろ?」
そうよね、と美咲は首を傾げる。
「それにしても、驚いたわね。まさか賢司さんが一緒に来るなんて」
「ああ、俺もびっくりした」
「あんな顔して、実は意外にアイドルに興味があるのかもしれないわね」
「どんな顔だよ」
周は笑いながら、ふと何気なく窓ガラスに映った自分の顔を見た。
兄とは少しも似ていない自分の顔。
智哉と詩織は従兄弟で、よく似た顔立ちをしていた。
「……私達、顔が……ると思わ……い……?」
聞き取りにくい小さな声で美咲が呟く。
「え、何か言った?」
「……なんでもないの、忘れて」
それから。
夕食の材料を買いこんで帰宅し、家に帰ってしばらくしてからだった。
台所で食事の支度をしながら夕方のニュースを見ている時だ。
『本日、中区八丁堀1丁目ライブハウス【HKB】で行われたイベント終了後、男が突然、アイドルユニット【jewelrybox3】のスタッフである17歳の少年を刃物のようなもので刺し、殺害した疑いです。少年は病院へ搬送されましたが、搬送先の病院で死亡が確認されました。なお、少年を殺害した被疑者は現行犯逮捕されました。警察関係者への取材によると、意味不明の供述を繰り返しているとのことです』
「これって……今日行った場所だろ……?」
玉ねぎを刻んでいた周は、滲む涙を拭いながらテレビ画面を注視した。
「怖いわね……あの中に、刃物を持っていた人がいたっていうことよね?」
急に、ぞっと悪寒が走った。
「何があったんだろうな?」
17歳と言えば、自分と同じ年齢ではないか。
未成年だからなのか、それとも他に理由があるのかわからないが、被害者の顔も名前も公表されていない。
ふと。
まさか智哉じゃないだろうな……と、嫌な予感がして周は自分の部屋に走った。