64:謎の多い人
彼の奥さんはどんな気持ちでいるんだろう、そう思ったこともあったが、智哉にとってはやはり、賢司の存在とこの部屋がありがたかった。
その後、両親が離婚して。母親と妹、3人で暮らすようになったら、別の気苦労が増えた。
だからそこは避難所だった。
そして智哉は、賢司が言うことなら何でも協力しようと考えていた。
そんなある日のことだった。
『どうも、妻には他に好きな男がいるらしい』
賢司が突然、そんなことを言い出した。
『別に愛し合って結婚した訳じゃないから、どうとも思わないけれど。でも、問題は周なんだよね』
周がどう関係してくるのか、初め智哉にはわからなかった。
『彼女は今でも時々、昔の男と会っているらしくてね。そういうのを世間ではなんて言うのか知ってるだろう?』
知っている。
父親がよくやっていて、離婚に至った原因だ。
だから智哉はまだ顔も知らない、賢司の妻だというその女性に対して、強い嫌悪感を覚えた。
『周が愛人の子だってこと、知ってた? 僕とは半分しか血がつながっていないこと』
知らなかった。
そう言われて見れば、あまり顔が似ていないと思っていた。
『あの子はね。子供の頃から家の中で、愛人の子だっていう理由で酷く虐待された過去があって……だから、そういう不倫とか浮気だとかが許せないんだよ』
『僕だってそうです……』
『彼女、上っ面だけはとても綺麗な女性でね。周は単純だから、すっかり騙されてしまってね。でも僕は……あまり彼女に周を近付けたくないんだ』
『わかります』
『智哉、周を守るために協力してくれるかい?』
そうして智哉が実行したのは、周の元に賢司の妻、美咲が他の男と不倫しているという手紙と、それらしい写真を同封したものを届けることだった。
その【作戦】は上手く行ったらしい。
ある日を境に周は、まったくお義姉さんの話をしなくなってしまった。
それまでは時々、猫の次ぐらい話題にしていたのに。
それからまた別の時だった。
たぶん、夏休みが明けるか明けないかの頃。智哉は賢司に呼び出された。
最近、周につきまとう刑事がいるんだよ……。
警察官に対してアレルギー反応に近いものがあった智哉には、ゾッとしない話であった。かつて、同性のストーカーに苦しめられて相談に行った時、まるでこちらに責任があるかのような言い方で、ロクに話も聞いてくれなかった。何もしてくれなかった。
どう言う訳か周が、すっかり懐いてしまってね。
心配でたまらないんだ。いったいどういう人間なのか、少し探りを入れてもらえないか?
なんでそんなスパイみたいなことを、と思いもしたが、彼には恩義があるし、役に立ちたいとも思っていた。
そうして一度、実際にその人となりを確かめる為、連絡を取って出かけた。
ごく普通に優しい、いい人だった。周が懐くのも無理はない。
周のまわりにはなぜか、自然と人が集まる。それは同じクラスになってからずっと感じていたことだった。
それはきっとカリスマとかなんとか、そういうことではなくて彼の持つ、人を惹きつける温かさの為だろう。
でも賢司は常に、弟に近づく人物を警戒しているようだった。
周を悪い人間から守るためだよ。
彼はそう言っていた。
ただ。それは本当に正しいことだったんだろうか?
今になって智哉は疑問を覚えるようになった。
その原因はきっと、先日友永と話したことが頭に残っているからだ。
『友達とか仲間ってのはな……自分から求めて行動しなければ、手には入らないものなんだ。棚から落ちてくる牡丹餅じゃねぇ。そして一度手に入れたなら、大切にしろ』
周は素晴らしい友人だ。
その彼を騙すようなことをして、良かったんだろうか? と。
いつも自分の為に、必死になってくれる彼を……。
賢司はいつもこうだった。
自分の弟なのに。
自分の奥さんなのに。
自分の目と耳で確かめることをしない。
妻に、弟に近づこうとする変な人間がいる。
どういう人間なのか、探ってみてくれないか……。
賢司の妻である美咲と言う女性を、智哉はよくは知らない。でも。
彼女がどう言う人なのか、それは周自身が見極めるべきことだ。
いろいろ考えた末に智哉が出した結論は、そうだった。
だから今日、周に本当のことを伝えようとそう思っていた。