60:ノリ悪い
まだ始まってもいないのに、周は既に帰りたくなっていた。
ライブハウスの入り口には既に人だかりができている。何だか怪しい眼つきの男性が挙動不審な様子を見せていたり、家族連れがいたり、客層も様々である。
地元のケーブルテレビだろうか、大きなカメラを構えた男性もいる。
ところで。どういう理由かわからないが、待ち合わせ場所で落ち合った時、智哉はあまり元気がなかった。
「……大丈夫か……?」
「大丈夫、何でもないよ」
「智哉君、久しぶりね」
義姉が声をかけると、智哉は力なく笑う。
「義姉さんって、智哉と会ったことある?」
「あるわよ。だいぶ前だけど、一度だけ……遊びに来たことあったでしょう?」
そうだったっけ?
さすがに旅館業をしているだけある。一度でも見た客の顔は忘れないようだ。
賢司は智哉に何も言わない。きっと、子供の頃に会って以来だろうに。
そして智哉の方はなぜか、なるべく顔を背けるようにしている。
幼かった頃、よく2人で賢司に勉強を見てもらった。兄はもしかすると、実の弟よりもその友人の方が可愛いんじゃないか、そんなふうに嫉妬を覚えたこともある。
お互いの家が引っ越して疎遠になり、小学生の頃はまったく顔を合わせることもなかった。周が智哉と再会したのは実に、中学に上がってからだ。
3年生の頃、初めて同じクラスになり、もしかして……? となったのである。
それはさておき。一応、招待された側としては花の一つも持参した方がいいのだろう、と言うことで花束を購入してきた。
開場まであと10分ほど。
気のせいだろうか、まわりにいるファン達が殺気立ってきたような気がする。
そこへライブハウスのスタッフなのか、イベントスタッフなのか知らないが、ジャンパーを羽織った男性が拡声器を手に話し出す。
『ご来場のお客様にお願い申し上げます。え~、当会場に椅子はありません。すべて立ち見となっております。そこでお願いです。入場の際、決して他のお客様を押したり、肘で突いたりなどの迷惑行為はしないでください。なお……』
周が何となくキョロキョロと辺りを見回していると、人ごみの向こうにちらりと、角田の姿が見えた気がした。
別に彼がここにいても何の不思議もない。
しかし……気まずい。
それからまた視線を転じる。あちこちキョロキョロしている自分は、不審人物のように見られているかもしれない。
だけど、とにかく落ち着かないのである。
すると。
自分と同じように、キョロキョロ辺りを見回している若い男がいる。
小柄で眼鏡をかけた、こう言ってはなんだが秋葉原辺りに出没しそうな、やや太り気味の男性。やたらと額に浮かぶ汗を拭いていて、背負ったリュックの端から『ILOVE詩織』と書かれた団扇がのぞいている。
その男性は何度もスマホと周囲を見くらべ、まるで何かを探しているように見えた。
「周、なんでそんなにキョロキョロしているんだ?」
賢司に頭を抑えつけられて周はビクっと震えた。
みっともないだろう、と溜め息をつかれる。
そして、開場。
扉が開くと同時に、大勢の客がなだれ込んで行く。
こう言う場所に初めて来た周は、呆然とその様子を見ていた。スタッフが『押さないで、走らないで』と叫んでいるが、まったく届いていない。
恐ろしい……これが群衆か。
周は波がおさまるのを待つことにした。連れは全員、そのつもりだったようだ。
ようやく中に入った頃には既に、ステージが遠い彼方となっていた。いったい何人ぐらい入っているのだろう? 酸欠になりそうだ。
ざわざわ。
もう既に、誰かが何か話してもまったく聞き取れない。
一瞬だけぱっ、と全体が真っ暗になる。そして巨大スピーカーから大音量の音楽が流れ出す。
ステージにスポットライトが当たる。
「みんな~、こんにちはー!! 今日は私達、jewelrybox3のライブに来てくれてありがとうねっ!!」
声だけが聞こえる。そして。
ステージが全体的に明るくなる。
誰かが音頭をとり初め、次第にその音が大きくなっていく。
こう言うのは苦手だ。周は全身に鳥肌が立つのを覚えた。
「僕、こう言うノリ苦手なんだ~……」
「俺も……」
あれ? 今、どこから声がした?
それもどこかで聞いたような。
周の両肩に誰かの手が触れた。
「まさか、周君がこんなところに来てると思わなかったよ」
「俺だって別に、ファンって訳じゃ……」
振り返って周は絶句した。




