57:砂の器って……
疲れた。
今日は一日をかけて、猪又に生前接触したであろう、角田道久という少年を探しまわった。自宅を訪ねた時は『体調不良』だとの返答があったが、どうも嘘くさい。
そこで市内を探しまわったのだが、結局、見つけることはできなかった。
指名手配する訳にもいかない。まだ参考人聴取の段階だし、どういう関わりがあったのかすら謎なのだ。
徒労に終わった一日だった。
捜査本部の置かれている宇品東署に戻ると、午後9時を回っている。これからようやく夕食である。
何を買いに行こうか、と考えた時、すぐ近くから
「タラと港……」
との呟きが聞こえた。
ああ、魚の煮付けが入った弁当なんて、なかなかないだろうな……って。
「彰彦、何をブツブツ言ってるんだ?」
「いえね、ガイシャが何度か目撃されているバーで、連れの人間と交わした会話の中に『タラ』と『港』っていう単語が出てきたらしんです。漁師さんか、ってバーテンダーが言っていましたけど、まさかね」
「そうだな。確か、元々は魚谷組傘下のチンピラだろう?」
「ひょっとして『タラ』に似た言葉の聞き間違いだったとか……なんか、あれみたいですね」
「なんだ? あれって」
「松本清張の【砂の器】ですよ。バーで交わされた被害者と犯人の会話が、事件解決の糸口になったっていう……」
「現実は推理小説とは違う」
「わかってますよ。ただ、この小説のおかげで思いだしたというか、考えたことがあるんですが」
和泉は紙コップを二つ取ってきて、コーヒーサーバーにセットする。
「猪又が前科者だってことが全体にクローズアップされて、こっちで起こした事件の関係者ばかりに焦点が行きがちですが、ひょっとしてもしかすると、根本原因はもっと古く……確か奴は鳥取県の出身でしたよね?」
「ああ、そうだったな……って、お前まさか……」
「別に、鳥取にはまだ一度も行ってみたことがないから行ってみたい、なんて思ってる訳ではありませんよ?」
どうぞ、と息子はすっかり煮詰まったコーヒーを渡してくれる。
思っているな、確実に。
警察官をやっているとあまり遠出はできない。有事の際、すぐに出動できるようにしておくためだ。
「その必要が出たら、お前に行ってもらうよ」
はーい、と和泉は返事をしてスマホに目を落とす。
「でも確か鳥取港って、どっちかって言うとカニとかトビウオだよなぁ……タラじゃないような気がするな」
そこへ、
「班長。例の藤江製薬の栄養ドリンク、6本パックを購入した客のリストができました。3か月以内に限定してはいますが」
駿河がやってきた。
「そうか、ありがとう」
突然、和泉が笑いだす。
「お前、どうしたんだ……? さっきから」
「だってあれでしょ? あの能面みたいな男が作ってるドリンクでしょう? そんなものが殺しの道具に使われたなんてことになったら、売り上げは落ちますよ、確実に」
そう言えばこいつは、藤江賢司のことを随分と忌避していた。
なぜかは分からない。ただ、相手も同じぐらい和泉を嫌悪していることはわかる。
「別に賢司さんが作ってる訳じゃないだろう。それに、周君のお兄さんだぞ? お前はそういうことを周君の前でも言えるのか?」
バカ息子を黙らせることに成功した聡介は、受け取ったリストをペラペラとめくった。
この膨大な量の中から、被害者に接触のあった人間を探す……至難の業だ。
やれやれ。
ふと、聡介はあることに気がついた。
「なんだこれ、すごいな……1人で5ケースも買っている人間がいるのか」
「あ~、あれですよ。ほら、今これって懸賞がついてるじゃないですか。抽選で何名様かに樫原詩織のサイン入りハンカチと、クリアファイルが当たるって。きっとファンが大量に買い占めてるんですよ」
と、アイドル大好きらしい日下部が答える。
「なるほどな……」
最近、よくその名前をきく。
「そう言えばガイシャが、その何とかって言うアイドルのライブ会場に足を運んでいたって言っていたな。その懸賞に応募するためにシールを集めていたんだろうか?」
するとその時。
それまで面白くなさそうに黙りこんでいた和泉が、パッと顔を上げる。
「そうだ、今日の県内のイベントごとは……!?」
何を思いついたのか、バタバタと和泉はパソコンのところへ走っていく。
「見つけた!! 角田なんとかっていうクソガキ!! 僕の可愛い周君に怪我をさせた、なんとも許し難い……」
和泉がのぞき込んでいる画面を、聡介も彼の肩越しに見つめてみる。
今日は福山市内のとあるデパートで、樫原詩織擁するアイドルグループがライブを行っていたようだ。その実況動画が流れている。
「姿が見えないと思ったら、こんなところに!!」
「この子……学生だろう? 確か前、周君と同じ学校の制服を着ていたのを見た気がするが」
今日は平日だ。
「サボりじゃないですか? そんなことより……そうだ。樫原詩織にも話を聞かないといけなかったから、一石二鳥じゃないですか」
「おい、彰彦」
「何です?」
「……周君のことで、仕返ししたりするなよ?」
「なんでバレたんですか?」