55:何があったの?
その時、周のスマホが着信を知らせた。
智哉だ。
周は急いで立ち上がり、自分の部屋に戻って着信を押した。
「もしもし、智哉?!」
『あ、あのね……周』
「今朝は、ごめんな。俺、智哉の気持ちを何にも考えないで……」
長い沈黙。
どれぐらい時間が経過しただろうか。
『……周が僕のこと、心配してくれてるのはよくわかってるから……』
ほっとした。怒ってはいないようだ。
『ただ……どうしても話したくないことが、僕もある……そこは分かって欲しいんだ』
「うん、わかった」
猫がカリカリとドアを引っ掻いている音がする。電話を耳に当てたまま、周が扉を開けると、茶トラが突進してきた。
さっき『遊んで』と言ってきたのをシカトしてしまったせいか、ガブリと足の指に噛みついてくる。
「いってぇ~っ!! この、バカ猫っ!!」
それで気が済んだのか、今度は足元に身体を擦りつけ、丸くなる。
『……周、大丈夫……?』
「ごめん……あ、そうだ。智哉に聞こうと思ってたんだ。子供の頃さ、俺達とよく一緒に遊んだ女の子って……いた?」
『なんで? そりゃ、公園に行けば何人かはいたと思うけど……』
「いや、まさかとは思うんだけどその中に樫原詩織っていた?」
『……え……?』
「なんかさ、こないだ街中で偶然出会って、声をかけられて……悪いんだけど俺、全然覚えていないんだよな……」
再び、長い沈黙が降りる。
「で、それでな? その本人が今度、ライブを見に来いってチケット送ってきたんだよ。4枚も入ってて、どうしようかと思ってたんだけど……もし、智哉が興味あるんなら一緒に行かないか?」
智哉ならきっと、自分よりも記憶力がいい。
樫原詩織を名乗る少女が本当に幼馴染みなのかどうか、彼ならきっと、見定めてくれるはずだ。別に何か迷惑している訳でもないのだが。
『うん……行ってみようかな』
「ほんとか?!」
『4枚って言ったよね? あと2人はどうするの?』
「……どうしようかな……クラスの奴らだと、恨まれそうだし……」
『お義姉さんは?』
「うちの? まぁ、そりゃ智哉がいいんなら……」
そう言えば義姉も見てみたいと言っていた気がする。となると、あと1人。
和泉は……興味ないだろうし、そもそも今はきっと、さっきニュースでやってた事件のことで忙しいだろう。
兄は? ないな、うん。
円城寺はまったく興味なさそうだし……。
「とりあえず、詳しいことはまた明日な?」
周が電話を切った時、玄関の扉が開く音がした。
たたっ、と廊下を走る猫の後を追い、周も何となく部屋から出た。
「ただいま」
めずらしい。
「お帰り、賢兄……」
賢司は真っ直ぐにリビングへ向かった。そうだ、テーブルの上にチケットを散らかしっぱなしだった。手紙も。
あれを見られたら、何かうるさいことを言われそうだ。
周は慌てて先回りし、急いで詩織が送ってきたものを回収した。
つもりだったが……。
「今、何を隠したの?」
「え? べ、別に隠したりなんて……」
「見せてごらん」
下手なことをしなければ良かった。台所に立っていた美咲が、心配そうな顔でこちらを見ている。
仕方ない。周は詳しいことを説明した。
兄はリビングの椅子に腰かけ、しげしげとそれらを見つめると、
「……いつからだい?」
「え、何が?」
「まさか、付き合ったりしてるんじゃないだろうね?」
「誰と、誰が? 悪いけど俺、そんな幼馴染みがいたなんてことさえ忘れてたんだぞ?! どうせあれだろ、賢兄が言いたいのは、家や企業のイメージを悪くするような人間と関わり合いを持つなってことだろ」
「……何も言っていないじゃないか」
賢司はあきれたように言う。
「言わないよ、そんなこと。だいたい彼女はうちの広告塔だしね。むしろ、周のことを覚えてくれていてありがたいじゃないか」
俺はすっかり忘れてたけどな。
「誰と一緒に行くの? むしろ僕はそっちの方が気になるよ」
「……義姉さんと、智哉……」
「何だって?」
ガタン、と音を立てて賢司は椅子から立ち上がる。
兄の驚きぶりに、周の方が戸惑ってしまう。
どうしたんだろう? 何か悪いことを言っただろうか。
周が戸惑っていると、
「あと1人、誰を誘うの?」
「それはまだ決めてないけど……」
「僕も行こう」
「へっ?!」
思わず周の口から、妙な声が漏れた。
「元々……あの栄養ドリンクのCM出演は彼女のマネージャーが是非にって、僕に売り込みに来たんだよ。古い顔馴染みのよしみでってね。君はまったく覚えていないみたいだけど、僕は覚えていたよ。うちが昔住んでいた家の、3軒隣に住んでいた」
だったら、チケットは自分にではなく兄に送るべきだっただろう。もっとも兄の場合、そんなものは要らないと断ると思っていただろうが……まさか。
「彼女のおかげで売り上げが伸びたのも事実だし、挨拶ぐらいはしておかないとね」
驚きに声が出ない。
それにしても……と、周は思う。
なんだかんだと兄は、家族サービスと言うか、自分達と一緒に過ごす時間を作ろうとしているのだろうか。今まで仕事ばかりで、家に戻ることさえ稀だったのに。
なんだよ。
こっちは上手い具合に、兄と義姉を別れさせようと思っているのに。