53:けっこうな割合でいる
「おい!!」
背後からした大きな声に智哉はひどく驚き、文字通り飛び上がりそうになった。
恐る恐る振り返ると、友永が笑って……はいなかった。怒っていた。
彼は智哉に近づくと、その華奢な腕を掴んで駅の方へ歩きだした。
「な、何するんですか?!」
「子供扱いされるとキレるくせに、子供みたいな真似すんじゃねぇ」
最終のロープウェイが到着する。乗客は智哉と友永の二人だけだ。
下りのロープウェイのカゴの中は、ひたすら気まずい空気だけが支配した。
地上に到着する。
ありがとうございました~、と従業員の声を背に、二人はフェリー乗り場へ向かう。
歩きながら友永はポケットから携帯電話を取りだした。
「あ、班長? あと少ししたら、合流します……ええ」
帰りたくはない。でも、この人と一緒にいるのも今は辛い。居場所がない。
「……腹、減ってるか?」
そう尋ねられたら、急に空腹感を覚えてきた。智哉が黙って頷くと、
「食えないものはあるか?」
「……生のトマト……」トマトソースやケチャップは平気なのに、なぜか生のトマトだけは苦手だ。
「わかった」
広島本土に戻る。
友永は再び智哉を車に乗せ、本通り商店街でもなく、駅前でもなく、初めて見る住宅街に連れて行った。
「ここのラーメンが美味いんだ。トマトは入ってないから安心しろ」
マンションの一階に入っている中華料理店。仕事帰りのサラリーマンが何人か既に一杯やっている。
「なんだ、ラーメンは嫌いか?」
智哉は黙って首を横に振る。まだ友永が怒っていると思ったから何も言えないでいた。
カウンター席に二人並んで座る。
「あの……」
智哉は前を向いたまま、小さな声で話かけた。友永はテレビの野球中継に視線を向けていたが、何だ? と返事をしてくれた。
「どうして、ですか?」
「何が」
「だから……」
「男ならはっきり物を言え。俺は回りくどいのが苦手だ」
「どうして僕に、こんなに優しくしてくれるんですか?」
智哉は友永の横顔を見つめた。きちんと髭をそって髪を整えたら、意外とイケてるおじさんかもしれない……。
「癖だな」友永はおしぼりで顔を拭きながら答えた。
「クセ……?」
「刑事やる前は、クソガキ……いや、不良少年少女を相手にする部署にいたからな。その頃の習性が抜けないんだ」
そういえばそんなことを言っていた記憶がある。
「でも、そんなの僕の他にもいっぱいいると思いますけど?」
寝不足なのだろうか、充血した眼を向けて友永は言う。
「……自己満足だ……」
「え……?」
「俺にも『ともや』って名前の……息子がいた」
女性店員がラーメンを運んでくる。
「のびないうちに食えよ」
結局、それ以上尋ねることはできなかった。
「ごちそうさまでした」
店を出て、再び車に乗り込む。
「家に送る」
「……はい」
「帰りたくないか?」
実はそうだ。
「そんな時、あるよな。たとえ家族だって言っても……顔を見るのも辛い時って言うのがさ……」
ふと。なんとなく周の顔が頭に浮かんだ。
「……学校も、行きたくないです……」
「そうか」
「友達とケンカしちゃって……」
というよりも。親身になってこちらの心配をしてくれる周に、本当のことを言うべきか否か、悩んでいるだけだ。
知られたくない。でも……。
「そうだな。でも、気まずいから、っていつまでも逃げ回ってたら……それは何の解決にもならない。かつての俺がそうだった。時間がすべてを解決してくれる、そうやって何もしないで逃げ回って……気がつけば独りきりになってた」
「……」
「あの時、ああしていれば、こうしていれば。人生なんて、後悔の連続だってことがよくわかった。本当に大切な物って、失ってみて初めてわかるもんだな。この歳になってようやく気がついた」
友永の手が優しく頭に触れる。
「友達とか仲間ってのはな……自分から求めて行動しなければ、手には入らないものなんだ。棚から落ちてくる牡丹餅じゃねぇ。そして一度手に入れたなら、大切にしろ」
「でも……」
「でも、なんだ?」
「僕にはそんな、価値があるんでしょうか?」
「価値……?」
「ずっと前、父が言ったんです。お父さんがお母さんと結婚したのは、お前ができたからだ。責任を取らされたんだ……って。僕は、望まれて生まれてきた訳じゃない。いてもいなくても同じなんだって、誰にも必要となんかされてないって……そんな僕には、もったいないぐらいの立派な友達がいて……」
「お前の父親、今どこにいる?」
「え……?」
「ふざけたことぬかしやがって、ぶん殴ってやる!!」
本気で殴りこみにでも行きかねない様子の友永を見ていて、智哉は不思議に思った。
知り合ってそれほど時間がたっていないのに、この人はなんだか、随分前から親しくしている間柄のような気がしている。
「たぶん、当直なら病院にいると思います……」
「……医者なのか、お前の父親って」
「ええ、一応」
母親は医療事務の資格を持ち、父と同じ病院の受付に勤務していた。
智哉はどこまで本気なのかわからない相手の横顔を見つめた。
それからふと、時計を確認する。
「……帰ります……今日は、ありがとうございました」




