3:試してみたら大ヒット!!
美咲はまったくといっていいほど機械音痴で、周が感じた不安を話してもあまり理解できないかもしれない。となると、無闇に余計な心配をさせるだけだ。
入院に必要な手続きや、用意しなければならないもの、雑事をこなしてから二人はようやく帰路に着いた。
家に帰ると思いがけず灯りがついていた。
「やあ、おかえり。たいへんだったね」
めずらしいことに賢司が帰宅していた。
彼は台所に立って、何やら料理をしているようだ。換気扇の回る音がする。
「女将さんの容体は?」
美咲が黙っているので周が代わりに答えることにした。
「……どこも異常ないけど、ストレスと疲労が溜まり過ぎだって。しばらく入院するらしい」
「そうか……」
賢司は食器棚から皿を取り出し、食卓の上に並べる。
いつどこで習ったのか知らないが彼は料理が上手だ。父と彼の母親が亡くなって兄弟二人きりになった時、賢司はよく手料理を周に食べさせてくれた。その頃のことを思い出させる匂いがした。
「二人とも、お腹空いてるだろう? もうすぐ出来あがるから手を洗っておいで」
「いい。いらない」
そう言って自分の部屋にこもってしまったのは、美咲の方だった。
思いがけない反応だった。いつもの彼女なら無理をしてでも微笑んで、賢司さんが料理をしてくれるなんて、と言って喜ぶところだろうに。
周は言われるままに洗面所に手を洗いに行き、服を着替えてリビングに戻った。
テーブルの上には美味しそうな料理が湯気を立てている。学校から帰ってバタバタしていて気付かなかったが、そういえば空腹だった。匂いを嗅ぎつけてメイがやってくる。
「どうも、僕が台所に立つと機嫌が悪くなるみたいだね」
賢司は苦笑しながらテーブルにつく。
周は何と返事をしたものか、黙ってダイニングの椅子に腰かけた。
何かくれ、と猫が膝の上に昇って来る。
それを追い払い、いただきます、と久しぶりに兄が作った食事を口にする。
「……周、学校の方はどうだい?」箸を動かしながら賢司が訊ねる。
「誰も、何も聞いてこない」周は応える。
「そうか、それなら良かった」
一瞬の沈黙の後、賢司はおもむろに口を開いた。
「あの事件のことは誰に何か聞かれても、知らないで押し通すんだよ?」
「……わかってる……」
あの事件のことを誰かに話すつもりは毛頭ない。好奇心だけの野次馬達には絶対。どれだけ多くの人がどれほど傷ついたことだろう。
「ところで周、樫原詩織って子を知ってるかい?」賢司が言った。
唐突な話の切り替わりに周は目を白黒させる。
「カシハラ……シオリ? 誰だよ、それ」
兄は笑いながらテレビのリモコンを取って電源を入れた。クイズ番組をやっている最中で、頭の悪そうな芸能人が頓珍漢な回答をして笑いを取っている。続きはCMの後、との字幕の後に、ファストフードの宣伝や、携帯電話のゲームアプリの宣伝。その後。
藤江製薬が発売している栄養ドリンクの宣伝が始まった。
年齢は恐らく自分と同じぐらいだろう。長い黒髪の美しい少女が画面いっぱいに映し出される。ピンク色の唇から紡ぎ出される宣伝文句。
『あなたの健康を誰よりも祈っています』
「今の女の子だよ。周の同年代の若い子達にすごく人気でね、彼女をCMに起用したら売り上げが伸びたそうだ」
全然知らなかった。周は元々芸能人にそれほど興味がない。
というより、異性にほとんど興味がない。
そう言うと誤解されがちだが、彼は元々持って産まれた性質か、あるいは身近に綺麗な女性がいるせいか、町で見かけるちょっと綺麗な、可愛い女の子に目を奪われることはまずない。
時折クラスメートが女の子の話題で盛り上がっているが一度も参加したことはない。
彼曰く、うちの義姉さんが一番美人だ。
「今のところはまだ、ただのなんとかっていうグループの【ご当地アイドル】の一人だけどね。その内、東京に出たら本物になるんじゃないかな。実はこの子、広報部長の知人の子でね……試しにでいいから使って見てくれって言われてということなんだ」
賢司がめずらしく芸能人について語っているが、周にとってはどうでもいいことだ。
ふーん、と適当に相槌を打って食事を続ける。
「ああ、そうだ。来週、彼女が広島北署の一日警察署長になるっていうイベントがあるそうだよ」
「宣伝しとけば? 藤江製薬の新商品なり、主力商品なり」
隙をついて皿から食べ物を奪おうとする猫の前肢をパシッと叩いて、周は言った。
「僕が言いたいのはね、周」
賢司は箸を置いて真っ直ぐに周を見つめてきた。「芸能人もそうだけど、企業だって大切なのはイメージなんだよ。特に日本人はブランドや肩書が大好きだからね。商品が売れるか売れないかは、もちろん質もあるけど……結局、メディアの影響によるところが大きいんだよ」
彼が何を言おうとしているのか、ぼんやり理解できた。
「つまり、会社のイメージに傷をつけるのも良い宣伝になるのも、俺みたいな……経営者の親族の行動いかんにも関わりがあるんだって、そう言いたいんだろ?」
たとえそれがローカルの話であっても、と周は皮肉を込めて言った。
「賢い弟を持って僕は幸せだよ。そういうことだ。とにかく……」
賢司は空いた皿を持って流し台に向かいつつ、
「さっきも言ったけれど、今までのこと……こないだの事件だけじゃない、もっと前にもいろいろあったけど……余計なことは一切しゃべるな」
「わかってる」
周は不機嫌さを隠さずに答えて、早めに食事を終えた。