17:抽選で1000名様に!!
昼休憩の時間。
周が美咲の作ってくれたお弁当を食べていると、同じクラスの足立という生徒が話しかけてきた。小学校から一緒で何度も同じクラスになっている。
「なぁなぁ、お前んとこの兄さんって確か藤江製薬に勤めてるんだろ?」
勤めているというか、経営者一族だが……。
「それがどうかしたのか?」
「詩織ちゃん、藤江製薬のSドリンクの宣伝に出てんだろ? 今Sドリンクを買うと、詩織ちゃんのサインが入ったタオルハンカチが抽選で当たるって知ってたか?」
全然知らない。興味もない。
「なんとか抽選が当たるように頼んでくれねぇかなぁ?」
足立は周の前で両手を合わせ、拝むようなポーズをしてきた。
「……悪いけど、うちの兄貴は研究とか実験とか、そっち方面だから。そういう広報的なことなら力になれないと思う」
「そこをなんとか!」
くだらない、と思ったが口には出さないでおくことにする。
「約束はできないけど、伝えるだけなら伝えておく」
すると足立はもう抽選に当たったかのような喜びようで、礼を言って去って行った。おめでたい人間だ。
それにしても本当に人気らしい。教室の中でクラスメート達が交わす会話の端々にも彼女の名前が漏れ聞こえてくる。
お弁当を食べ終えた周は図書室に行ってみることにした。
円城寺に頼るだけでなく、自分でもいろいろ調べて見ようと考えたのだ。図書室にはインターネットにつながれたパソコンがある。
幸いなことにパソコンは空いていた。
周は検索エンジンで『離婚』と入力してみた。
大量の情報が表示される。周は最初に出てきたリンクをクリックしてみた。
それは弁護士事務所の宣伝用ホームページのようだった。
中を詳しく見て見ると、やはり有利な条件で別れる為には、弁護士に依頼するべきだというような内容である。
そして『不倫や浮気』のための慰謝料を要求された、もしくは請求したい場合、などの項目もあった。
結局、離婚の原因の一番は不貞なのかもしれない。
円城寺も言っていた。
離婚調停を有利に進めるには、潔白な方の相手がしっかりとした物証を突き付けなければならない。
そしてまた、同じ悩みに辿りついてしまう。
兄は果たして仕事以外に何かあるのだろうか?
賢司が仮に、他所に愛人を作っていたとしたら。
裁判所に提出できる動かせない証拠があるとしたら?
無理だ。祖父が本気で心配したぐらい、賢司には女性の影など一ミリも見えない。
しかし決してモテない訳ではないのだ。むしろその逆である。
賢司が学生の頃、周はまだ6、7歳ぐらいだったが、何人かの女性が自宅に押し掛けてきて、これを渡して欲しいと山のようなチョコレートを渡されたことを思い出す。
その日はバレンタインデーだった。
子供だった周は単純にチョコレートがたくさん、と喜んだものだが、兄はもらったものをすべてゴミ箱に捨てていた。
その後も家に女性が賢司を訪ねてきたり、電話がかかって来ることがよくあった。
ところが。兄はそういう女性達からのアプローチをことごとく蹴っていた。
父の悠司が一度、兄の賢司をからかって言ったことがある。
賢司の恋人は今のところ勉強で、将来は仕事だな。
でもそれはあながち冗談でもなかったと思う。
そしてある時、賢司を追いかけて自宅にやってきた女性の一人が叫んだことを急に思い出してしまった。
『あんた絶対ゲイよ! 間違いないわ!!』
当時中学生だった周は、自分になびかない男は全員ゲイかよ……と、呆れて聞いたものだった。
だが……もしそれが本当だったとしたら?
溜め息をついていたら、ぱっと画面に樫原詩織の顔写真が出てきた。
ちょうど藤江製薬のSドリンクの広告が表示されている。
ふと周は、彼女の整った顔立ちを見ていて、誰かに似ているような気がした。
そんなことはどうでもいい。
今は兄夫婦のことを考えなければ……。
昼休憩の時間が終わろうとしている。
周はパソコンをシャットダウンして、図書室を出た。
教室に向かって廊下を歩いていると、校庭の隅で智哉が角田と鶴岡、亀山達三人に囲まれているのを見かけた。
「……だぜ?……」
「……わかってるんだろうな」
不穏な空気が彼らを取り巻いている。
周の頭の片隅に和泉の台詞が浮かんだが、身体が勝手に動いていた。
「なぁ、お前ら!」わざとらしく明るく、大きな声で角田達に話しかける。
彼らは周を振り返ると、ジロリと胡散臭そうな目で見つめてくる。
「樫原詩織のサイン入りタオル欲しくないか?」
「欲しい!」と即答したのは鶴岡だ。
「実はさ、俺の身内が藤江製薬で働いてて、うまく行けば抽選が当たるようにしてもらえるかもしれないんだけど……」
「マジ?!」
「うん、たぶんだけどな」
「5枚」角田が言った。
「……なんだよ、それ」
「5枚用意しろって言ってんだ。非売品の抽選で当たる商品は、ネットオークションに出すと高値で売れるからな」
周は呆れるやら驚くやらで、一瞬言葉が出なかった。
「智哉、お前も欲しい?」
青い顔をしている友人は少しの戸惑いのあと、
「うん……妹がファンだから」
「よし、任せとけ。ところでさ……」
周は智哉を角田達から遠ざけるために、彼の細い肩を抱いて、どうでもいい話題を振りながら教室へと向かった。
本当に中身のないどうでもいい話だからか、智哉は黙ったまま返事をしなかった。
「和泉さんだったっけ……?」
教室に到着するなり、智哉は言った。
「和泉さんがどうかしたのかよ」
「周って、あの人にずいぶん懐いてるよね」
急に何を言い出すのだ?
「懐いてるっていうか……変な人だけど、優しいし……いろいろ助けてくれるし」
「きっと僕のことも助けてくれるよね?」
「智哉……?」
「樫原詩織のサインなんてどうでもいいよ、そんなことより、和泉さんの連絡先を教えてくれない?」
なんでそんなことを?
周が口にするより前に始業のチャイムが鳴り、その話はそれきりになってしまった。