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134:しらを切る

「それこそ、愚にもつかないあなたの妄想ではありませんか? 和泉さん」


 通常、感情を司るのは右脳だと言われている。

 相手が嘘をついているかどうか確かめるために、顔の左半分を見ろ、とかつてそう教わった。

 しかし、今の藤江賢司の顔から何かを読みとるのは不可能に思えた。


 自分が会社まで訪ねてきた時点でおそらくこちらの用件を読み取り、しらを切り通すと決めたのかもしれない。


「残念ながら……立派な証拠がありまして。あなたも意外に些細なミスを犯す人のようですね、賢司さん。どうせなら【彼】とのやりとりでも徹底して【Rain】というハンドルネームを利用すべきでした」


「彼……と仰るのは、誰のことなんですか? 先ほどからやや、抽象的なお話ばかりで理解しづらいのですが」

「彼、とは石岡孝太いしおかこうたさん。美咲さんの幼馴染みで、彼女と同じ旅館で働いていた板前さんのことですよ」


 ※※※


 思えば、地元の小さな新聞社の記者が殺害された事件に端を発した、政治家と企業家の癒着に絡んだ次案を扱ったのはつい先月の話だった。


 最後に犯人を取り逃がし、逃走の末に自殺を許してしまうという大きな失態に終わったあの事件。

 犯人を追い詰め、刺傷を追わされた事件関係者に石岡孝太という人物がいた。


 事件の直後、和泉は突然、彼に呼び出された。

 いったい何の話があるのか、やや警戒したのだが、彼がもたらしてくれた事実は耳を疑う内容であった。



『俺、ガキの頃からずっとサキちゃん……美咲さんのことが好きでした。でも彼女は俺のこと、生き別れの弟だって信じて疑いませんでした。年齢から言ってそんな訳ないんですけど、そう信じることで自分を励ましていたのかもしれません。何て言っても彼女のまわりは敵だらけで、辛いこともいろいろ多かったから……だから俺も、期待に添えるように長い間、無理してました』

 どれぐらいの期間か知らないが、大したものだと和泉は思った。

『で、サキちゃんに好きな男ができて、相手も同じ気持ちで結婚が決まって。そりゃもう……本気で泣きましたよ』

『……そうでしょうね』

『でも、式の直前になってあんなことになって……彼女の父親が旅館の金を横領していた犯罪者だなんて濡れ衣を着せられて。借金のカタにあの人のところに嫁ぐことになって、俺もう……あの頃、サキちゃんのこと見ていられませんでした』


 彼は本気で彼女を愛していたのだろう。

 言葉の端々からそのことが伝わってきた。


『俺、頑張って借金を返すから……サキちゃんを連れて行かないでくれって、あの人に直接、頼んだことあります』

『あの人って、藤江賢司氏ですか?』

『そうです。あの人……全然、サキちゃんのこと好きって訳じゃなさそうだったし。それで俺、思い切って訊ねたんです。お飾りの妻として迎えるだけなんじゃないかって。そうしたらあの人、認めたんですよ。親族一同を黙らせることができればそれでいい、彼女のことなんて何とも思わないって』


 信じられない……と、和泉には言えなかった。自分もかつて、ただ目的のためだけに結婚した経歴の持ち主だからだ。

 むしろ共感できると言ってもいいかもしれない。

 彼の前で間違っても口にはできないが。


『その上、あの人……こんなこと言ったんです。そんなにサキちゃんのことが好きなら、公認してやるから愛人になればいい、だなんて』

 そこは信じられなかった。

 妻に対する、彼に対するなんていう愚弄だろう。


『冗談じゃないって、さすがに俺も怒りました。でもあの人、笑ってました……』

『笑ってた?』

『これから何かと、面白くなりそうだって……』

『それは何を意味していたのでしょうか?』

『俺にもわかりません。ただ……結局、サキちゃんはあの人の元に人質にとられて……俺は、何もできませんでした』


『そんなにご自分を責めないでください。あなたは何も悪くない』

『俺はあの人が言った、そんな戯言……本気にはしませんでした。だから連絡先を交換はしたけど、一切連絡取ったりはしませんでした。けど……』

 彼は少し恥ずかしそうに続ける。

『時々、後輩を連れて流川に飲みに行ったりすることあるんです。その時、たまたま入ったキャバクラで出会った女の子が……サキちゃんによく似てて。その内、どうにも耐えられなくなって……彼に連絡をとりました』

 誰が彼を責められるだろうか。

 和泉は黙っていた。


『それでも……さすがにほら、無理矢理って訳にはいかないじゃないですか。そんなことしたら俺、彼女に嫌われるだけじゃない、ただの犯罪者です。駿河さんにも顔向けできないし。俺、あの人のこと好きですよ。だから彼ならって、諦めようと頑張れたんですけどね……』


 つくづく健気な男だと思う。

 そして、自分はとても真似できない気がした。

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