132:エトセトラ
それは樫原詩織こと、中原詩織が殺人未遂の現行犯逮捕され、送検された何日か後の休日。
放課後、いつも通りに智哉が正門に向かって歩いていると、なぜか友永がそこに立っていた。
周と円城寺も一緒だ。
しかし2人とも、彼の姿を確認すると、なぜか退散してしまったのだった。
傍を通り過ぎる同級生たち及び、先輩や後輩が好奇の目でこちらを見つめてくる。
だが、今の智哉にとってそんなことはどうでも良かった。
「……すまなかったな、智哉」
出会い頭、彼はそう述べた。
初めて会った時には気付かなかった。
ボサボサの髪、きちんと手入れしていない無精髭のせいで【だらしない中年オヤジ】というレッテルを貼っていた彼が、よく見ると普通のイケメンだったということに。
「……何がですか?」
きっと、実は女性にモテるに違いない。
泣かせた女の人は何人だろう?
どうでもいいことを考えていた。
「お前に……不愉快な思いをさせたと思って。俺は少しも疑ったりしてなかったんだけどな?」
せっかく綺麗に整った髪をくしゃくしゃにかき回し、彼は少しだけ目を逸らす。
一度でも容疑者として疑われたことについて、智哉は何とも思っていない。
それでも友永は気にしているらしい。
「どうしてですか?」
なぜ、自分のことを信じてくれるのか。
それは単純な疑問だった。
「……言ったろ、長年の勘だ。本当に更生の必要なクソガキと、そうでもない子供の見分けぐらいつくんだって」
智哉は微笑んだ。
「友永さんの心眼を信じます」
「ほんとか?」
それから、ゴツゴツとした彼の無骨な手を両手で握る。
「……絵里香が、妹が……今度はいつ、友永さんに会えるのかってうるさいんですけど、いつお会いできますか?」
「いつだって呼んでくれ。すぐに駆けつけるからよ」
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「うん、わかったわ。いいの、もう……だってもう、どうしようもないじゃない。私には周君がいてくれるから大丈夫。それだけじゃないわ、他にも……助けてくれる人、たくさんいるの。そう悪いことばかりじゃないわ。だからお母さん、泣かないで。自分の身体を大事にしてね……」
※※※※※※※※※
場所は確か広島湾に面した工業地帯の一画だったはずだ。
営業支店なら市の中心部である中区に自社ビルが建っているが、薬品の研究室はまた違う場所にある。あの男がどちらにいるか、それは賭けだった。
あれこれと考えた結果、和泉は薬品研究室のある方へと向かった。
こう言うところは関係者以外立ち入り禁止だろうが、こちらには黒い手帳がある。
車で敷地内に入り、警備員に身分を名乗った。
「薬学研究室長の藤江賢司氏にお会いしたいんですが」
初めは胡散臭そうにこちらを見ていた守衛は、何か後ろ暗いことがあるのか、警察手帳を見た途端に背筋を伸ばした。
守衛は受話器を上げて電話をかけ始めた。
「少しこちらでお待ちください、とのことです」
言われた通りに待っていると、建物から白衣を身にまとった男があらわれる。
もちろん笑顔などではなく、迷惑だとはっきり顔に書いて。
「……何でしょう?」
「お話があるんですが。ここで立ち話しますか?」
「忙しいのでね、手短に済ませていただけるならここでもかまいませんよ」
「そうでしょうね、ご家族をほったらかしにしてまで進めなければいけない、大切なお仕事でしょうから……」
藤江賢司は不快そうに、
「少し歩きますが、この先にコンビニがあるのですよ」
「では、車で移動しましょうか。車の中でお話ししてもいいんですよ?」
和泉は後部座席のドアを開けた。
賢司は黙って乗り込む。
工場が立ち並ぶこの近辺は、コンビニと言ってもぽつんと1件あるだけのようで、カーナビの画面を見ていると目的地までかなり距離があるようだった。
車を走らせながら、和泉は先制攻撃をしかけた。
「単刀直入に申し上げます。賢司さん、とあるSNSで【Rain】 というハンドルネームを使っていましたよね?」
賢司の片眉が吊りあがる。
「……いつの話ですか? それは」
「今年の5月頃ですかね。まだ記憶に新しいでしょう?」
しばらくは沈黙が降りた。
こういうシチュエーションには慣れている。
和泉は相手の出方を待った。
やがて、
「確かに……そんなこともありました。ですが」
「ですが?」
「……アカウントを乗っ取られましてね。もう、使用していません」
そう答えて賢司は肩を竦める。
「乗っ取られた?」
「お疑いですか? 真実ですよ。まったく身に覚えのないメールの遣り取りが行われていたことが発覚して、気持ち悪くなったので消しました」
「それは、いつ頃の話です?」
「それこそ、今年の5月頃ですよ」
「……初めに申し上げておきますが、下手な嘘をつくと本当に危ないですよ?」
「危ないって、何がです? 僕は警察の方に睨まれるようなことは何もしていませんが」
「……警察の方に……っていうより、僕個人に……ですね」
「和泉さんに?」
賢司は怪訝そうな顔をする。
「賢司さん、僕はあなたのことが大嫌いです」
「……そうですか。別に、あなたに好かれたいとも思いませんけど」
「初めて会った時、あまりの嫌悪感に思わず……体調を崩したほどです」
「それはそれは、お気の毒でした」
「愛の反対は無関心だって、ご存知ですか?」
「……それが何か?」
「嫌いだっていうことは、相手に少なからず興味があるということです。だから嫌いな相手のことは、とことんまで追及してみたい……それこそ、何か弱みでも握られないか、とね」
「良い性格をしていらっしゃいますね」
「よく言われます」
コンビニに到着する。
和泉はエンジンを止めて車のカギをとり、店の中に入った。眠気覚ましのコーヒーとお菓子をいくらか購入する。
「お一つ、いかがです?」
チョコレート菓子を差し出すと賢司は、
「甘いものは好きではありませんので」
そうですか、と和泉は自分の口に放り込む。