129:助けて、隊長さ~んっ!!
智哉はカバンからハンカチを取り出し、濡れた頭と顔を拭いた。
詩織はクスクス笑いながら、
「写真のことだけじゃないよ。角田は私に、これと似たようなことしたんだよ? ううん、これよりもっとひどいこと。どうせいろんな男に足開いてるんだろとか、この写真だって、自分から変態オヤジに取り入って撮影してもらったんだろうとか、事務所の社長ともやったのかとか……」
ありうる、あの男なら。
「新人の女優さんが役欲しさに、プロデューサーに身体を売るっていう話、時々聞くじゃない? 私もそうなんだろうって、あいつそう言ったのよ?!」
その怒りの形相からして、恐らくそれは事実無根なのだろう。
「私はね、ママの夢を叶えてあげたくて……ただそれだけだったの!! そうしたらちゃんと私のことを認めてもらえるって、そう思って必死で頑張ってきたんだから!!」
「それは、どういう……?」
母親に虐待されて育ってきたのだろうか?
そんなこちらの疑問に答えるように、詩織は続ける。
「私……ママのお人形だったのよ。パパがいた頃にはいつも、綺麗なお洋服をとっかえひっかえして、着せ替え人形にされてた。可愛いって喜んでくれたけど、ただの自己満足。自分が子供の頃にはこんなもの着せてもらえなかった、いつもそんな話ばっかり」
知らなかった。
かつての叔母に対してあまり良い印象を抱いてはいなかったが、まさか彼女がそんなふうに扱われていたとは。
「でもね、その代償は安くなかった。お洋服にアクセサリーに、いろんな習い事。散財をした結果が破産なんて。そうしたらあの人、どうしたと思う?」
「……さぁ?」
詩織は鼻を鳴らした。
「ママってね、地元に、昔から困った時に必ず助けてくれる幼馴染みがいたんだって。その人が例の……猪又のおじさんよ。あの人、ロリコンとか女装趣味のある人とか、そういう特別な性癖のある知り合いがいたんだって。私をモデルに気味の悪い写真を撮って売ると、なかなかのお金になったらしいわよ」
「あの人、確か……何年か前に捕まって……」
「そう。ママに言わせると、加減を知らない人らしいわ。私や智くんの他にもモデルになりそうな子を捕まえようとして、誤って死なせちゃったんだって」
なんていうことだろう。
「刑務所に入って何年だったっけ。最近になって出てきたんだけど……ママったらひどいのよ? あんなにお世話になった人なのに、前科者なんだから近づかないでって」
「ねぇ、まさか……その猪又って言う人も……?」
「写真のことで私を脅してきたのかって?」
智哉は息を呑む。
「私は直接遣り取りしていないから知らない。でも……ママが言ってた。もう殺すしかないって」
まさか。
「あの人って、そうなのよ。どこまでも自分勝手で自己中心的。ちょうど私が世間の人に知られるようになって、人気が出てきた頃でしょ。生かしておいたら絶対、後々になって面倒なことになるからって」
「そんな……」
「その後すぐ、猪又のおじさんが殺されたってニュースで言ってたのを見て、ああ、ママがやったんだな……って思ったわ」
「君は、その現場を見たの?」
「ママが……ほら、私がCMに出てた栄養ドリンクに何かを仕込んでいたのは見たわ。あれきっと毒だったのよ」
こともなげに言う彼女が、智哉にはどうしても信じられなかった。
「あの人の唯一いいところは、決断が早いことよね。殺す、って決めたら即実行」
背筋を悪寒が走った。
そんな恐ろしいことを平気で口にする彼女の神経にも、それを実行した犯人の心情にも同感できない。
「びっくりしてる? 智くん、世間知らずのお坊っちゃまだったもんね」
クスクスと笑いながら詩織はカバンを手元に引きよせる。
「それでいて、バカがつくほどのお人好し」
それからすっ、と彼女がカバンから取り出したのは、細い紐のようなものだった。
「……今の話、全部録音してるんでしょ?」
「……え?」
「知ってるわ。どうせ大好きな周君のためでしょ? 私が真相を話すよう誘導して、角田殺しを依頼したのは私だって……そう言わせたかったんでしょ」
智哉は身の危険を感じた。
彼女は素早い身のこなしで立ち上がると、それこそ豹のようなスピードでこちらに飛びかかってきた。
首に紐が巻きついてくる。
気がつけば智哉は、腹の上に乗っかられ、紐の端を両手に握った詩織に見下ろされていた。彼女の肩越しに見える蛍光灯の光が眩しい。
「実はそうなの。角田を殺して欲しいって依頼を出したのは私なんだ」
「……君が……?」
「そう。だってキモいし腹立つもん。私がね、社長がアニキって呼んでる弁護士先生に頼んだの。確か名前は支倉って言ったかな? 弁護士だって言ってたけど実態はただのヤクザ。ママはたぶん知らないわね。あの人、自分とお金にしか興味がないから。娘がきちんとアイドルして稼いでくれていたらそれでいいの。角田がすごくムカつくから、誰があいつを殺すように依頼できないかなって相談してみたらね、ネットで良いのを探しておいてあげるって言ってくれたの」
「……まさか……」
「本当よ? でも思った以上に仕事が早くてびっくりしたわ」
きゅっ、と首に巻かれた紐が食い込んでくる。
「ごめんね、智くん。今までのこと全部、智くんがやったことにして自殺した、っていうシナリオでどうかな? 猪又のおじさんを殺したのは、気味の悪い写真を撮られた恨みってことで」
智哉は恐怖を覚えた。
初めは演技じゃないかと思っていた。
その内、笑いながら「なーんてね」と言い出すのだろうと心のどこかで思っていたから。
だが。段々と力がこもってくる。圧迫感がじわじわと襲いかかる。
「……けて……」
必死で手足をバタつかせる。
しかし思いの他、相手の力が強い。
「死ね」
僕、死ぬのかな?
絵里香のこと、どうしよう?
もし母が再婚したら妹はどうなる?
虐待されたりしたら?
ダメだ、そんなの!!
まだ死ねない!!
「友永さん、助けて、友永さん……っ!!」