128:君はどう生きるか
「ほんとそう!!」
詩織はなぜか嬉しそうに頬を上気させていた。
「知ってる? あの角田のクズゴリラ、私のことを彼女に……将来的には嫁にしてやるなんて言ってさ!! キモいったらありゃしない!!」
「そこまで言わなくても……」
「顔は不細工だし、頭も悪いし、何一ついいところなんてないじゃない!!」
確かにそうだが。
さすがに気の毒になった智哉は、何かフォローできないかと探った。
「でも、父親は地元銀行の頭取だよ?」
すると詩織は鼻を鳴らした。
「私にはね、夢があるの。ちょっと年上の青年実業家と結婚して、子供を産んで、誰からも羨ましがられるママタレントになって……」
くだらない。
そう思ったが口には出さなかった。
おまけに話が逸れてしまった。いや、焦るまい。
「だって、それがママの夢だったんだもの。だから私が叶えてあげるの……!!」
母親の呪縛。
智哉は彼女に憐れみを覚えた。
「それ、おかしいんじゃないかな……?」
「何がよ?!」
詩織はさっと気色ばむ。
しかし、怯んでいる場合ではない。
「君の人生は君が決めることだ。母親の夢を叶えてあげて、それは本当に君が望んだことなの? それで満足できるの? 幸せなの?」
幼馴染みで従姉妹の少女は黙り込んでしまった。
言い過ぎてしまったのだろうか。智哉は少し、不安を感じた。
しかしそんな心配は無用だったようだ。
向かい合って座る彼女は、大きな口を開けて笑いだした。
「智哉君のパパって、お医者さんだよね?」
「……そう」
「将来はお医者さんになれって、両親から言われなかった?」
両親がいた頃は確かに、それが当たり前みたいに思っていた。でも。今、母親は医者にだけはなるなと言う。
「そういうもの。子供はね、生まれてくる家を選べないって言う不幸があるんだ」
「……そうかもしれないけど……でも」
周だって決して、望んで愛人の子供として生まれてきた訳じゃない。
それでも彼は卑屈になることなく真っ直ぐに生きている。だからたくさんの人に好かれるのだ、と今ならわかる。
「どう生きるかは、自分で決めていいんじゃないかな」
すると。
「智くんって周君と同類みたいだね」
詩織は低い声で言い、こちらを睨んでくる。
「何も知らないくせに、正論っぽいこと言ってしたり顔するの!! 私が今までどんな思いで、どんな気持ちで生きてきたか……知ってるの?!」
「ごめん。わからないよ……でも、ただこれだけは言える。今の君はとてもじゃないけど幸せそうには見えない」
スポットライトを浴びて、たくさんのファンに囲まれて。
でも。真実の彼女を知っている人間はきっと、存在しない。
彼らが見ているのは偶像である【樫原詩織】であり、中原詩織ではない。
「僕……自分が何のために生きてるのか、時々不安になることがある」
智哉は詩織の顔を見つめた。
「でもね。何か間違えたら、きちんと謝って同じ失敗を繰り返さないように頑張ればいい、本気で大切だって思える人に出会えたら……しっかり言葉で伝えればいい。そうすれば相手もわかってくれて……そうして気持ちがつながり合って、そういうのって……一時的じゃないんだよ? きっと一生つながる絆になるんだ。そうして……誰かが自分を必要としてくれてる、その自覚が自分の価値になるんだ」
詩織は何も言わない。
「環境のせいとか、親のせいとか。外的な原因は自分ではどうすることができないけど、でも……僕には本当に素敵な出会いがあって……」
少しだらしなくていい加減だけど、言葉は乱暴だけど、いつも心から気にかけてくれて優しくしてくれる人。
子供のころからずっと、誠実に【友人】であってくれた人。
出会って間もないのに【友】と呼び、自分を危機から救い出そうと奔走してくれた親切な人。
たぶん何もかもわかっていて、騙されたフリをしてくれた人。
「僕、実を言うと人に言えないことしたこともあるんだ。だから本当は、ずっと苦しかった。だけど、打ち明けたらすごく気持ちが軽くなったよ。だから君も……」
すると詩織は突然、なぜか笑いだした。
「智くんってほんと、お人好しだよね!! 子供の頃からそう。そんなんだからバカにされたり、いじめられたりするのよ!! どうせ智くんだって、あの写真のことで角田のゴリラに脅されていたんでしょ?!」
「それは……」
ばしゃっ!!
彼女は水の入ったグラスを手に取り、中身を智哉の顔面めがけてぶちまけてきた。
氷が頬を直撃し、冷たさと微かな痛みを感じる。ぽたぽた、と滴が垂れ、畳の上を濡らしていく。
「普通さぁ……こういうことされたら怒るよね? 殺す、ってそう思わない?」
濡れた前髪が智哉の視界を狭くした。