127:なにぶん新人ですので……
もし、店の入り口で追い返されたら誰かにスーツを借りよう。
そう考えて智哉は翌日の夜、制服を着て指定された店へ向かった。
テレビで時々、尾行していた相手に『逃げられました』と刑事達が悔しそうに言うシーンを見たことがあるが、あれって本当なんだなと智哉は思った。
警護に付いている刑事をまくのは実に簡単なことだった。
それから指定された店を目指す。
恐らくここだろうという場所に見当はつけたが、どこから入っていいのかわからない。
しばらくウロウロしていると、
「智哉君!!」
現れたのは母親である中原優香里ではなく、娘の詩織の方だった。
「お待たせ。このお店、入口がわかりづらいでしょ? 何しろ、有名人がお忍びでやってくる隠れ家的な店なんだから」
今日の彼女はグレーのビジネススーツ、変装のつもりだろうか、黒ぶち眼鏡にひっつめ髪をしている。母親そっくりだった。
「……叔母さんにも一緒に来てって、言っておいたんだけど?」
「元叔母、でしょ? ママは何かと忙しいのよ。知りたいことなら私が教えてあげる」
詩織の誘導で店の中に入る。
ニコニコしながら出迎えてくれる仲居さん達が、実は制服姿の自分を奇異な思いで見ているに違いない、と気が気でなかった。
それでも。個室に通されて2人きりになると、少しだけ落ち着いた。
「久しぶりだね、智哉君」
智哉は自分のスマホのレコーダーが作動しているかどうかを確認しながら、うん、と答える。
「こないだはライブに来てくれてありがとう」
「……気付いてた?」
「もちろん。意外とね、舞台の上からって誰が来てるか見えるものなんだよ」
詩織は足を崩し、おしぼりで手を拭きながら、
「それで、どうしたの? 急に。何か話?」
いきなり用件を切り出していいのかどうか、少し悩んだ。
いろいろ世間話をして、少し和んだ頃に真意を伝える方がいいと考えていた智哉にとっては、不意打ちであった。
「あ、あのね……」
「もしかして智哉君も、芸能界に入りたいの?」
「えっ?」
「だってほら、今って母子家庭なんでしょう? 知ってるよ。智哉君のママってさ……やたらに気が強くて可愛げがない女の人だったじゃん。あれじゃ男に好かれないよな~って思ってたんだ」
あきれた。
確かにその通りかもしれないが、自分の母親だってそうじゃないか。
「で、お金欲しいんでしょ?」
「そういうことじゃ……」
「いいんだよ、無理しなくたって!! 皆、お金はいくらあっても困らないって言うからね。いろんな人に注目されて、好きなことやって楽して稼げたら何も言うことないじゃない?!」
「……そうだね」
「でもさ、世の中にはそう言うのが許せないっていう人もいる訳。そう言うのってただの妬みだよね? 好きでもない仕事して、あくせく働いて稼いだのがたったこれだけ、って思ってるんだろうな」
「それ、誰のこと……?」
「え? 別に。それより智くん」
子供の頃の呼び名に戻った。
「智くんさ、いい話があるんだよ」
「いい話……?」
「智くん、綺麗な顔してるじゃない? どっちかって言うと女の子みたいな」
あからさまにバカにしている。
智哉が返事をしないでいると、
「今ってさ、一部の女の人に、男同士でやってる卑猥な話がウケるんだって。その手の映像作品に出演したらきっと、いいお金になると思うよ」
「……」
「ねぇ、実は周君とそう言う関係なんでしょ?」
「え?」
「智くん、子供の頃から周君にべったりだったもんね。だから週末になると、周君がいないってビービー泣いてさ……で、他に一緒に遊ぶ友達もいないから、私と遊んでいたんでしょ?」
「そんなこと……」
「ママに叱られたりしなかった?」
「え、どうして?」
だって、と詩織はニヤリと笑う。
「知ってた? 智くんのママってさ、うちのママのこといつもボロクソに言ってたんだよ。下品で知性の欠片もないって。お高く止まってる人だったよね。智哉君、私と遊んじゃダメだって言われなかった?」
「……言われたけど、でも……」
「私が智くんにつきまとったんだよね。だって、楽しかったんだもん」
「楽しかった……?」
詩織はクスクス笑いながら頬づえをつく。
「智くんって気の弱い子でしょ? 公園に行ってブランコに乗ってたら、後から来た強い子に押されて、横取りされちゃうの。お誕生日プレゼントに買ってもらったボールで遊んでたら、それも他の子に貸りパクされてダメにされちゃって。よく泣いてたよね~。それを見てるのが楽しかった。で、そんな時だよ。周君がやってきて一緒に遊ぶようになったのは」
覚えていない。
「周君ってね、ケンカは弱いクセに強い子に立ち向かって行くの。でも何度負けてもあきらめないから……結局、最後は粘り勝ち。正直言って気持ち悪かった」
「周は、本当の意味で強い子だよ……」
「ほらやっぱり、ベタ惚れなんじゃない」
「何とでも言ってよ。とにかく、僕が今日知りたいのは……」
失礼いたします、と襖が開いた。
近眼なのかそれとも機嫌が悪いのかどうか知らないが、入ってきた小柄な仲居さんは眉間に皺を寄せ、震える手で卓上に水のグラスを置いた。新人さんだろうか。
「あ、お料理は適当にお願いします」
詩織は慣れた様子で言う。
かしこまりました、と仲居さんは一礼して去って行く。ぎこちない足取りで。
大丈夫かな、あの人……。
それから智哉はあらためて、向かい合う少女を見つめた。
「智くんの知りたいことって、あのゴリラでしょ?」
「……角田のこと?」
「そ。あのサル、どこであの写真を手に入れたのか知らないけど……」
詩織は忌々しそうな顔で、吐き捨てるように言った。
「っていうか智くん、あれって全部智くんの写真だってことで丸く収まるはずだったよね?」
「……僕は、角田には一言だって君のことを話したりしていない……」
「じゃあ、どうして奴が私のこと脅してくるの?」
「知らないよ、そんなこと。それこそ今の時代……何だってネットでできる時代なんだから」
「そうそう。ほんと、便利になったよね」
「殺人の依頼だって、匿名でできるぐらいだもんね……」
カマをかけたつもりだった。下手ながら、これが功を奏すれば……そう考えて。