124:シリーズ全部読んでないとわからないね
「ねぇ、周。今日は何か予定ある?」
放課後、帰り支度をしていた周に智哉が声をかけてきた。
「……いや、別に」
「じゃあ、帰りに家に寄ってもいい? お義姉さんにも話したいことがあって」
「義姉さんに?」
何だろう。
一瞬だけ不穏な空気を感じたが、断る理由もない。
あれから智哉は何と言うか、何もかも吹っ切れたような顔で元気そうにしている。今まで彼を束縛していたいろいろなものが解消され、スッキリしたのだろう。
今までになく明るい、元気そうな友人の表情を見ていて、ほっとするやら羨ましいやら。
周はと言えば。
兄は相変わらず自宅には戻って来ない。
それでいい。顔を合わせればきっと、また再び……あの悪夢を思い出してしまうから。
今までは考えないようにして、思い出さないようにして必死だった。
賢司の母親、つまり父の正妻はいつも、周の存在そのものを否定するような言い方をして攻撃してきた。
なんで生まれてきたのか。
どうしてこの家にいるのか。
汚らしい、けがらわしい……!!
それに対して、父がいつも言い聞かせてくれたこと。
『周は僕の宝物だよ』
『お前が生まれてくれて、とても幸せだよ』
その言葉を糧に周は今まで生きてこられた。誰が何と言おうと、この世に生を受けた意味を感じ取られた。
父はもういないけれど。
『あなたが愛した分、皆があなたを愛しているのよ』
今は、そう言ってくれる義姉がいる。それでいい。
誰かが自分を愛し、必要としてくれている。
それが自分の【価値】なのだ。
自宅に到着する。以前は仕事で割と留守にすることの多かった義姉だが、今は毎日家にいる。
今日も扉を開けると、何か料理をしていたようだ。
美味しそうな匂いがする。
「ただいま」
「あ、周君! お帰りなさい。あら? 智哉君も……いらっしゃい」
こんにちは、と智哉は笑顔で挨拶する。
猫達が彼の足元に擦り寄ってきた。飼い主にはあまり愛嬌を振り撒かないくせに、たまにやってくる客人にはサービスするのだ。
「あの、お義姉さんにお話があって」
「え、私に……?」
美咲は驚いている。
周もいったい何を言い出すのかと、先ほどからドキドキしている。
「実は今年の5月ごろなんですけど……」
※※※
「賢司さんは美咲さんを、彼女のお母さんが、お父さんを自分のお母さんから奪った女性の子供っていうことで、ひどく憎んでいた……」
智哉から聞いた話はあまりにも驚くべき内容で、俄かには信じられなかった。
ダイニングテーブルの席に3人で座り、周は友人が語る真相を聞いた。
賢司に頼まれて、美咲が浮気していると、周の元に結婚前彼女が交際していた駿河の写真と共に手紙を送ってきたのが他ならない、智哉だったとは。
親戚を黙らせるために仕方なく理由ありの女性を妻に迎えたが、どうしても好きになることができない。
平気で他人のものを盗るような女の娘。
そんなふしだらな女性を、まだ何も知らない弟に近付けたくない。
美咲が夫の他に男を作っていて、不倫をしていると知れば、周は絶対に彼女を蔑むだろう。そして賢司の目論見は一時的にとはいえ、成功した。
兄の掌の上で踊らされていたのだ。
そのことに気付いた周は、恥ずかしさと後悔がこみ上げてくるのを感じた。
「その後は、和泉さんのこと……」
「和泉さん?」
「周が彼と親しいのが気に入らなかったみたい……元々警察に不信感は持っていたみたいだけど、賢司さんが何を言っても聞かないから……いったいどういう人間なのか見極めて欲しいって頼まれて」
だからか。
和泉の連絡先を教えろとか、どういう人なのかとやたらに訊ねてきたのは。
「……最初は僕、賢司さんが本気で周のこと心配してるんだと思ってた……でも、和泉さんと接してるうちに、どうも違う様な気がしてきたんだ」
和泉は決して賢司の言うような悪い人間じゃない。彼も、彼の仲間達も。
「……なんでだ……?」
思考回路がゆっくりと、鈍く回転する。
周はやっとのことでそれだけを口にした。
「わからない、僕にもわからないんだ。ただ、いろいろあって彼に対して疑問を持つようになって思った……本当のところ賢司さんは周のこと、心配してるフリだけなんじゃないかって。それで僕、もう賢司さんに協力するのはやめようって思ったんだ」
「いつからだ……?」
「え?」
「智哉、いつから俺の知らないところで賢兄と……」
別にそんなことはたいしたことではない。でも、何か言っていないと頭がおかしくなりそうだった。
「両親が離婚するかしないかでもめてた頃かな。家にいたくなくて、流川に行って……彷徨ってたところで賢司さんに再会したんだ。すごく優しくしてくれて、この人の言うことなら、なんでもしようって思った」
「つまりあいつは、お前のことを利用した訳だな?」
「周……」
「何が目的だ? なんでそんなこと!」
「周君」
義姉の声にはっ、と周は我に帰る。
「ごめんなさい、本当に。ずっと本当のことを話して謝りたかったんです」
智哉はテーブルの上に額をつけんばかりにして、頭を深く垂れる。
本来なら、罵声の一つでも浴びせられても文句は言えないところだろう。彼だってそれぐらいの覚悟はしてきたはずだ。
でも彼女は。
「智哉君……そんな、話し辛いことを打ち明けてくれてありがとう……」
きっと、こう言うのが本当の【強さ】なんだろう。
もしかすると彼女は自分なんかよりずっと、もっと辛い思いをして生きてきたのかもしれない。その上で今がある。
そう考えたら周は、昨日までの自分が少なからず恥ずかしくなってきた。
「怒っていないんですか……?」
「智哉君を怒ったりはしないわよ。そんなことより、いろいろ辛かったでしょう?」
「……はい」
「スッキリした? じゃあ、おやつにしましょう」




