123:ほんの小手調べ
しばらく沈黙が降りる。
中原優香里の額には汗が浮かんでいた。
「猪又氏が亡くなられたことも?」
「そ、それが何だって言うんですか……?」
同じセリフを繰り返しているあたり、相当動揺している様子が伺える。
「いえ、別に。ちょっと話を逸らしてみただけです」
かーっ、と再び相手の頭に血が昇ったのがわかる。
その時、扉をノックする音がして入ってきたのは聡介だった。
「中原優香里さん、ですね?」
「ちょっと、この人何なんですか?! もっとまともな人に代わってください、話になりません!!」
「お気持ちはお察しいたしますが、とりあえず……猪又氏の件に関して、こちらの質問に答えていただけますか? いずれにしろ、署に来ていただいてお話を聞こうと思っていたのですが、思いがけずそちらから来ていただきましたのでね」
まともな人が来たと思ったが、どうやら思う通りにはいかないようだ。
そう悟ったらしいクレーマーは表情を変えた。
追い詰められると、却って闘争心が強くなるタイプがいる。
今、向かい合っている相手がまさにそれだ。
「……たっちゃ……いえ、猪又さんのことでしょう? 知っていますけど、それが何か?」
「最近、いつお会いになりましたか?」
「そんなこと、どうして答えなきゃいけないんです?」
「さっきも訊きましたけど、亡くなられたこと、ご存知ですよね? というか……殺害されたことを」
中原優香里はぎろっ、と和泉を睨みつける。
「まさか、私が殺したとでも言いたいんですか?!」
「……そうなんですか? ご自身の口からそう告白していただけると、我々としても非常に助かるんですけどね……」
「冗談じゃありません!! こっちは詩織のことで抗議に来たんですよ?! それとこれとは関係ないじゃありませんか!!」
「関係ない……そうでしょうか?」
和泉は彼女の瞳を見つめ返した。
白けた表情の自分がそこに映っているのを確認しながら。
中原優香里はやや怯えた表情で目を逸らした。
「仮に彼が何者かに殺されたとして、そんなの……だから何だって言うんですか?! あんなやつ、いずれは誰かに殺されたはずですよ!!」
その発言に和泉は、彼女が猪又をどう思っていたかを読み取った。
「……あなたが、そう言う発言をなさるのですか?」
「え……?」
「いろいろ調べさせていただきましたが、あなたは鳥取で……随分彼と親しくしていたようですね」
「親しく……って、やめてください!! 勝手につきまとわれていただけです!!」
「困った時には必ず助けてくれる用心棒のような。もっとも、やり過ぎて警察のお世話になるようなこともしばしばだったようで、あなたにしてみれば微妙な存在でしょうね」
答えはない。
「過去にいろいろとあったようですね。まず、アルバイト先のスーパーでの出来事。それから次のカラオケバーでのこと。あなたが企画した、いわばしたたかな下心あっての【やらせ】であったとしたら……さぞかし迷惑だったことでしょう」
やはり中原優香里は答えない。
「慰謝料と銘打って金銭をむしり取る、あるいは、叶えたかった歌手への道を歩むためなら、自分の身体を売ることだって厭わなかった。そうではありませんか?」
反応がないので、和泉は【勝手に】続けた。
「しかし案に相違して、猪又氏はあなたが困っている、助けを求めていると考えたのかもしれません。大切な幼馴染みに仇なす悪党許すまじ、と彼が思ったかどうかは既に闇の中ですが……」
すると、中原優香里は笑いだした。
「刑事さんって、随分と妄想がお得意なんですね!! なんか2時間ドラマのシナリオにでもなりそうな陳腐な話だわ」
「妄想かどうか。ここ最近、あなたが猪又氏に接触したかどうか……確実なことを調べたいので、指紋を取らせていただけませんか?」
「冗談じゃありません!!」
拒絶の回答については、まったくの躊躇もなかった。
「人のことを犯人扱いして、人権侵害ですよ?! そもそも私は……そう、詩織にあらぬ疑いをかけた挙げ句、危うく冤罪を起こしかけた警察組織に対して、抗議しに来たんですよ?! その点の回答がまったくもらえていませんけど!!」
がたっ、と中原優香里は立ち上がる。
「そうでしょうね」
対して和泉は組んだ両手に顎を乗せ、ニコニコと微笑みかける。
「今は特に、大切な時期ですもんね? お嬢さんの樫原詩織さんが売れ始めて、あわよくば東京へ進出することもできるであろう……そんな時に、よりによって前科者につきまとわれたりしたら」
「だから……!!」
「ちょうど仮出所して外に出てきたばかりの彼は、間違いなく、かつて親しくしていたあなたを頼ってきたに違いない」
「あの人は何の関係もありません!!」
平行線をたどりそうになった尋問に、和泉は切り札をさらすことにした。
「おまけに自分の娘を幼い頃、金儲けのために使っていた……そんな事実が世間にバレたら無傷では済まないでしょうね」
「……何の話です?」
中原優香里は青ざめた。
「知らないフリをなさるなら、それもいいでしょう。ですが……世の中にいる変態達の嗜好を満足させるための画像、けっこうなお金になるそのモデルをあなたが娘にやらせていたという事実を我々はつかみました。幸いにも、猪又氏本人がそういう変態だったというよりは、ただお金のためだけだったようですがね」
「誰が、誰がそんなこと……あ、あの子でしょう?!」
「あの子ってどの子です?」
中原優香里はしまった、という顔をした。失言だと気付いたらしい。
「……篠崎智哉君、あなたにとってはかつて甥っ子に当たる少年です。彼が本当のことをすべて話してくれました。これは推測ですが、もしあの画像が流出するようなことがあったとしたら、全部モデルは智哉君1人だったことにしておけと頼んだりしていませんか? 嫌と言えない優しいあの子は……黙って頷いた。違いますか?」
「……黙秘します」
とうとうそこへきたか。
だが。
最後に勝つのはあきらめなかった方。