114:黙っている訳にはいかないよね?
いつ眠ったんだろう?
目が覚めて時計を確認すると、目覚まし時計が鳴るよりも5分ほど早い時間だった。
ボンヤリとした頭で周は上半身を起こす。ドアの向こうでカリカリと音がする。
ドアを開けると、めずらしいことに三毛猫のプリンが中に入ってきた。彼女はするりと足元にまとわりつき、頭を擦り寄せてくる。
いつもならこちらから触れようとすると、プイっと逃げてしまうくせに、今朝はどういう理由か抱っこさせてくれた。
柔らかい毛並みが頬をくすぐる。
「夢、見てたのかな……昨夜、和泉さんとあいつが来てた気がする……」
きっと夢だろう。
今は一番忙しい時なんだから。
学校に行かないと。
行きたくない。でも、行かなきゃ。
「周君、起きた?」
部屋のドアの向こうから遠慮がちに、聞こえたのは義姉の声だ。
「うん……一応」
「朝ご飯、食べる? 今日は学校……行くの?」
「行くよ、授業について行けないと困るから」
プリンを床に下ろし、周は顔を洗いに洗面所へ向かった。
服を着替え、リビングのドアを開けようとして思い留まった。
兄がいたらどうしよう。
ままよ、とノブをつかんで回すが、幸い、彼の姿はなかった。
「お弁当、用意したわよ。今日はね、元気が出るように紅茶に蜂蜜を入れてみたの」
テーブルの上に乗っている湯気の昇るマグカップを見ていて、周はふい、と口にしてしまった。
「……俺、生きててもいいのかな……?」
美咲はたたっ、とこちらに駆け寄ってくると、無言で抱きついてきた。
「あなたはたくさんの人に愛されているわ。あなたがたくさん、愛した分だけ。私は周君のことが大好きよ」
何とも言えない温かさに、ふと、涙がこぼれそうになった。
学校に行く用意をし、靴を履いて玄関に出る。
すると驚いたことに、ドアの向こうに智哉と円城寺が2人で立っていた。
「おはよ、周」
「……なんで……?」
「刑事さんに言われたじゃないか、しばらくは一緒に登下校した方がいいって」
確かにそうだが、2人とも家の方向からしてここに寄るのは遠回りになってしまう。
「共に行こう、友人同士で。何かあったら互いに守り合おう」
義姉の言ったことがすぐに現実になった。
朝から泣いてしまいそうだった。
※※※※※※※※※
昨日からの強行軍で、目の下には歌舞伎役者かと見まごうようなクマができている。
ちょうどいい。
誰かに文句を言うにはピッタリの顔色だ。
和泉は顔を洗ってきてから会議室に戻った。既に何人かの刑事達が集まっており、今日の予定を確認しているようだ。
「玉島さんと仰る刑事さんはどれですか?」
周にいらぬ嫌疑をかけたバカな刑事は。
もちろん、声には出さず胸の内で呟きながら、和泉はすぐ近くにいた女性の事務員をつかまえて訊ねた。
あちらです、と言われて視線を転じる。
会議室の隅、所轄の刑事達が固まって何やら話し合っていた。
和泉は離れた場所でしばし様子を見ることにした。
眼つきが悪いのは刑事全般そうだが、その男は顔つきも凶悪だった。外見だけで相手に恐怖心を感じさせる。
その上、若い後輩達に対する言葉遣いも、聡介とは雲泥の差だ。父は上官でありながら部下全員を仲間として大切に扱ってくれるのに、その刑事はまるで奴隷に対するかのように威張り散らしている。
一目見ただけで大嫌いになった。
彼らが解散したタイミングを逃さず、
「玉島さん」
和泉が呼びかけると、相手は胡散臭そうなものを見る目でこちらを睨んでくる。
「なんじゃ? 1課の刑事が何の用じゃ」
「……僕の可愛い周君に、あらぬ嫌疑をかけましたよね?」
「はぁ?」
「角田殺害の件。誰が依頼したのか例のハンドルネームの契約者をたどって、それから動機のありそうな人間を探りだして……ご自分では名推理だと勘違いなさっているんでしょうが」
勘違い、と言ったことが相手を刺激したのだろう。
さっと相手は怒りの表情を浮かべる。
「パソコンもネットもロクに知らないアナログ人間が張り切ると、恥をかくだけですよ?」
「なんじゃ、貴様?!」
「契約者が必ずしも使用者とは限らないこと、同じハンドルネームの人間が複数いる可能性だってある。もっと言えばアカウントを乗っ取られ、勝手に使用されている可能性だってあるんですよ?」
最早何を言われているのかすらわからない、そんな顔だ。
「かくいう僕自身、それほど詳しい訳じゃありませんけどね。とにかく」
和泉は1つ息をついて続ける。
「状況証拠だけでホンボシと決めつけた上に、恫喝で自白を引き出すなんて古いやり方はもう流行りませんよ? それに何よりも。未来のある少年の心を深く傷つけた……どう償うおつもりですか?」
「何の話をしてるんだか、さっぱり意味がわからん」
とぼけているのが明らかだった。
和泉の中で何かが切れた音がした。
「昨夜、あんたが無理矢理連行した、藤江周って子のことだ」
「あのガキか。胸くそ悪い、いちいち口応えしやがって」
「論理的反論、と言ってください。あの子はあんたと違って頭のいい子だから」
「……あぁ?」
和泉は、所轄の刑事の胸ぐらをつかんだ。
「今すぐあの子に謝罪しろ」
「何言ってんだぁ? お前、そもそも誰だ」
「お前みたいなクズに名乗る名前はない」
「なん……なんじゃとおっ?!!」
殴りかかってこようとした相手の拳をかわすと、それを見ていたまわりの刑事が止めようと群がってきた。
「おい、てめぇ誰だ?! 誰に向かって物言ってるんだコラ!!」
所轄の刑事は同じ部署の刑事達に囲まれ、物理的に和泉と引き離される。それでも暴れながら喚き立てている。
「そんなに知りたければ教えてやるよ。捜査1課強行犯係、和泉警部補だ。宇品東署のホシミズ刑事さん」
【ホシミズ】というのは、ホシを見たことがない……犯人を検挙した実績のない刑事に対する侮蔑の隠語である。
ホシミズ刑事はまだ何か叫んでいたが、和泉は彼に背を向けて会議室を出た。