113:おかげで僕の株が上がったよ
「葵ちゃん、さっきはワザと憎まれ役を買って出てくれたんでしょ?」
捜査本部に戻る途中。
さすがに助手席で眠る訳にはいかないと思ったのだろうか、和泉が話し出す。
駿河にしてみればどちらかと言うと、黙っていてくれた方がありがたいのだが……。
「……何の話でしょう」
実を言えば彼の言う通りだ。
何を言われたのか知らないが、先ほどの周はただ、悲しみに暮れていた。
深い悲しみに飲みこまれてしまうと、人は無気力になり、自ら死を選ぶ可能性も少なくはないと聞いたことがある。
それならば。
たとえ憎まれようと、今は周の怒りを引き起こすのが最善ではないか。
そう思ったので、わざと彼の感情を逆撫でするようなことを口にした。
期待通りだった。
あれだけ大きな声を出せる元気があるなら、まだ大丈夫だ。
「妬けるよねぇ……」
「……はい?」
「周君は頭の良い子だから、そのうちきっと……葵ちゃんの真意に気がついてしまって……いつからか気になって仕方ないアイツ……的な存在になったら、どうしよう?!」
深夜のテンションでかなり頭がイカれているらしい。
こちらも少なからず、冷静ではなかった。
なので思わず、経験も階級も自分より上である先輩に対し、
「運転に集中したいので、少し黙っていていただけますか?」
「……はい、ごめんなさい……」
※※※※※※※※※
だいぶひどい顔色をしていたようだ。
和泉達が署に戻った時、時計の針は午前2時近くを指していた。
自分だって睡眠不足の疲れた顔をしていながら、こちらを一目見るなり、
「大丈夫か?」と聡介が問う。ついでに「明日帰る予定だったんじゃないのか?」
「……緊急事態でしてね」
「周君のことか。まったく、あのなんとかっていう刑事は本当に……? なんで知ってるんだ? お前にも連絡しようとは思っていたが……」
「そこはほら、何とかの道は何とかです」
それから和泉は大欠伸をした。
「少し休憩して、それから会議と行きましょうよ」
その辺にあったパイプ椅子をつなげて横たわろうとした時、ふと和泉の目に思いがけない文字が入った。
「……聡さん、これって……?」
「ああ、これは、被疑者の携帯のデータがようやく復旧できたから、その内容をプリントしたものだ」
「……」
「どうした? 彰彦」
「……とりあえず、少し寝てからまたご報告します」
和泉は目を閉じると3秒後に眠りに就いた。
※※※※※※※※※
今夜は聡介も帰宅をあきらめ、道場に敷かれた布団に身を横たえることにした組の1人である。
まわりには既に眠りに就いた刑事達が、派手ないびき音を響かせている。おかげで眠れない。
そうこうしている内に、思いがけず和泉達が帰ってきた。
眠れないついでに彼らからの報告を聞き、こちらが入手した情報を交換しようと思ったのに、息子はさっさと眠ってしまった。
仕方ないので、聡介も再び道場で横になった。
頭の中には様々な人物から聞いた、様々な供述がグルグルと回っている。
一番驚いたのは、被害者である猪又本人は別に『ロリコン』ではなかった、ということである。
本人は特別そういった嗜好を持っておらず、ただそういう趣味のサークルでは広く知られている人物と太いパイプがあり、その人物に【売る】為に、あれこれと獲物を捕まえては写真を撮っていたということだ。
そのことを教えてくれたのは篠崎智哉だった。
何時頃だっただろうか。
一度、無理矢理連行された周を心配してここに駆け込んできて、それからまた外に出て戻ってきた。
『お話ししたいことがあります』
幼い頃、近所に住んでいた【おじさん】が、お菓子をあげるから写真を撮らせろって自宅に連れて行きました。
彼の話はそこから始まった。
初めは訳がわからず、ただ言われるがまま服を着替えさせられ、妙な格好をさせられました。
女の子の衣装を着せられて写真を撮られて。
その人、僕のことを女の子だと思っていたんです。
服を着替えさせて、気がついたみたいで。でも、とりあえずいいやって写真を撮られました。少年好きなのもいるからって。
そういう写真って、僕にはよくわからないけど……闇市場っていうんですか?
小さな女の子に興奮するような変態的嗜好を持つ人に高く売れるんだって。
そう言う人達の……道具にされるんだって聞きました。当時は意味がよくわかりませんでしたけど、真っ当なことではないことは今ならよくわかります。
実はその時に、一緒にいた別の女の子がいたんです。
その子は……なんだかすべて納得済みだったかのような様子でした。
僕の思い過ごしかもしれませんが。でも、一度だけ漏らしたことがあるんです。
『ママのためだから我慢する』って。
彼女はもしかしたら、お金になるとわかっていて……。
その子の名前は、詩織っていいます。
今は樫原詩織って言う名前で、アイドルをやっています。
確かにそれは決して他人に知られたくない過去だろうと聡介は察した。外見は確かに、少女と見まごうような美少年である。でも、彼は立派な男だ。
そして少なからず華奢な外見にコンプレックスを持っていることも、言葉の端々に見てとれた。
一般人である彼でさえそうなのだ。
今や、ご当地アイドルとして人気急上昇である【彼女】にしてみれば重大なスキャンダルだ。
そのことを隠蔽するために、猪又を殺害した……いや、あるいは逆に出所した猪又が脅迫のネタとして使用した。
いずれにしても。
幼い子供を食いものにし、自分達の醜い欲求を満たそうとする奴らがいる。
許してはならない、絶対に。