106:兄、株価大暴落の始まり
「……さっき取調室から出てきたのって、樫原詩織だろ?」
「そのようでしたね」
友永の疑問に、円城寺が答える。
「あのアイドル娘がしょっ引かれたってことは……角田の事件で、何かしら事情を聞かれたってことだよな?」
「間違いありません。ですが、警察はいったい何をつかんだのですか!!」
円城寺は後部座席から身を乗り出し、運転席の肩部を揺する。
「……知らねぇよ。知ってたとしても、お前らには話せない」
「守秘義務ですね、わかります」
「お前、ほんとに智哉の同級生か……? まぁいい。それよりも智哉」
智哉はびくっ、と震えた。
「はい……」
「食い物が喉につっかえちまわないうちに、洗いざらいぶちまけてスッキリしておけ。そりゃ、話したくないこともあるだろ。けど……こいつはお前の恩人だぞ。こいつが俺達に通報してくれなかったら、助けられなかったかもしれない」
智哉は驚いて横に座る円城寺を見た。
「僕はたまたまというか……その、いろいろと調べたいことがあって、あの町にしばらくいたんだ。そうしたら偶然、君を見かけた」
「調べたいことって?」
「……それは、すまない、守秘義務だ。そして先ほどの部屋に君が入って行った後、例の変態と名高い石川教授が入って行くのを見かけたのだ」
「変態に【名高い】とか言ってんじゃねぇ」
「失礼しました。とにかく心配で……ちょうど刑事さん達が通りかかってくれたので、急いで通報したのだ。君が無事で良かった、ほんとうに」
円城寺は心からほっとしたように息をつく。
智哉の頭の中は混乱していた。
胸の内に様々な思いが錯綜する。
後悔、不安、疑心。
どうしてこんなことになってしまったのか。
そもそも自分は何をしようとしていたのか?
賢司に会って、周のことを……真相を問い詰めようと思っていたのに。弟を警察に売るような真似をして、いったい何のつもりだったのか。
それに。
もう二度と会わない。
妙な頼まれごとは一切引き受けない。
これからも周の友人として、普通に接して行くと決めた。それから、彼と彼の義姉に謝罪しなければいけないことがあって……。
それなのに。
かえって他人に助けられ、お礼を言わなければいけない立場にいる。
何もかも上手くいかない。
「どうして……?」
「え?」
「なんで、僕のことなんか……助けてくれたの?」
気がつけば口からそんな疑問が出ていた。
「なぜ、だって? おかしなことを聞くのだな、君は」
円城寺は真っ直ぐにこちらを見つめてくる。「友人のピンチを見過ごすなど、男のすることではない」
「友人……?」
「……僕が勝手にそう思っているだけだが……」
すると、前方から友永の盛大な笑い声が聞こえた。
「笑いすぎですよ、刑事さん!!」
「だって、お前……ははは……っ!!」
円城寺はムスっとし、友永はひぃひぃ言いながら、肩を震わせている。
「ありがとう……そうだよね、本当の友達なら……」
「篠崎君?」
「……智哉でいいよ、友達なんだから。えっと……」
「信行だ」
「着いたぞ」
そう言って車が停まったのは、とあるファミリーレストランの駐車場だった。
※※※※※※※※※
詩織はあれからどうなったのだろうか?
先ほど、ちらりとマネージャーらしき女性が刑事に食ってかかっているのを見かけたが。
彼女が言っていたことは本当なのだろうか。
先ほど見せられたあの角田殺害を依頼するやりとり。
その発信元は……自分ではない。契約住所も設置場所かつ、使用者も我が家だが。
運転席の賢司が先ほどから一言もしゃべらないので、周は頭の中でずっと1人あれこれと考えていた。
本当は兄に訊きたかった。
電話にしろネットにしろ、そう言った契約一切は彼が把握しているはずだ。
だが。今の兄はこちらの質問を許してくれる雰囲気ではない。
「……周」
不意打ちのように呼びかけられる。「なんていうことをしてくれたんだ、君は」
その短い一言の中に、いろいろと含まれているものを感じとった周は、びくっと震えた。
「俺は……俺は、警察の世話になるようなこと何一つしていないよっ!!」
「当たり前じゃないか、そんなことは論外だ。僕が言っているのは……君が以前、学校で起こした騒動のことだ。あんな事件があったって警察が知ったら、すぐ疑われるに決まってるじゃないか。実行犯ではないにしろ、指示を出した犯人だって疑われても無理はないだろう?」
「それは、賢兄が……!!」
「僕が何?」
警察の人にわざわざ、そのことを知らせたんじゃないのか?
喉元まで出かかった台詞を飲み込む。言ってはいけない、なぜかそう思った。
「君は昔から、割と短気なところがあったからね。今後は充分注意してくれ」
家の名を汚さないために?
周は反発を覚えた。
「聞いてるのか? 周」
「……俺は、自分が間違っているとは思わない。手を出してしまったことは後悔してる。だからちゃんと謝りにも行った。それの何が悪いんだよ?」
「話してわかる相手かどうか、見極めろと言っているんだ」
「そりゃ……理屈も何も通じない相手だよ!! でもあの時は、ああでもして止めたかったんだ!! 他にもいろいろ文句を言いたいこともあったし!! あいつら、智哉のこともイジメてたんだ」
「……なに?」
「夏休み明けぐらいからずっと、なんだか振り回されっぱなしで……具体的なことは何も聞いてないけど。とにかく毎日辛そうだった。その挙げ句に、他の友達のこともバカにして……我慢できなかったんだよ!!」
「だから君が彼らを制裁したって言うのか?」
「制裁とか、そんな大げさなもんじゃ……」
賢司は深く溜め息をついた。
「仮にも藤江家の籍に入っている以上、よく考えてから慎重に行動してくれ」
その台詞に周は、すーっ、と全身をかけ巡る血が冷たくなったような気がした。