105:ピンチを救ったのは名もなきモブだった!!
ああ、思い出した。賢司の母親だ。
周が初めて藤江の家に行った時のこと。
彼女は確かこんな顔で自分を見下ろしてきた。
憎しみは人の表情をここまで歪めるのか、と。
あまりにも恐ろしくて、たまらず、父にしがみついたことを思い出す。
どれぐらい時間が経過したのだろうか?
取調べに当たった刑事の方も疲れを覚えたらしい。周が決して認めようとしないのを見て、聞こえるように舌打ちをする。
ようやく口を開くタイミングが見つかった。
「……義姉に連絡させてください……」
当然ながら持ち物はすべて取り上げられている。スマホも、だ。
「なんだと?」
「兄にも……」
喉が渇いた。
でも、渇きを癒す飲み物は用意されていない。
その時、ノックの音と共に扉が開いた。
スーツにネクタイの男性。どこかで見たことがあるような、ないような。
「これは、任意の取調べですよね? 保護者の許可は取ったんですか」
胸を反らし、鼻息も荒くその男性は訊ねる。
「緊急措置だ!! 逃走および隠匿の恐れがある!!」
男性はやれやれ、と肩を竦める。
「相変わらず、警察には時代について行けてない人がいるものですね。先ほどから取調べの様子を見せていただきましたが……まるで恐喝ですね」
「何なんだ、お前は?!」
「藤江家の弁護士です」
彼はそう言って胸元に光るヒマワリと天秤をモチーフにしたバッジを見せた。
「もう一度お訊ねしますが、保護者の許可は取ったんでしょうね?」
「い、今、手続き中だ!!」
「では、彼の保護者に確認しましょう」
弁護士はスマホを取り出して電話をかけ始めた。
すると刑事は盛大に舌打ちしつつ、立ち上がる。
「もういい、出て行け!! 今日のところは見逃してやる!!」
ほぼ捨て台詞だ。
周は複雑な気分で立ち上がった。
※※※
廊下に出ると少し、足元がふらついた。
詩織の方はどうなっているだろうか?
気になるけどでも、早く帰らないときっと義姉が心配する。
「大丈夫? 大変な目にあったね」
名前も知らない、藤江家の弁護士を名乗る男性が訊ねてくる。
「だ、大丈夫……です」
「僕のこと、覚えてないかなぁ? 賢司君の知り合いなんだけど」
申し訳ないが覚えていない。
その時だ。
「周君!!」
「周!!」
自分を呼ぶ声が聞こえる。それも複数。
智哉に円城寺そして高岡さん。もう1人、見知った顔の刑事。
「大丈夫か?!」
とりあえず、うん、と頷いておく。
「何があったんだ、話してくれないか?」
隣家の刑事が問いかけてくる。
「……はい、あの……何もかも、まったく訳がわかっていないですけど」
樫原詩織に呼び出され、コンビニに向かって、それから……。
説明しようと、頭の中であれこれとまとめていた時だ。
「周」
驚いたことに友人と顔見知りの刑事達の後ろから、賢司がこちらに歩いて来るのが見えた。兄は彼らを押しのけるようにして前にでると、
「帰ろう」
周の腕をつかみ、
「先生、ありがとうございました」
それだけ言って立ち去ろうとする。
「待ってください、周のお兄さん!!」
そう兄に声をかけたのは、意外にも円城寺であった。
「少し、お訊ねしたいことがあります。よろしいでしょうか? 僕は弟君の友人で、円城寺と申します」
「忙しいのでね、またにしてくれないか」
賢司は彼に一瞥くれるとスタスタ歩き出し、周は引きずられて行く。
「どうしてですか? 篠崎君に、いったいどんな恨みがあるって言うんですか?!」
しかし彼は躊躇することなく、大きな声で叫ぶ。
ぴたりと兄の足が停まる。
「彼があなたに何をしたって言うんですか?!」
「……君に答える質問ではないよね、それは?」
円城寺は黙り込んでしまった。
※※※
それは自分がまさに今、彼に聞こうと思っていたことだった。
でも。周もいる、他の人の耳もある。
智哉は躊躇していた。
先ほどのことは簡単に言えば、変態で知られる大学教授に、賢司が自分を売り渡したということだ。
幸いなことに、無事に助け出されたけれど。
「……篠崎君、すまない。つい余計なことを……」
円城寺が項垂れる。
「ううん……」
それ以外に言えることは何もない。
「班長。とにかくあの子は無事に解放されたんですよね? 俺はこいつらとちょっと……外に出てきますんで、あとよろしくお願いします」
行くぞ、とこちらに向かって友永が顎をしゃくる。
「どこへですか?」
「晩飯にだ」
「……刑事さんのおごりですか? だったら、僕は行きません」
「アホ。利益供与なんかするつもりはねぇよ、ほら行くぞ」
その時だった。
前方から聞き覚えのある女性の喚き声が聞こえた。
「冗談じゃありません、断固たる対応を取らせていただきますからね!! このままでは絶対に済ませませんかから!!」
あのスーツ姿の女性は……。
そして彼女の影に隠れるようにして立つ少女の顔を、智哉はよく知っていた。
向こうもこちらに気がついたようだ。しかし、互いに知らないフリをしてやり過ごす。
「あーあ、やっちまったな。手柄を焦って、保護者の許可もないままに引っ張ってきた手合いだろうな。あとでとんでもないことになるぞ……」
友永はおかしそうに言い、こっちだと廊下を歩いていく。
駐車場には以前、彼に乗せてもらった軽自動車。
「何が食いたい?」
「……何でもいいです」
「刑事さんの懐具合におまかせします」と、円城寺。
「お前らな……」
友永はバックミラーの位置を確認しながら、溜め息をつく。
「とりあえず、家族に連絡しとけ」
2人とも言われた通りにした。
サブタイトルに【名もなきモブ】とありますが、実はいちおうシリーズその2に登場していた【上田】という名前のある人です……。
覚えてなくて当然です。
私だって、そういやそんな人を登場させてたな~という認識ですもんね(笑)
確か、未成年者への任意同行は保護者の許可が要ると聞いたような(;一_一)……だから、そういうことは本文中に書けと……えび。