100:署までご同行願います
少し、時間が遡ります。
午後6時。
風呂も済ませてから周は自分の部屋で勉強していた。夕食はあともう少しとのこと。
昔から理数系はイマイチ苦手で、いつも同じ所で引っかかってしまう。助けを求めて和泉に連絡しようと思ったが、今は忙しくてそれどころじゃないだろう。
どうしよう?
そう思った時、スマホが着信を知らせた。
誰だ?
ディスプレイに表示されているのは『樫原詩織』の名前だった。
「……もしもし?」
『あ、周君? 今から会えない? 大切な話があるの』
「今から……?」
『例の、殺された角田って人のことで……』
一瞬だけ周の頭の中で、あれこれといろいろな考えが浮かんだ。
彼女は今すっかり時の人となり、テレビや各種メディアに引っ張りだこではないか。
てっきりもう東京あたりへ進出して、こっちには戻って来ないと勝手に思っていたのだが。
それに角田のことってなんだ?
しかし次の瞬間には、
「どこへ行けばいい?」
指定された場所は自宅からほど近いコンビニだった。
義姉には適当に『シャーペンの芯がなくなったから買いに行ってくる』と告げておいた。
この店は敷地面積が広く、店の奥にイートインスペースがある。
周はセルフサービスのホットコーヒーを買ってそこに向かった。
詩織は眼鏡と帽子で顔を隠し一番奥まった席に着いていた。
彼女の向かいに腰かけ、周は思わず疑問を口にした。
「まだ、こっちにいるのか?」
「……まだって何?」
「いや、てっきり東京にでも出て……メジャーデビューするのかと」
すると詩織は鼻を鳴らした。
「私だけ目立ってもね、一応……グループだし。他の2人との兼ね合いもあるから、そんな訳にはいかないのよ」
そういうもんか。
お笑い芸人などは、コンビを組んでいても片方だけが売れて、取り残された方はテレビから姿を消す……なんて言うのはめずらしいことでもないと思うが。
それにしたって、その口調にやや、他メンバーに対する感情が垣間見えた気がした。
「ところで、角田のことで話って……? それよりもさ、なんで急に角田が付き人みたいなことになったんだよ?」
「前にいた人が急に辞めちゃって……募集してたら、あの人が応募してきたの」
学生だぞ、と周は言いかけて留まる。そういえば角田は【中退】扱いなのだ。
「でもあの人、ちょっと気持ち悪くて」
詩織は軽く身震いした。
「なんで?」
「着替えとか、隙あらばって感じで、私のこと覗こうとするの……」
あいつならやりかねない。
そう言うお年頃と言えばそうなのだろうが、もはやストーカーの域である。
「それになんだか、私のこと自分の彼女だって勘違いしてるような節があって、すごく不愉快だった」
「……違うのか?」
周としてはごく単純にそう訊いただけだった。すると詩織は火がついたかのように真っ赤な顔をして怒り出した。
「冗談じゃないわよ、やめてよ!! あんな不細工で野蛮で、デリカシーの欠片もない男なんて、ホント気持ち悪いっ!!」
驚いた。確かに女性から好かれるタイプではないと思っていたが、そこまで嫌っているなんて。
あの男(角田)の性格的なことから考えて、詩織が嫌悪するのは無理からぬことなのかもしれないが。
そうして周は彼女の顔を見ていて思い出した。
智哉はどうしているだろうか?
角田の話なんかより、小さな頃の思い出話の方が建設的でいい。でも、今の彼女にそんなことを言える隙はなさそうだ。
そして。よく見たら、詩織は何も購入していなかった。
仮にもイートインスペースを利用するなら、何か食べたり飲んだりするものを買うのが常識ではないだろうか。
まぁ、この際つべこべ言うことでもないだろうか。
詩織は急にこちらの顔を真正面から見つめると、
「ねぇ、周君。あの人を殺した人がなんて言ってるか、知ってる?」
そう訊ねてきた。
「……ニュースじゃ確か、意味不明の供述をしているって……」
周も詳しいことは知らない。
「誰かに頼まれたって、そう言ってるのよ」
「頼まれた……?」
そう言えば、円城寺もそれに近いようなことを言っていた記憶がある。
「まさか、周君が私のために……?」
「え?」
何を言ってるんだ? こいつ。
周は驚いて、思わずあんぐりと口を空けた状態でしばらく黙っていた。
すると詩織は、
「なんて、そんな訳ないよね。ただ……今はほら……ネットで何でもできるじゃない。殺人の依頼だってそう……」
そう言って苦笑する。続けて、
「警察だってバカじゃないから、きっと依頼主の人間を探し出そうと必死になっているに違いないわ。だから私、周君のことが心配で……」
俯き加減に、上目遣いにこちらを見る。
「ちょっと待てよ、なんで俺……?」
「いろいろ聞いてるの、角田とトラブルがあったとか」
「誰に聞いたんだよ?! そんなこと!!」
思わずがたっ、と立ち上がりかけた周の前に、見知らぬ2人の男性が立っていた。
1人は背が低くてでっぷりとした腹の中年男性、もう1人は対称的に背が高く、痩せ形の若い男性である。
「君、藤江周君で間違いない?」
年かさの太った方が、慇懃無礼に訊いてくる。
「そうですけど……?」
「ちょっと訊きたいことがあるんだけど、一緒に署の方へ来てもらえるかな」
そうして有無を言わせず、周の腕をつかんで引っ張る。
「な、なんでですか?! 俺、何も……」
「ああ、そっちのお嬢さんも一緒に」
若い男性が詩織の背中を押す。
コンビニを出るとほぼ無理矢理、停まっていたセダンに押し込まれる。
そうして気がつけば、車は走り出していた。