9:弁護士の卵
亀山の家は智哉の自宅からほど近い場所、戸建住宅が並ぶ一画にある。
彼の両親は共働きで昼間は誰もいない。
カーペットの上に、猫足テーブルの上いっぱいにスナック菓子やフライドポテトの入った紙皿が広げられて、油の臭いが部屋中にこもっている。
智哉にも甘いカクテルの入った缶が渡される。
いつものことだが、受け取って飲んだふりをしてやり過ごす。
仲間達の中には煙草を吸う者もいた。
「……ってゆーかさ、藤江ってなんで、おまわりの知り合いがいる訳?」
既にベロンベロンに酔っている鶴岡が言った。
「警察の世話になるような真似したんじゃろ」亀山が答える。
「まさかぁ、あいつこそ絵に描いたような優等生じゃろうが」
「裏じゃ何やっとるかわかりゃせんって」
智哉は黙ったまま、広げられたスナック菓子の袋に手を入れて、ポテトチップスをつまんだ。
「それより、こないだの続きやろうぜ」
亀山がテレビのスイッチを入れて、家庭用ゲーム機を取り出す。
「シノ、お前が負けたらさっきのチャラな?」
コントローラーを渡される。
さっきのとは貸した金のことである。
どうせ戻って来るあてのない金だ。智哉は黙って頷いてコントローラーを握った。
くだらない時間をだらだらと過ごし、気がつけば午後9時を回っていた。
彼らは皆、酔いを覚ましてから自転車で帰るか、そのまま泊まって行く。
智哉は別れを告げて帰宅した。
家に戻ると不機嫌そうな母親の泰代が玄関に仁王立ちしている。
「こんな遅い時間まで何してたの? 今日は塾の日じゃないでしょう?」
「……友達ん家」
「絵里香の面倒見てあげてって頼んだじゃない」
智哉のちょうど一回り下の妹は、不貞腐れた様子でこちらを見ている。
「僕にだって付き合いがあるんだよ」と、気がつけば父親と同じことを言っている。
泰代は溜め息をついて「晩ごはんは?」
「いらない」亀山の家でお菓子やフライドポテトを食べたので胃がもたれていた。
智哉はさっさと自分の部屋に向かおうとしたが、母親の声が追いかけてきた。
「そういえばさっき、周君から電話があったわよ?」
やはり来たか。
「またかけるって言ってたけど、かけ直してあげたら?」
智哉はそれには返事をせず、自分の部屋にこもった。
※※※
夕食を終えた後、周は智哉の自宅へ電話をかけてみた。まだ帰宅していないと電話に出た彼の母親が答えた。
またかけ直します、と言って通話を終える。
おそらくまだ角田や亀山達と一緒にいるのだろう。
智哉はいったいどうしたというのだろう……?
心配でたまらない。
けれど、和泉はしばらくそっとしておいてやれと言っていた。その通りにした方がいいのかもしれないとも思う。
友人のことも心配だけど、義姉のこともだ。
誰か無料で相談に乗ってくれる弁護士はいないだろうか。
兄の賢司はといえば、9月に入ってから再び新しい研究に取り組むのだとかいって、家に帰らない日々が続いた。今までと何も変わりない。
周はネットで他の弁護士事務所や、離婚協議に関する相談などを扱った掲示板を閲覧した。しかしなかなか、ここに行ってみようという弁護士事務所は見つからない。
信頼できて腕のいい弁護士はどこかにいないだろうか?
周はふと、思いついたことがあった。
そして翌日の朝。
「なぁ、誰か父親が弁護士やってるって奴を知らないか?」
周は隣のクラスに在籍する濱崎という生徒に声をかけた。
中学生の頃一度同じクラスになったことがあり、出席番号が近いので親しくしていたことがある。
彼の父親は地方公務員で、県内をあちこち引越し回ってきたというから顔が広い。
「久しぶりに声かけてきたと思ったらなんだよ……何かヤバいことでもやったのか?」
「違うよ。ちょっと、いろいろ事情があって」
濱崎は少し考えた後、
「同じクラスにいるぜ。もっとも父親じゃなくて、本人だけど」
何のことだ?
「あそこ、ほら。窓際の席に座ってる瓶底眼鏡の七三分けがいるだろ?」
確かにいた。今時珍しく、髪をきっちり七三に分けて、授業が始まる前の時間から分厚い本を呼んでいる。
「あいつ円城寺信行って言うんだ。弁護士志望で、愛読書は六法全書だと」
それはすごい。すごいけれど、本物の弁護士ではない。
しかし、相談ぐらいには乗ってくれるかもしれない。
周が彼に近づこうとした時だ。
「なぁ、ジョージ。頼むよ」
頭を明るい茶色に染め、小麦色の肌をした、見るからにチャラそうな男子生徒が円城寺に声をかけた。彼は『ジョージ』と呼ばれているらしい。
「マジ、会費はこっちで持つからさ。誠心女学院の生徒となんて、そうそう簡単に合コンセッティングできないんだぜ? 苦労してようやく漕ぎつけたのに欠員が出たんだよ」
「断ると言ったはずだ」
円城寺の返事は取りつく島もない。
「頼むよ、ジョージぃ」
「もっと暇そうな生徒を探してくれ。そうだ、彼なんか適役じゃないか?」
円城寺はいきなり周の方を向いた。チャラ男もこちらを見る。
暇そうに見えたのか? 俺は。少しムッとしたが黙っておく。
しかしチャラ男は周に声をかけることもなく、舌打ちして去って行った。
ふん、と円城寺は鼻を鳴らした。
「自分よりランクの高い男は誘わないんだな」
何の話だ?
「ところで、僕に何か用かい?」
「実は……」
話そうとした時に、始業のチャイムが鳴ったので周は急いで自分の教室に戻った。