四.定めの巫女
此の世界に生きる誰もが知っている、とある神々の話が有る。白銀の神と黒の神、彼らが創造した神巫女にまつわる話だ。
此の世は天と地に分かれ、天に住む幾百の神々が地を統治する。神々の頂点に立つ王を、天帝と呼ぶ。
かつて天地を開闢し、神と人、その他全ての生き物を創った最初の天帝は、神王と呼ばれ尊崇された。
神王には、正妻である神女との間に双子の天子が居た。一人は次代の天帝となるべく生まれた兄。そしてもう一人は、兄と対極の存在として不吉な予言と共に生まれた弟だった。
神王は兄に聖龍、弟に黒龍という『神名』を与えた。龍の名を持つ彼らは、天帝の次に高い地位を約された龍神として君臨した。
今から数えて千五百年の昔、彼ら双神に依って力の弱い人間たちを救い、守る使命を与えられて下された人間が神巫女。聖龍創りし『光の龍』と、黒龍創りし『闇の龍』である。
其の後、黒龍が邪神と化して聖龍に仇為したため、光龍と闇龍も主に従い敵対する運命と為った。巫女の魂を受け継ぎ転生する少女たちは、出会う度に憎み合い殺し合う――其れはまるで、神々に依り施された縛の如く。
◇ ◇ ◇
陰翳の森から帰還した麗蘭は、現実と微睡みの間を行きつ戻りつ、ゆっくりと覚醒し始めた。
「麗……蘭! 麗蘭!」
覚えの有る声で幾度も名を呼ばれ、閉じていた目を開いてゆく。深紫色の双眸に映されたのは、心配げに覗き込んでいる風友の姿だった。
「風友、さま……?」
西日が眩しく、我知らず腕で両目を覆う。今一度瞼を開けて見ると、良く見知った孤校の自室の中だった。畳上に敷かれた布団の上に寝かされているらしい。
「此処は……私の室ですか?」
妙なことを問う麗蘭に、風友は訝しがること無く深く頷いた。
「おまえは本当に無茶をするな」
記憶が飛び、始めは言葉の意味が分からなかった麗蘭も、徐々に思考が鮮明に為り思い出す。
「私は確か、廰蠱と戦っていて……」
「それから、暫く気を失っていた」
気絶していたのだと言われ、麗蘭は風友を見たまま首を傾げた。
「暫く……ですか」
つい先程まで、遠く離れた地にて黒龍と対峙していた積もりだったが、夢だったとでも言うのだろうか。先刻会った彼は、幻だったとでも言うのだろうか。
身を起こそうとすると背に鈍痛が響き、よろめいた身体を風友が支えてくれる。
「廰蠱の爪に裂かれたのだ。浄化と血止めはしたが、動けば傷が開く。安静にしていなさい」
少なくとも、妖との戦いについては夢境の出来事ではない。激しい痛みにそう教えられ、麗蘭は歯を食いしばった。
「申し訳ありません。風友さまの教えを守れませんでした」
今にも泣き出しそうな、悔しげな声で言うと、麗蘭は師から目を逸らした。己の力を過信して、危険に飛び込んで入ってはならない――麗蘭はそう言い聞かせられていた。あの時も、戦おうとせずに廰蠱たちの注意を逸らし、孤校に戻って風友に助けを求めることも出来たはずだ。
「解っている。孤校に戻れば、他の子供に危害が及ぶかもしれぬ。麓まで走れば、民家が襲われるかもしれぬ。そう思ったのだろう?」
風友は麗蘭の意図を見通しており咎めはしなかった。叱られると覚悟していた麗蘭は、安心するというより罪悪感に苛まれた。
「しかし、何故廰蠱が現れたのか見当もつかぬ。あれは人界には出ないと言われているし、魔界でもそうは見られない妖だ」
人界に居ないはずの妖異が出現した理由を、麗蘭は疾うに知っていた。
「『黒龍神』が、差し向けたのです」
「黒龍神?」
予想外の名を聞いて、風友は瞠目した。人間たちにとり神は神話や伝説の中だけの存在であり、風友と雖も例外ではなかったのだ。
黒の男が、死に掛けた廰蠱を助け逃がした。己が目で見た事実ゆえに、麗蘭は大妖を操っていたのが彼の者だと断定していた。
「会ったのか?」
「良く……分かりませぬ。夢か現かも分からぬ処で会いましたゆえ」
当惑している麗蘭同様、風友も難しい表情で考え込んでいる。
「只、気配は人間や妖のものではなく、言い伝えの通り黒い髪に黒い瞳でした。そういう特徴の神は、黒神しか存在しないのでしょう?」
あの青年を黒き神だと信じるのは、彼が自らを『いと高き叛逆者』と表したのと、麗蘭の完全なる直感。容姿については、かつて風友より学んだ邪悪なる神の話を思い出して繋げただけの、補足的なものに過ぎない。
「黒神は何と言っていた?」
師に問われ、麗蘭は意外な顔をした。邪悪の化身、非天の王たる黒神に会ったなどと言っても、直ぐには信じてもらえまいと思っていたのだ。
「『過去の私たち』と同様の道を歩むか、宿を捨てるか選べ――と」
答えつつ、刻印の在る左肩を右手で押さえる。黒龍が遠回しに言っていた自分の宿が何であるか、麗蘭は薄々勘付き始めていた。
「風友さま。私は、自分が『光龍』ではないかと思うのです」
其の推測は、此れまでもぼんやりと浮かんでいたものだった。だが神巫女の神聖さを思えば軽々しく口に出せるものではないため、今までずっと言わずにいた。
光龍の創造主である天帝の敵・黒龍が、麗蘭を敵と呼んだ。彼女の魂は、宿を果たすために転生を繰り返すと言い放った。其れらが、自信を持つに至る切っ掛けと為った。
恐る恐る風友の反応を窺うが、師の応えは思わぬものだった。
「結局……左様な巡り合わせか。時が来れば、自ずと悟るよう定められていたのだな」
初めから知っていたという口振りだった。
「風友さまは、ご存じだったのですか? 私が光龍だと」
「知っていた、というのとは少し違う。そうだと思っていたが、今のおまえの話を聞いて確信した」
人の与り知らぬところで行われる神の御業を、人がこうだと決め付けるのは身の程知らずで愚かな所業である。其れゆえ麗蘭を預かっておきながら、風友は心の何処かに疑懼を抱いていた。
「当のおまえも、余り驚いていないようだな」
「はい。何故か、納得出来るという気がして」
周囲からの疎外感に悩まされるように為ってからというもの、求め続けた疑念への答えをやっと手に入れた。今の麗蘭には其の喜びの方が、天より役目を与えられたという重圧よりも大きかった。
「私には、皆には無い力が有る。此の力で使命を果たしたいのです」
神の巫女として、使命に目覚めた麗蘭の瞳は強い。娘を守るため風友に託して手放すと言い張った、あの時の聖妃の瞳にとても良く似ていた。
「神話に依れば、黒神は天帝に敗れ千五百年もの間封じられていたはず。おまえの前に現れたということは、遂に封印が解けたのだな」
黒の邪神の復活は、風友にとって最大の心懸かりである。伝承では、千五百年前黒神に挑んだ光龍は彼に敗れ、命を落としたと言われているのだから。此の先、麗蘭が黒神と対決する時がやって来ると思うと気が気でない。
――私の微々たる力で、此の子が運命に立ち向かうため何をしてやれるのだろうか。
七年を経て我が娘同然と為った、大切な主の子である麗蘭。彼女を想う余り募る憂いなど、おくびにも出さず胸に抑え、風友は微笑んだ。
「では此れから、一層腕を磨かねば。私の手など借りなくても良い位、おまえは強く為る。先ずは私を追い越せ」
慈しみに満ちた声で言い、麗蘭の頭を撫でてやる。
「はい!」
清々しい返答は、風友の憂慮など弾き返す希望に溢れていた。一片とはいえ己の宿を知り、進むべき方向を見定め始めた麗蘭が、師の目にも一層輝いて見えたのだった。




