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荒国に蘭  作者: 亜薇
第一章 再会
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三.昏い森で(★)

      挿絵(By みてみん)


 麗蘭は、暗い森の中に立ち尽くしていた。

 そらは大樹の枝葉に覆われ、天の光は遮られて落ちて来ない。樹木や土は奇妙な位に彩度が低く、視界が灰色に染め抜かれたかのよう。

 見慣れた阿宋山の景色ではない。無風だが寒く、生き物の息吹を感じられぬ寂寞じゃくまくが物恐ろしい。つい先程まで戦っていたはずの獣も居なく為り、近くに落とした弓矢も見当たらない。

 風友の気も、孤校の子供たちの気も、何も感じない。敵らしき者の気も無いが、知らない地に放り出された孤独に包まれ、不安に耐えられなく為りそうだ。

――私は今、本当に独りなのだ。

 自分は人とは違うと思ってきた。されど、決して居心地が良いとは言えないが、風友が居て孤校の子供たちが居た。真の意味での独りとはかくも冷たいものなのだと、麗蘭は初めて実感していた。

「此れが、君の生きてゆく世界だよ」

 背中から不意に、声が聴こえた。覚えの無い声ゆえ直ぐには振り返らない。腰に差した剣に手を添えてから、素早く後ろを向いた。

 立っていたのは、漆黒の男。長い黒髪を高く一つに結い、紫黒しこく色の珍しい意匠の服を纏った、闇の如き男である。

 瞬ぎもしない黒曜石の双眸が、何と虚ろなことか。其の低く心地良い声を聴いていなければ、女と見紛う美しきかおが――何と哀しげなことか。

 男の足下には、麗蘭と戦っていた廰蠱ちょうこのうち一頭が跪いていた。彼女に目を射られ早々に逃げ出した獣に相違無い。

 聖なる矢に貫かれて弱った妖獣が、顔面より赤い血を垂れ流しながら黒い男に取り縋る。頭を地に付け全身を震わせて、苦しそうに唸っているだけで麗蘭には目もくれない。

 憐れな獣を一瞥し、男は妖に手を差し伸べてやる。直視出来ぬ程醜く潰れた眼球の上へと翳し、何やら力を振るったかと思えば、一瞬にして元通りに治してしまった。

――『しゅ』を唱えずに術を……

 神力で以て術を扱うには、決められたまじないを発しなければならない。呪無しに行ったということが、彼が超越者であると裏付けている。

 命拾いした廰蠱は、何処とも無く走り去る。静寂を取り戻した森の中で、麗蘭は黒の青年と二人きりと為った。

「誰……だ?」

「僕は、いと高き叛逆者」

 麗蘭の問い掛けに、男は隠そうという素振りは見せないものの、婉曲な表現を用いて答えた。彼が人ではないのは一目瞭然だが、妖でもない。力の有る何かということしか判然とせぬが、不思議と恐怖は無い。しかし、麗蘭の心の臓は異常に高鳴っている。

 身体の奥、魂の底の底から揺り動かされるのは何故なのか。生まれて初めて感じる表し難い激震に、麗蘭は為す術も無く震えていた。

 突として起こった動揺に戸惑うばかりで唖然とする彼女は、己の口からある名前が放たれるのを止められなかった。

「黒、龍」

 初めて会う男のはずなのに、麗蘭は彼の名を知っていた。認識するより前に、先ず其の懼るべき名を発していた。

 男は頬笑ほおえみを浮かべ、足音どころか衣擦れの音も立てずにやって来る。近付くにつれ、美々しさの余りぞっとするような顔の造りや、黒檀の如き眉と瞳、濃紅の唇が、白磁の肌をより白くしているのが見て取れるように為る。一歩も動けない麗蘭の真前に来たところで、地に片膝を付いて目の高さを合わせた。

「震えているね。『だ』僕が怖いのではないだろう?」

 優しげな問い掛けに、麗蘭は素直に首肯した。『黒龍』は善なる存在ではない。心得てはいるが、彼女が動じているのは確かに彼への警戒心からではない。

「君が恐れているのは、此れから君が歩む道程みちのりだよ。たった一人で、此の森のように寒々とした迷路を歩き続けなければならない。其れにようやく気付いたのさ」

「たった一人……で? 本当に?」

 声に出して確認し、竦み上がりそうに為る。否定してくれれば良いものを、黒龍は容赦無く頷いた。

「君は、やがて知ることに為る。君は一体何者なのか、何処から来て何処へ行くのか。君の『宿しゅく』は何なのか」

 宿。其れは、全ての人間が神々に与えられた、今生で為すべき使命のこと。

「『君たち』の宿は、他の人間とは違って魂に刻まれている。身体は死しても魂は転生し、其の度宿を果たそうとする。永遠に――戦い続ける」

 黒龍の言う不滅の宿が如何なる試練なのか、麗蘭には解せなかった。彼の淡々とした声に憐憫のような情が載せられているのに気付き、益々分からなく為る。

「もし君が望まないのなら、宿に『背を向ける』ことは出来る。逃げる、ということだ」

「逃げる?」

 思わず聞き返した麗蘭に、黒龍は再び口の端を上げた。

「過去に生きた『君たち』のように戦いの道へ入るか、逃げるか、二つに一つ。君は選べる……いや、選ばねばならない」

 考えること無く間を空けずに、麗蘭は首を横に振っていた。

「逃げない」

 何時からかずっと、麗蘭は宿について考え続けてきた。己が為すべきことは何なのか、事有るごとに探し続けてきた。そして其の答えがどんなものであろうと、受け止めようと決めていた。

――一体何故なのだろう。とにかく私は、逃げたくない。

 生まれ出でた意義を、存在価値を見失うのが怖いのか。其れとも、此れも黒龍の言う魂に刷り込まれた宿の発現なのか。自身でも説明出来ないが、一つだけ確実に言えることが有った。

――逃げてはいけない。

 青年の姿をした遥かなる存在を前にし、麗蘭は強固な意志を見せ戦気を露わにする。黒龍は、暫しの間彼女を見詰めた後、細かく揺れる肩に触れようとして止めた。

「では、今此の瞬間から、僕と君とは敵同士。次にまみえる時は、君は僕に敵意を抱いているだろう」

 謎めいた予言を残し、『黒き神』は麗蘭の後ろを指し示す。木々が群がり立っていたはずの場所に、気付かぬうちに道が開けて、遠い先には光が灯っていた。

「戻るが良い。あの光の世界は屹度きっと、君を迎え入れてくれる。振り返ってはいけないよ」

 促され、麗蘭は駆け出した。宿命の仇敵たる男との再会は、かくもしめやかに果たされたのだった。

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