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荒国に蘭  作者: 亜薇
第三章 冀望
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五.幕開け

 妖王との邂逅の後、麗蘭が目を覚ましたのは、孤校に在る自室だった。

 畳上に敷かれた布団に寝かされ、風友に見下ろされている此の状況は、以前にも経験が在る。あの時と異なるのは、師に加えて優花の顔も有ることだ。

「麗蘭! 気が付いた?」

「ゆう……か」

「良かった、良かったよお!」

 麗蘭が弱弱しく友の名を呼ぶや否や、優花は歓声を上げて飛び付こうとした。

「優花、無体はよしなさい」

 傍らの風友が優花を制止し、たしなめる。しかし師の顔も、安堵あんどと喜びに満ちていた。

 森での戦いで気絶してから、其の後の経緯が分からぬ麗蘭は、混乱しつつ一先ず身を起こそうとする。深い傷を負った右肩は痛み、受けた邪気の所為せいか身体が重く麻痺している。

「優花が助けてくれたのか?」

 起き上がるのを諦め、横臥したまま尋ねる麗蘭に、優花は困ったように頷いた。

「あいつは元々、麗蘭を殺したりする積もりはなかったんだと思う。麗蘭が気を失ってから直ぐに居なく為ってしまったの」

 優花が言うには、妖王が消えた後に異空間は消失し、何時いつの間にか阿宋山に戻っていたらしい。自分の着物を裂いて麗蘭の傷口を止血し、優花本来の姿――大鷲おおわしに変化し、麗蘭を背に乗せ風友の結界付近まで戻って来たという。

 妖の姿では結界の内には入れないため途方に暮れていたが、折良く風友と会い、無事に麗蘭を連れ帰った。風友もまた、大妖・玉乃の妖気に感付き孤校の周辺を探し回っていたのだ。

「優花から聞いた。妖王と戦ったそうだな。本当に、良く無事でいてくれた」

 自分の力及ばぬところで、麗蘭や優花が非天に脅かされたと知り、風友はまたも悔しさと無力感を味わわされた。されど、難所を切り抜けた彼女たちを、誇らしく思う気持ちも有った。

「風友さま。私は、妖王に一矢も報いることが出来ませんでした」

 無念の面持ちで言う麗蘭に、今にも泣き出しそうな顔をした優花がかぶりを振る。

「何言ってんの、無事だっただけ良かったよ。本当に麗蘭が死んじゃうかと思ったんだから」

 風友も、麗蘭の敗北を責めはしない。

「優花の言う通りだ。次の戦いに勝てれば良いのだから、今は幸運に感謝し、ゆっくり休みなさい」

 優しい師の労いに頷きながらも、麗蘭は口惜しげに息を吐いた。

 少しして風友が退室し、麗蘭は優花と二人だけと為った。そして優花も一度席を立ち、麗蘭のために白湯さゆを取りに行こうとした。

「優花」

 背中から呼び止められると、優花は涙に濡れた目元を拭い、にっこりと笑って麗蘭の方へ振り返った。

「優花、助けてくれてありがとう。そして――済まない。危ない目に遭わせてしまったな」

 神巫女という存在ゆえに避けては通れぬ、非天との争い。優花に敬遠されぬよう、そして面倒事に巻き込まぬよう、麗蘭は自分が光龍であるのを告げまいとしていた。しかし結果として、妖狐や妖王との戦いの場に連れ出してしまった。

「まあ、確かに……麗蘭が光龍だってことは、もっと早く知りたかったかも。凄くびっくりしたもん」

 心なしか、優花の目と声に不満が表れていた。

「す、済まぬ」

 麗蘭が焦っているのを見て、優花は再び口元を綻ばせた。

「水臭いのはもう、無しね」

 屈託無い優花の笑みは、麗蘭の心底で、今までに無い決意をさせた。

――強く為りたい。何者にも屈することの無い本物の強さ。使命のため、自分のため、そして、私のことを大切に思ってくれる……私が大切に思う人たちのために。

 苦悩を経て、ようやく出会えた真の友の前で、誓う。強く、誰よりも強く為ることを。







 夜の帳が下りた頃。阿宋山から去った妖王は、住まいの一つとしている琅華山ろうかさんへと戻った。同族たちの待つ岩室いわむろへと向かう途中、妖霧ようむ立つ森の中で、突として血を分けた邪神が姿を現した。

態態わざわざお出ましとは、異母兄上あにうえ

 右手を胸に当てた妖王は、半歩退いて恭しく一礼した。

「久方振りだね、すい

 父である天帝も、実母である女神・新羅女しんらにょも亡き今、妖王を真の名で呼ぶ者は此の黒神だけである。

 異母兄の姿を見るのは千五百年振りだが、外見はほとんど変わっていない。人間で言うところの、二、三歳程大人びて見えるだけだ。もっとも、年月を経たから成長したという訳ではなく、黒神の気分が表れているに過ぎないのだが。

「今宵のように月が見事な夜は、あの夜を思い出す。天の城で僕が父上を殺し、君が僕の母上を殺し、兄上と剣を交えた――あの夜を」

 皓月こうげつを見上げる黒神は、楽しい出来事を回顧するかの如く微笑んでいたが、瞳は空虚であり真意は読めなかった。

「もう一度あんたに会ったら、訊いてみたいことが有った」

 其れは、長い間妖王の心の片隅に存していた疑問である。

「あの時、如何どうしてわざと負けた? あんたの力は天帝を上回っていたはずだ」

 天帝と戦った妖王は、己は天帝に敗れたものの、其の後に戦う黒神は必ず勝つだろうと目算していた。結果を知り、如何にも納得出来ず、何か訳が有るのだろうと踏んでいた。

「神気の量や大きさだけで、勝敗が決まる訳ではない。兄上を侮ってはいけないよ」

 含みの有る言い方だったが、黒神がそう言っている以上、左様に解釈せざるを得ない。

「態と、と言えばね。兄上は僕を殺せたのに殺さなかった。あの情け深い御心を、事も有ろうが僕にまで向けたんだ」

 皮肉を込めた黒神の言葉には、諦めとともに静かな怒りが混ぜられていた。

「止めを刺していれば、うの昔に全てが終わっていたのにねえ」

 笑んではいるものの、目は全く笑っていない。黒神は心の底から怒っている――妖王にはそう感じられた。黒神の強い憤りを初めて目にし、妖王は興味を抱くと同時に震え慄いた。

「君も、兄上の親愛と慈悲で命拾いしたんだろう? 誇り高い君からすれば、さぞや屈辱だったろう」

 妖王をも身震いさせる冷気を鎮めたかと思えば、黒神は異母弟のかんに障る問いをえて投げ掛ける。妖王の答えはであり、この千五百年のうちで腹癒はらいせに様々な悪事を為してきたのだが、封じられていたはずの黒神は何処まで知っているのだろうか。

 挑発に乗らずとも何も返さずにいた妖王に、黒神は別の問い掛けをした。

「僕が封じられている間、巫女たちをずっと見ていたんでしょう。其れで、『麗蘭』を如何思う?」

 意図が読めぬ質問に妖王が眉根を寄せていると、黒神が付け加えた。

「麗蘭は、僕を殺して此の戦いを終わらせられると思う?」

 ふとした疑問、ではなく、黒神は本気で問うていた。妖王の直感だが、何らかの答えを求めているように見受けられた。

 過去に会ってきた光龍と、麗蘭という娘を比べ、先ずは真剣に考えてみるが、一度会っただけでは断言出来かねる――其れは黒神も承知のはずだ。天帝の巫女である麗蘭は、妖王のみならず黒神の手すら届かぬ存在なのだから。

 詰まらぬ答えを返しても仕方が無いので、此処は試してみることにした。

「あの娘は、今までの光龍たちとは毛色が違う。あんたを殺したい程憎まずして、全力を出し切れるだろうか」

 そう述べたところ、黒神は血も凍るような笑顔を浮かべる。妖王は数瞬とはいえ、目を見開き絶句する程の驚きに打たれた。

 邪心が一切無い、純真な少年のような、眩しくももの恐ろしい表情。『天宮のりく』以降見せなく為った顔だが、天上に居た頃には何時も覗かせていた静謐せいひつで優しげな顔である。

 不思議なことに、黒神の様子は『あの頃』と今とで全く異なっている。だが妖王は、どちらの異母兄も好きには為れなかった。

「案ずるな。麗蘭は必ず僕を憎悪する。僕という存在を此の世から消さずにはいられなく為る」

 自信に満ちた黒神に、妖王は麗蘭の未来を哀れんだ。目的を達するのに手段を選ばぬ此の邪神は、言葉の通りにするためあらゆる悲劇を引き起こすであろう。

「人間たちの怨嗟えんさや殺意など、与えて奪うだけで容易く生まれてくる。君は静観を決め込むのだろうから、楽しみに見ていると良い」

 其処まで言うと、黒神は森閑しんかんとした暗闇へと帰りゆく。麗蘭や、麗蘭が守るべき人々の大切なものを玩弄がんろうして奪い尽くし、絶大なる悲憤ひふんを誘うために。

 妖王から遠ざかり、声も届かなく為ったところで、黒神は木々の隙間に浮かぶ満月を仰ぐ。

「僕も己の『為すべきこと』を為し、麗蘭との戦いを始めよう。其れが、愛しい君にしてやれる、唯一の償いだから」


――定めの少女・麗蘭の、生涯に亘る戦いの幕開けが迫っていた。



荒国に蘭 完

第一部「金色の螺旋」へ続く

■これにて物語はおしまいです。

本編第一部「金色の螺旋」に続いていきます。

http://ncode.syosetu.com/n5508bf/


■よろしければ、次話の後書きもどうぞ。お読みいただきありがとうございました。

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