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荒国に蘭  作者: 亜薇
第三章 冀望
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四.翡翠の君

 何かの力に操られた優花は、大妖と戦う麗蘭を残して一人彷徨さまよい歩き、暫し後にようやく正気を取り戻した。

「此処は」

 辺りを見回し、奇妙な様相を認める。森の中に居るらしいが、阿宋山の森とは違う。樹々は紫色で生命力に欠け、空も青ではなくくすんだ紅色をしているし、有るはずの風の匂いも無い。

「半妖の子供、か」

 背後からの声に振り返ると、灰青はいあお色の巨石を削りこしらえた椅子に、初めて見る大人の男が座していた。

 男の姿を目にした瞬間、優花は驚愕と畏怖の余り微動だに出来なく為った。此の世のものとは思えぬ翠玉すいぎょく色の長髪と瞳に、妖族特有の尖った耳を持つ男は、彼女の理解を超えた妖艶さを纏っていたのだ。

 首や肩に掛けた黒い毛皮を撫でながら、男は優花へ双眸を向けている。切れ長の目に見詰められているだけで胸が激しく鼓動し、視線を逸らしたくても逸らせなく為ってしまう。

「『半分』とはいえ、おまえは俺の血を継いでいる。ゆえに、寄せられたのだろう」

 血を受け継いでいると言われ、優花は亡き父の顔を思い出した。おぼろに残る面影の父の容貌は整ってはいたが、目の前の美丈夫と比すると次元が違う。

 そもそも、父は正真正銘の人間であった。妖とは何ら関係の無い善良でひ弱な男だったが、人の形を取った邪な母に魅入られ不幸に為ったという。

 優花を血族と呼ぶ此の男は、妖族である母の縁者なのだろうか。母の姿を見た記憶すら無い優花には分かりかねる。

「あ、貴方は」

 恐る恐る口を開くが、身体が震えて続けられない。己の両腕をかき抱き、ずっと胸に引っ掛かっている何か――狐の妖が言っていた「主君」を思い起こす。

『我ら妖族の父であり、王であられる方』

 翡翠色の男は、端整な顔に鳥肌が立つような麗しき笑みを浮かべた。

「気安く口には出せまい。だが、俺が何者であるか、おまえは既に知っているはずだ」

 其の言葉を受けた優花は、遂に確信するに至る。此の男こそが『妖王』であり、大切な友である麗蘭を誘き出そうとしている敵なのだ――と。

「娘、名を何という」

「私は、ゆ――」

 優花とて、麗蘭の敵にそう易々と名乗りたくはない。だが不可思議なことに、そうした意思にかかわらず、当然の如く名を口にし掛けている自分が居た。

 其の時、浅紫色の森の向こうから、大きな白い獣が現れた。優花の横を風のように過ぎて、一直線に妖王のもとへ走り寄る。

玉乃たまの

 王に名を呼ばれ、玉乃は一瞬にして狐から人の姿に変化した。何も身に着けていない白い肌、白い髪の若い美女の姿だが、両手で抑えた額から血が大量に流れているのが痛々しい。

 泣きながらすがる玉乃を抱き寄せた妖王は、彼女の手を傷口より離させ、自身の片手で静かに抑えてやる。

「光龍の矢を防ぐ結界術を施してやっていたが、破られたようだな」

 妖王がしゅを唱えて妖力を注ぎ、見る間に刺傷を塞いで行く。治り切ったところで、今度は聞き覚えの有る少女の張り声が聴こえきた。

「優花!」

 呼ばれた方を見やると、全速力で駆けて来たのであろう、息を切らした麗蘭が立っていた。

「麗蘭」

 互いの無事を確認し、麗蘭も優花も先ずは安心する。妖王は腕の中で怯える玉乃の髪を撫でながら、麗蘭を注意深く見詰めていた。

「光龍は、相変わらず我が同胞には容赦が無い。女の顔に傷を付けて、憐れとは思わないのか」

 只の一言で畏懼いくの念を起こさせる低声が鳴り、麗蘭は右手に持つ剣を強く握る。左手も鞘に添え、何時いつでも抜けるよう体勢を整えた。

「貴様が妖王だな」

 強気に呼び掛けたが、敵の放つ威圧感にかつて無い緊張を覚えていた。神仙かと疑う程の麗姿に秘めた尋常でない妖力は、底が見えず測り難い。神代かみよ天人あめひととして君臨していたというのも頷ける気がする。

 答える代わりに片頬に笑んだ妖王は、玉乃を立たせて下がるように目配せした。傷の癒えた女妖じょようは再び妖狐に変化し、何処かへ走り去って行った。

――似ている。天帝陛下と、黒龍に。

 双神とは異母兄弟きょうだいであるという妖王は、顔の造りが何処と無く彼らに似ていた。人の年齢で言えば二十代の終わり頃というところで、兄である彼らよりも歳上に見えたが、神や妖異には外見の年齢など然程さほど意味を為さぬのだろう。

 玉乃が去ると、優花が麗蘭の側へ行こうと走り出した。しかし妖王は許さず、下僕しもべに命ずるが如く言い放つ。

「動くな」

 何か力を振るわれた訳でもないのに、優花は妖王の言葉に抗えずぴたりと立ち止まる。其れどころか、彼が軽く手招きすると足が勝手に応じてしまい、意に反して近付いてゆく。

「うそ、何で?」

 当惑しつつも妖王の傍に歩み出て、地に膝を付いた優花は、麗蘭に青褪あおざめた顔を向けた。麗蘭もまた、焦りの色を見せている。

「此の娘は妖族であるがゆえ、俺の命には逆らえぬ。此れも世の『ことわり』の一」

 石の玉座から立った妖王は、徐に腰を落として優花の首筋に冷たい指先で触れる。優しげな仕草とは裏腹に、麗蘭へ向けて脅迫めいた台詞を口にした。

「俺の女を酷い目に遭わせた仕返しに、友人の顔を潰してやろうか。そうでもしなければ気が治まらん」

 気丈な優花が目に恐怖を浮かべたのを、麗蘭は見逃さなかった。頭に血が上り、勢い良く剣を引き抜いて敵へと切先を向ける。

「優花を離せ!」

 まんまと麗蘭の戦意を煽り、妖王は満足げに笑んで立ち上がった。

「威勢が良いところは、実に光龍らしい」

 敵が優花から手を離した瞬間、麗蘭は呪を唱えて刀身を神気で包み、走り出した。妖王は毛皮の肩掛けの下、腰に差した大剣を抜き、麗蘭の振るう剣を受け止めた。

 剣から手、腕へと、振動と共に邪悪な剣の力が伝わって来る。鈍色に光る、石のようなもので鍛えられた妖王の剣は、明らかに普通ではない。神気を纏わせた麗蘭の剣が、喚声かんせいを上げて震えていたのだから。

 幾度か打ち合わせたが、妖王が手心を加えているのは明白だった。受け続けるのみで隙が有っても攻めに転じず、麗蘭の力を試しているように見受けられた。

――此の男、桁違いに強い。

 焦燥を募らせてゆく麗蘭だが、何とか活路を見出そうとする。されど刀を合わせれば合わせる程、歴然たる実力差を見せ付けられる。

 麗蘭の連撃をいなしていた妖王は、やがてほんの僅かな力を込めて、彼女の剣を弾き落とした。武器を手放した麗蘭は、首筋に刃を当てられ完全に動きを封じられた。

「此処に居るうちは、師は助けに来ないぞ」

 此の地は阿宋山ではなく、妖王が作り出した別空間のため、風友といえど妖気を感知出来ない。言われずとも、麗蘭はとっくに見抜いていた。

「少し、話をしようか」

 意外な妖王の発言に、麗蘭も、固唾かたずみ見守る優花も目を丸くした。

「千五百年間。俺はおまえたち光龍と、闇龍たちが殺し合う様を見続けてきた」

 彼の口振りは、まるで昔を懐かしむかのようなものだった。

「闇龍は黒神の封印を解こうとし、光龍は其の度に阻止をする。今ほど力が衰えていなかった天帝も、時に光龍に手を差し伸べていた」

 伝承に依れば、千五百年前の『奈雷ならい』から数えて五百年毎に光龍は生まれ、同時期に闇龍も生きている。麗蘭は、四人目の光龍ということに為る。

 前世の巫女たちの争いは伝説や神話として残され、広く伝えられている。妖の王として長き時を生きた妖王は、其れらを己が目で見て来たと言うのだろう。

「生まれては死に、魂としての定めを終える人の『理』を外れて戦い続けるのが、おまえたち『神巫女』の運命。だが、今生の戦いは今までとは違う」

 疑問符は付いていないものの、妖王は麗蘭に底意を当てさせようとしていた。

 此れまでの巫女たちとの違いについては、麗蘭にも容易に察しが付く。光龍が転生を繰り返す中で、何時か必ず倒さねばならぬ宿敵、黒神の存在である。麗蘭の生きる今生では、彼の邪神が復活しているのだ。

「黒龍をたおせば果て無い戦いは終わる――そういうことか」

 前世の巫女たちとは異なり、麗蘭は黒の神を葬る好機を与えられている。彼女は己の答えに自信を持っており、妖王も否定はしなかったが、嘲るように一笑した。

「斃すだと? おまえが、奴を?」

 わざとらしく聞き返した妖王が、麗蘭の首に当てた刀身を微かに動かした。冷たさが伝わり、彼女は思わず喉を鳴らす。

「俺の見立てでは、奴は千五百年前の『天宮のりく』の時よりも更に凶悪かつ強大に為っている。天界の名だたる神々が抑えられなかった奴を、『開光』すら遂げていないおまえが、如何どうやって斃すのだ」

 耳が痛い指摘だが、麗蘭は怯まない。二年前に『開闇』した瑠璃との力の差を見せ付けられ、打ちひしがれた時に、魂の主に託された言葉を思い出す。

「私は『為すべきこと』を為す。今は貴様を下して優花を助け、共に孤校へ戻る」

 剣を手放し、首に刃を当てられている状態で、何故未だ覇気が残っているのか。勇気を挫かれること無く、立ち向かおうとしているのか。麗蘭自身にも良く分からない。

「やってみるが良い」

 愉しげに言った妖王だが、次の刹那に顔色を一変させる。麗蘭が左手で首元の剣を掴み、押しけたのだ。

 素手で掴んだため、掌に刃が喰い込み血が滲む。麗蘭は痛みに顔を顰めたが、妖王が動じた一瞬を狙って彼の間合いから離れ、落とした剣を拾い構えた。

 麗蘭が攻撃に移るよりも早く、妖王は呪を唱えて術を発動していた。剣先に集めた妖力で槍の穂に似た閃光を作り、麗蘭に向け振り払う。避ける間も、神術で防ぐ間も与えられなかった麗蘭の右肩に直撃し、彼女の身は強い衝撃で後方へ吹き飛ばされた。

「麗蘭!」

 悲鳴に近い声で叫びながら、優花が麗蘭の許へ駆け寄った。息は有るが正体を失っており、目を閉じたまま反応が無い。

「身体が保たず、気を失っただけだ。傷は大事無い」

 事も無げに言って剣を鞘にしまい、ややずれた肩掛けの位置を直して優花を見やる。敵愾てきがい心と懼れに浸って尚、強い眼光を向けてくる半妖の少女に、妖王は酷薄そうな口元を緩めた。

「だが、血は止めてやれ。其れくらい出来るだろう」

 友を痛め付けた男を睨まえる優花は、彼が此れ以上危害を加える積もりが無いのを見て取り、戸惑った。

「ところで、おまえの母親のことだが」

 唐突に話を振られ、優花は益々耳を疑った。

「少し前まで、俺の許に居た。人間の男を愛したとかで苦しんでいたが、おまえを産んだのを悔やんではいなかったようだ」

 つい先刻、此の男と初めてまみえたばかりで、母親のことなど話してはいない。にも拘らず、何故さも見知ったかのように言うのだろう。

「本当に?」

 非天の君主の言など、まともに受け取ること自体如何かと思ったが、つい聞き返してしまう。

「おまえと同じ淡金うすきんの瞳と、素晴らしい翼を持った女だった」

 昔、一時期だけ優花を引き取ってくれた父方の親族は、妖族の母を口汚く罵っていた。父を誘惑して苦しめただけでなく、優花という災厄を産み落とし、周りの人間を破滅させたという。

 だが、優花は信じたかった。父と母は愛に依って結ばれ、其の証として己が生を受けたのだ、と。たとえ本当に母が邪悪だったとしても、心から父を愛し、愛されていたのだと。

 妖王の一言は、そんな想いに応える穏やかなものだった。

 母は未だ生きているのか、生きているなら何処に居るのか――問いを重ねようと、優花が口を開き掛けた時、妖王は突然きびすを返した。

「行け。早く運ばないと、他の妖に襲われるかもしれないぞ」

 言い置いて、引き止める時すら残さず、妖王は姿を消した。一呼吸して我に返った優花は、自分の着ている着物を裂いて包帯代わりにし、麗蘭の右肩や左手の止血を始めるのだった。

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