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荒国に蘭  作者: 亜薇
第三章 冀望
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三.妖狐

 優花が阿宋山へやって来てから、暫く経った。寝起きも孤校の授業も共にし、麗蘭は新しい友とすっかり打ち解けていた。

 他愛たあいの無い日常の会話を楽しみ、時には就寝時刻を過ぎても夢中で語り合う。互いの得手不得手を補い合い、励まし合い慰め合う。望んでも得られずにいた日々を、二人で分かち合っていた。

 瑠璃の裏切りも有り、麗蘭は当初、優花に対し警戒心を抱かざるを得なかった。だが優花もまた、ある種の慎重さをもって接してくる時が有るのに気付く。悪意からではなく、麗蘭に嫌われまいと気を張っているのだろう。

 そう考えると、疑心も次第に晴れてゆく。そもそも疑いを抱いたままそばに居ることが、申し訳無いとさえ思えてくる。

 そんな状態も長くは続かず、一月、二月と過ぎるにつれ気掛かりも自然に溶けていった。生真面目な麗蘭にとり、肩の力を抜かせてくれる優花の存在は何時いつしかありがたいものと為っていた。




 ある日の午後。授業を終えてから、麗蘭は優花と共に西の森に出ていた。朝から此方こちらで妙な胸騒ぎを感じたためで、一人で行くと言ってみたものの、やはり優花も付いて来た。

 早いうちに分かってはいたが、名の通りの優しい気性に依らず、優花は時折妙に頑固に為る。麗蘭が感じた気配は微々たるものであり、断るのもかえって怪しまれるので、同行を許したのだ。

 結界を出て少し進んだ所に、麗蘭が修行に使っている場が在る。木々に釘で打ち付けたまとを順番に射てゆき、全て射抜くと優花が刺さった矢を集めて来る。矢を抜く際、的の中心から一矢も外れていないのを見た優花は、感心して声を上げた。

「何時も思うけど、此れ以上練習する必要無いんじゃないかなあ」

「いいや。毎日訓練することで、型や力の入れ方が保たれるのだ」

 答えた途端、麗蘭は頭上に向け弓矢を構えた。枝から飛び去ろうとした大きな鳥が、胴を射抜かれ地上に落下する。

「動いているものは難しい。食用にする以外で狩るのは忍びないから、中々修練する機会が少ない」

 麗蘭が獲物の落ちた所へ歩いて行くと、優花も続いた。ほとんど苦しまずに死んだであろう山鳥を見下ろし、二人共両手を合わせて祈りを捧げた。

「ほんと、麗蘭が矢を射るのって、見てて飽きないよ」

「そうか?」

「弓矢を構えてるところも弓を引くところも、引いた後も綺麗だし。的の真ん中に刺さるのもすっきりすると言うか」

 やや高揚している優花の言葉が、麗蘭にも分からぬでもなかった。風友や瑠璃など、弓術に優れた者の射姿というのはつい見惚れてしまうものだ。

「見てばかりいないで、やってみないか」

 弓を差し出す麗蘭に、優花は両の手を振って断る。

「私は良いよ、武芸はからきしなんだ」

 苦々しく笑い、慌ててはぐらかした。

「授業以外にも、風友さまから習ってるんだよね? 何時から武術を始めたの?」

 普段意識していないことを問われ、麗蘭は暫し考える。

「弓の引き方を習ったのは五つの時。剣は確か、七つの時だったかな」

 剣の方が少し遅いが、弓は既に十年近く触れていることに為る。

「凄いのねえ。将来は、やっぱり討伐士に為りたいの?」

 思っていた以上の答えだったと見えて、優花の瞳に驚嘆が浮かぶ。

「いや、禁軍に入りたいと思っている。禁軍が難しければ妖討伐軍でも良いのだが」

「民間の討伐士じゃなくて、国の軍が良いってこと?」

 其の問いに、麗蘭は大きく首肯しゅこうした。

「風友さまのように武功を立て、女帝陛下にお仕えしたいのだ。こんな時世でもあるし、国のために出来ることをしたい」

 背伸びをしているわけではなく、麗蘭の本心だった。人界の救い手・光龍である一方で、聖安に生を受けた若者の一人であるがゆえの想いだ。

「尊敬しちゃうよ。毎日如何どうやってやり過ごすか、波風立てずに暮らしていくか――私なんて、そんなことばかり考えてるのに」

 自虐的な言い方をする優花に、麗蘭は大切に抱き続けている言葉を投げ掛けた。

「『為すべきことを為せ』」

 友の真意が分からず、優花は目を見開いて続きを待った。

「二年前、私に道を示してくださった方よりいただいた御言葉だ。大きな志を遂げるため、今此の日々をどのように過ごせば良いか、考え続けてはいるが正しい答えは分からぬ」

 未だ、優花には光龍の宿について明かしていない。遠回しな表現と為ったが、核心はとらまえていた。

「毎日を穏やかに暮らすというのも、大切で難しいことだと思う。それが優花なりの為すべきことなら、良いのではないか」

 ふと思ったことを口にしたまでだが、優花がぽかんとしているのを見て視線を逸らした。

「済まぬ。偉そうなことを言ってしまったな」

「ううん、そんなこと――」

 左右に首を振り、優花が何か言いよどんでいるうちに、麗蘭が突然異変を察知した。

「優花、妖が居る」

 近くの木に立て掛けてあった剣を取りに行き、腰帯に挿す。矢筒を背負い直し、弓を握り締めると、両目を細めて周囲を見回した。予期せぬ異常な事態に、後から妖力を感知した優花も身を強張らせる。

「妖気が大きい。厄介そうだ」

 数は一つだが、巨大な力を持つ妖が接近している。かつて黒の邪神が現れた時や、瑠璃が本性を現した時に、似た前兆が有ったのを思い起こし、麗蘭は厳しい顔で森の奥をめつけた。

「戦うの?」

 麗蘭にならい、優花も妖気が漂い来る方を不安げに見詰める。薄暗き静やかな森で、怪しげな生き物の息遣いが確かに感じられた。

「孤校と私たちに害を為そうとするのなら」

 動揺する友を落ち着かせるため、そして自ら奮い立つために言い放った時、見据えた先に白い影が現れ出た。

 真紅の双眼に、九本に分かれた尾を持つ、純白の大狐おおぎつね。四足を地に付けている妖獣だが、天の御使と言われても疑わぬ程、きらやかで麗しい。此れまで多様な妖と遭遇してきた麗蘭も、斯様かような美獣は初めて見る。

 だが幾ら見目が良くても、正体はよう族である。只人たたびとならいざ知らず、妖を討つ定めの下生まれた麗蘭は惑わせない。

「下がっていてくれ」

 冷静に言った麗蘭が、うなずく優花を護るようにして妖狐ようこの前へ歩み出た。隔て無く相対した神巫女と妖異は、揺らめく炎の如き敵意をぶつけ合う。

「巫女よ、我が王がそちをお呼びじゃ」

 何処からともなく、麗蘭たちの頭に直接語り掛けてきたのは、人間の女のものに良く似た声だった。

「おまえの王?」

 怪訝そうに問う麗蘭に、妖狐は大きな口を開いて笑みを作る。

「我ら妖族の父であり、王であられる方。いと高き闇の君の、異母弟君おとうとぎみであられる方ぞ」

 いささか回りくどいが、其処まで聞けば特定は容易である。但し余りに大物であるがゆえに、麗蘭は真偽を疑った。

「『妖王ようおう』ともあろう者が、只の小娘に会いたいと?」

「忌々しい『光龍』が、只の小娘のわけがなかろう」

 試すような麗蘭の質問に、大狐は苛立ちを込めて返す。はらはらしながらやり取りを聞いている優花は、次第に事の重大さを理解し始めて困惑した。

――妖王? 麗蘭が、光龍?

 妖王・邪龍じゃりゅうとは、妖の始祖でありおさである男。天の神王しんおうと女神・新羅女しんらにょの息子として天に生まれたが、神王の正妻・神女しんにょに依り異形の姿にされ、地に落とされたという。現天帝と黒神の異母弟にあたり、神格は奪われたものの彼らに匹敵する力を有すると伝えられている。

 しかし優花がより気に為ったのは、友である麗蘭が『光龍』と呼ばれた点だった。もちろん只の神人ではないとは思っていたが、物語に登場する『神巫女』とまでは予想出来なかった。

 千五百年前、『天宮のりく』で黒神に味方した妖王は、天帝に追放された非天である。彼もまた、麗蘭が倒さねばならぬ敵の一だが、みすみす危険な誘いに応じる積もりは無かった。

「私はおまえの王には会わぬ。此の山から直ちに立ち去らねば、力尽くで出て行ってもらう」

 臆さず言うと、妖狐は鋭い牙を覗かせ全身の毛を逆立てた。

「麗蘭よ、わらわはそちの前世を知っておる。そちは未だ本物の神巫女ではないゆえ、恐るるに足らぬ」

 其の発言は優花には解せなかったが、麗蘭の胸には痛烈に突き刺さった。されど、此れしきの脅しで屈する訳にはいかない。『開光』しておらず巫女としては未熟とはいえ、敵を前にしている以上、非天より友を守り使命をまっとうせねばならぬのだから。

 九尾狐が身にたたえる妖気を増幅させ、攻撃の構えを取る。麗蘭が素早く弓に矢をつがえると、優花が直ぐ様其の場から退いた。

 破妖はようの矢が射られると同時に、狐が地を蹴り向かい来る。避けもせずに突進したかと思えば、体を包んだ妖力が防壁と為り、矢が頭部に達する前に空中で静止した。

 矢の纏いし巫女の神力と邪穢じゃわいな力が衝突し、拮抗する。やがて神矢が邪気を圧倒し、硝子がらすを砕くが如く貫いたが、妖狐にすんでのところで避けられてしまう。

 瞬く間に弓を捨て、剣を鞘から引き抜いた麗蘭は、躍り掛かってくる妖獣へと突き付けた。

 矢でこしらえた妖力の亀裂目掛けて切先を押し出し、勢い良く刺突しとつする。妖狐の眉間に刃が貫通すると、血が噴出して白い額を赤く染め上げた。

 金切り音めいた獣の叫声きょうせいが鳴り響き、大妖が崩れ落ちる。前足で額を押さえて呻きつつ地を転げ回り、頭を割られた痛みに苦悶した。

 致命傷を与えたものの、危うい一撃で麗蘭にも余裕が無く、妖の返り血を多く浴びてしまっていた。

 不浄の血は麗蘭の身には毒と為り、さわりをもたらす。反射的に顔や首元を着物で拭うが、間に合わずに全身を不快感が覆う。

 生命の危機にひんした妖狐は、息も絶え絶えに四本足で立ち上がる。暫く激しい呼吸を繰り返し、きびすを返して元来た方へと去って行く。

「待て!」

 追い掛けようとした時、麗蘭はあるあやまちに気が付いた――優花の姿が見当たらないのだ。

「優花! 優花! 何処だ!」

 穢れた血に狂わされた感覚を研ぎ澄まし、友の気を探ろうとする。経過した時間から見て、然程さほど遠くには行っていないはずなのに、如何してか直ぐに見付けられない。

 安全な場所へ逃げたのなら良い。だが、麗蘭が大妖との戦いに気を取られているうちに、別の妖にかどわかされていたならば。

 逃げた妖狐も、孤校へ害を為す怖れを考えれば野放しにはしておけぬ。次の行動への決断を迫られ、麗蘭は取り乱してしまう。

――こんな時、如何すれば良い? 風友さまなら……瑠璃なら、如何する?

 妖しき異形の者たちが力を増す、黄昏時が近付いていた。

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