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荒国に蘭  作者: 亜薇
第二章 光と闇
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五.宣誓

 耀かがや白金しろがね色の御姿は、黒の気と妖気に浸食され濁された昏い森を照らす明月のようだ――と、麗蘭は思った。

 彼が放つ聖なる神気が、あらゆる穢れを払い除け、触れるだけで麗蘭を癒やしてくれる。目に見えぬ白き力が伝わり来ると、瑠璃の矢が掠めて出来た肩の傷が立ち所に治ってしまった。

「貴方は天帝、聖龍神陛下なのですか」

 尋常ならざる威光を前に、口籠りそうに為りつつ問うた時、麗蘭は既に答えを知っていた。『主』と会うのは初めてだが、彼女が継いだ魂の記憶が教えてくれたのだ。次の瞬間には男の前に跪きこうべを垂れており、其れも至極自然のことのように感じられた。

 意味を成さなく為った問いには答えず、男は片膝を付いて麗蘭と目線の高さを近付ける。低頭した彼女の顎に指を添えて、そっと面を上げさせた。

「本当に……私は光龍なのですね」

 確信を持ちながら尚も尋ねる麗蘭の声は、微かに震えていた。

「そなたは私の巫女だ、麗蘭」

 聖龍の声は、彼の閑麗かんれい面貌めんぼうから想像させるものよりも低く響いた。加えて、黒神とまみえたことの有る麗蘭には聴き覚えの有るものでもあった。下界の者とは一線を画する麗姿と、只の一言で人を平伏させる玉音に気を取られていると、今度は彼の方が麗蘭に尋ねた。

「私と似た姿の邪神が問い掛けた時、おまえは『戦う』と答えてくれた。決意に変わりはないか」

 あの時のことは忘れもしない。五年も経つというのに、麗蘭は黒神が放った一言一句を浮かべることが出来るし、当然自身の回答も正確に憶えている。

「はい。変わり有りませぬ」

 偽りも迷いも皆無という確固たる決意で、麗蘭は言い切った。妖に何度襲われても、そして友に裏切られたとしても、其の決心は変わらない。

「私と黒龍の命には、『ことわり』に依るいましめが在る。私を殺せるのは黒龍だけ、黒龍を殺せるのは私だけ。私たちに此の世を治めさせるために、左様な天則と為っているのだろう」

「理、縛……」

 天帝の御言みことを復唱してみるが、いささかの違和感が残る。全能の神々が『縛される』というのが、麗蘭には何か信じ難い。

「『宿』が人の運命を定めるように、『理』は我ら神をも従わせる。天地を開闢かいびゃくした我が父、神王しんおうでさえも、『理』には逆らえなかった」

 頭を働かせ、麗蘭は彼が言わんとするところを解そうとする。神王が『理』に屈したというのは、恐らく神話に出てくる『天宮の戮』で、息子の黒神に弑されたことを言っているのだろう――と、解釈する。

「例外が、そなたたち神巫女だ。私の力を受け継いだそなたは黒龍を斃せるし、同様に瑠璃は私を斃せる」

 話の中に瑠璃と自身が出て来たので、麗蘭は身を固くした。

「千五百年前、私は黒龍を滅ぼそうとした。だが、出来なかった。私には可能なはずだが、為せなかったのだ」

 天帝が黒神を滅さず封じたという話は、麗蘭でなくとも此の世界の誰もが知っている。何故そうしたのか? という疑問など、今の今まで生まれたことは無かった。だが滅そうとしたが出来なかったという話を本人の口から明かされると、如何どうしても理由が気に為ってしまう。

「何故、ですか」

「私とあの者には絆が有る。永き時を対の双神として存在してきたがゆえの――しがらみが」

 柵、と表した時、聖龍が瞬刻躊躇したのに、麗蘭は気付かなかった。

「あの時、私が奴を葬る唯一の機会が失われた。私の力は弱まり続け、天の統治を維持するために天宮に籠らざるを得なく為った。逆に、奴の力は増大する一方だ」

――天帝陛下の御力が、弱まっている?

 危く声を出しそうに為る。天帝は此の世で最も尊く、最も力の有る神君のはず。今こうして――まるで夢の如き状況であるが――尊顔を拝謁しているだけでも感じる神力、存在感は凄まじく、記憶に有る黒神と並べても遜色無い。

「人界に降り、そなたを助けてやることもままならぬ。されど、そなたに任せる以外に奴を止める術が無い」

 感情の起伏の少ない天帝の双眸や声に、幾ばくかの心許こころもとなさが垣間見える。黒神や瑠璃といった非天の勢力に対し、かつて有していたのと同じ威を見せ付けるために苦心しているのだろうと、麗蘭は畏れ多くも想像した。

「では、やはり私の使命は、陛下に代わって黒神を滅ぼすことなのですね。そして、瑠璃とも戦わねばならない……と」

 其の質問に天帝の答えは無かったが、麗蘭は是と受け取った。

――瑠璃。おまえが私にこんな仕打ちをしたのは、私たちの宿命ゆえなのか。其れとも、おまえの創造主の悪意ゆえなのか。

 決別した元・友人へ、声に出さずに問い掛けてみるが、真実は判然としない。だがどちらかと言えば、後者だと信じたかった。全て黒神の責だと考えた方が、少しでも心が楽に為る。

「私は、宿を果たすために強く為りたい。其のためには如何な努力もする積もりです。ですが瑠璃と私には、大きな力の差が有りました」

「今のそなたがあの子に気圧けおされるのは、あの子が『開闇かいあん』を為していて、そなたが『開光かいこう』を為していないからだ」

「『開闇』と、『開光』……」

 直向きな麗蘭は、新たに耳にする言葉を噛み締めるように繰り返す。

「そなたは未だ、真の光龍ではない。そなたに受け継がれた魂に宿る光を開かねば、私の与えた力を存分に発揮することは出来ない」

 本当の光龍に為っていない、という事実は、麗蘭の胸に落ちると同時に落胆させた。

「如何すれば、開光を果たせるのですか」

「方法は、そなたが試練を乗り越えることだ。其れはいつ訪れるか分からない。どんなものかもそなた次第で変わる」

 具体的とは言えない手掛かりを伝え、聖龍は立ち上がった。 

「麗蘭、為すべきことを為せ。さすればいずれ、目醒めへの道は示されるであろう」

「はい」

 毅然とした麗蘭が威勢良く頷くのを見て、天王は僅かだけ口の端を上げた。彼女は知る由も無かったが、天地を統治するべく情を奥底へと封じた聖龍の微笑は、実に数百年振りのものであった。

 俄かに生じた光に眩耀げんようされ、麗蘭は反射的に瞑目する。次に瞼を上げた時には主の姿がなく為っており、彼が降臨した証は何一つ残存していなかった。

「時が来るまで――強く在りましょう。屹度きっと其れが、貴方の仰る私の『為すべきこと』と信じております」

 一人ちて、麗蘭は両手を合わせ深々と礼をした。黒神と瑠璃から自分を救い、しるべを渡してくれた宿命の主への感恩を込めて。







 阿宋山から転移した瑠璃は、主の許へと真っ直ぐに帰って来た。

 此処は『挟界きょうかい』と呼ばれる地で、人界でも魔界でもない狭間はざまの異境。永の眠りより覚めた黒神が直領じきりょうとする、一切が鉛色に染め抜かれた空と地である。

 生を拭い去られた森の中、一本だけ続く道の途中で、彼の君は巫女の働きを眺め見ながら帰りを待っていた。

「申し訳ございません。ご命令を果たせませんでした」

 片膝を付いた瑠璃が、恭しく頭を下げる。黒き神は彼女を見下ろし、人を酔わせる端麗なかおに笑みを湛えた。

「構わないよ。僕が引けと言ったのだから」

 天帝が降りた時、瑠璃が直ちに退散したのは、天威に居竦いすくんだためではなく主に命じられたためであった。

「あの身体では人界に降りて来るだけでも命懸けだろうに、麗蘭が危ないと見るやすぐに駆け付けた。相変わらず分かりやすい御方だねえ」

 黒の神の復活に依り、非天は勢いを増している。天帝が単身降りたと知れば、隙を突き大挙して天宮へ侵入したり、天帝本人に攻撃を仕掛けたりする恐れが有った。

「黒龍さまは、私に孤校へ入り込み麗蘭を殺すようお命じになられました。けれど、真の目的は兄君を呼び出すことだったのでは?」

 山中で麗蘭と戦い追い詰めるまでは、光龍の息の根を止めるのが主の真意だと疑いも無く信じていた。予期せぬ天帝の出現で戻された際にもしやと思ったが、今しがたの発言でより確信を強めた。

「瑠璃、おいで」

 跪く瑠璃を呼び寄せた黒神は、優しげな黒曜石の瞳を細めて彼女の頭を撫でてやる。

「君は聡くて良い子だね。でも、君に麗蘭を裏切らせることも、同じくらい重要だったんだよ」

 耳の側で囁かれ、瑠璃は心臓の鼓動が速まるのを感じると共に一層分からなく為る。彼女の直感だが、天帝に危険を冒させるのが目的だったとは思えない。だとすれば、何のために兄を麗蘭の許へ来させたのか。そして神巫女たちの争いに何を見出しているのか。

 ともあれ、主の期待に応えられたのは確からしい。自身の頭を撫でた後、眼前に差し出された美しい御手に触れた瑠璃は、頬を摺り寄せ喜びに震えた。

 しかし、彼女の心底には喜悦きえつだけではなく、表には出せぬ全く別の感情もそんしていた。其の想いを見逃すはずの無い黒神が、続け様にえぐり出す。

「あの子を裏切って、苦しい?」

「ご命令とあらば、苦しみなど感じませぬ」

 此の世で最も偉大にして、最も恐るべき邪神に仕え始め、数年。瑠璃は、主が人の心を暴き、思いのままに動かせるのを知っている。偽りを口にするなど愚かしく何一つ成さぬと分かってはいるが、つい見栄を張ってしまう。 

「君にこんなことをさせて、屹度麗蘭は怒っているだろうね」

 主が麗蘭の名を呼ぶ度に、瑠璃の胸は刺されたかの如く鋭く痛む。彼があの娘への興味を表す度に、哀しく切なく、泣き出したい気持ちが横溢おういつしそうに為る。

 一度瑠璃の手を離させた黒神が、彼女のあごに指を当てて引かせる。闇の眼差しに見詰められて目を逸らせぬ瑠璃は、裸身を曝け出しているような気恥ずかしさに頬を染めた。

「麗蘭の開光が愉しみだ。未だ――先に為りそうだけれど」

 片腕を広げた黒の君は、瑠璃を抱き締め額に優しく口付けを落とした。愛おしげな仕草は、数瞬彼が邪悪であるのを否定したく為る程のもの。本心の読めぬ労りと慰めは、彼を慕い、彼に従順な少女の魂を奪うには十分な、実に魅惑的なものであった。

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