二.募る疑念
――瑠璃は、一体何者なのだろうか?
待ち焦がれてやっと得られた友に対し、麗蘭が日に日に深めてゆくのは、親愛ではなく疑念であった。
光龍である己には、人には無い特別な力が備わっている。巫女の力は神々に下賜された恩恵であり、非天と戦うための武器であった。ゆえに武才と神力は他の神人よりも優れているはずで、同じ年頃の娘で敵う者は稀だろう。其れは麗蘭の自惚れではなく、「そう在らねばならぬ」という強固な誓いである。
そして事実、麗蘭は孤校に居る風友の門下で最も強い。神術はもちろんのこと、剣術も弓術もだ。しかしいずれも、瑠璃にだけは勝てなかった。
傑出した武術は、孤校を転々とし行く先々で身に付けたというものの、真偽は分からない。風友は名の有る師が居たのだろうと推量するが、瑠璃本人はそうかもしれないと濁すのみ。
手合わせしたことは無い。されど、瑠璃があらゆる面で自分よりも秀でていると、近くに居た麗蘭は直ぐに見抜いた。瑠璃の方が歳が上だからだという言い訳も考えたが、年齢差など二つか三つしか無いので決め手には為らないだろう。
当初、友が出来た姉が出来たと感じ入っていた麗蘭も、日々過ごすにつれ手放しでは喜べなく為っていた。左様な蟠りは瑠璃と顔を合わせる度に堆積してゆき、憧れを妬みに変化させていた。
自分とは対照的に、瑠璃が孤校の子供たちに好かれていたのが、嫉妬を生む一番の要因だった。彼女は気立てが優しく面倒見の良い娘で、周囲に溶け込むのが上手かったのだ。
心に芽生えた初めての感情を自覚し切れない麗蘭には、巧みに隠すことなど到底無理であった。同室で打ち解け始めていたのも束の間、一転して口数も減り避けるように為る。ところが瑠璃はまるで意に介さず、初めて会った日より変わらぬ親しみで以て接してくる。そうした大人びた振る舞いが、麗蘭を一層惨めにする。
――本当は、瑠璃こそが『光龍』なのではないか?
果ては、斯様な疑問までもが浮かぶ。五年前に受けた啓示などは幻で、風友も勘違いしているのではないかと、自身の存在すら疑い出す始末だ。
清らかで気高い不屈の魂を持ち、世にも見目麗しく誰からも祝福される光の巫女――どの角度から見ても、瑠璃の方が光龍に似合わしい。
共に類稀な力を有しながら、気質の異なる少女たちを引き合わせたのは、風友の意図である。彼の師が瑠璃のことで自室に麗蘭を呼んだのは、瑠璃の来訪から三月が経った頃だった。
「瑠璃を如何思う」
開口するなり、風友は麗蘭に問うた。其の問いは、師の胸中を知らぬ麗蘭には些か酷であったが、酷であるのを承知のうえで訊いたのだ。
背筋を真直ぐに伸ばして端座し風友と向かい合った麗蘭は、僅かの間答えに困っていた。
「武術も学問も飛び抜けていて、羨ましく思います」
短い返答にはより複雑な心情が隠されていたが、決して嘘は吐いていない。伏し目がちに話す麗蘭の肩が震えているのを見て、風友が深く嘆息した。
「麗蘭、許せ。左様なことを言わせたいわけではないのだ。光龍のおまえから見て、瑠璃は如何見えるかが訊きたい」
意外な謝罪に、麗蘭は目を見開く。風友が神巫女だと信じてくれていると分かり、少しだけ気持ちが軽く為る。
「あの子の異様さは、最初から気に為っていた。神気は邪悪ではないが、質といい大きさといいやや引っ掛かるものが有る」
そう指摘され、初めて気が付いた。言われてみれば、瑠璃の纏う気には自然でない部分が有る。外側から壁を築いて囲い、本質を押し込めている感じがする。
「意識して、何かを見せまいとしている気はいたします」
風友は腕を組んで頷いた。
「私も同じように思う。普段、変わったことは無いか?」
「有りませぬ。瑠璃は皆に優しいですし、私にも同様です。何時も気を遣ってくれます」
話していて麗蘭は、如何に瑠璃に助けられているか、親切にされているかを思い出す。風友が彼女を疑わしく思っていると知り、途端に「違う」と擁護したく為る。
「風友さま、瑠璃を如何されるのですか」
控えめな声に含まれているのは、異質な存在ゆえに、孤校をたらい回しにされてきたという瑠璃への同情であった。唐突な質問に、風友は口元を綻ばせる。
「如何もしない。おまえの大切な友だろう」
友、と言われて、麗蘭ははっとする。初めて会った日から瑠璃は己を友として見てくれているのに、己は如何だ。居場所を失うかもしれないという物恐ろしさのために、友人らしくなく為っているではないかと気付かされる。
「おまえの意見が聞けて良かった。今日は食事当番の日ではなかったか? もう行きなさい」
「はい」
丁寧に一礼し、麗蘭が席を立つ。瑠璃は屹度、先に厨で仕事を始めているだろう。重い不安と罪悪感とが両足に絡んで歩みを妨げてくるが、極力急いで友人の許へ向かうのだった。
食堂横の厨房に入ると、先に来た瑠璃が夕餉の支度に取り掛かっていた。
「遅れて済まない」
謝りつつ素早くたすき掛けをした麗蘭は、魚を捌いている瑠璃の傍らに立つ。瑠璃は包丁を尾から頭へと動かし、慣れた手付きで鱗を落としていた。
火を炊いているため、夏期の台所はかなり暑い。ところが瑠璃は、そんな様子を全く感じさせない涼しげな表情でてきぱきと進めている。
既に食材や道具が並べられ、竈の大鍋には火が掛けられて湯が沸いており、準備は殆ど済んでいるように見受けられた。
「気にしないで。風友さまに呼ばれていたんでしょう?」
彼女のにこやかな微笑みは、何時もと何も変わらない。周囲を見回している麗蘭を見て、作業を指示するのではなく柔和な口調で頼んできた。
「良かったら、野菜を切っておいてくれる? 簡単に洗ってあるから」
料理においても、瑠璃は特に腕が立つ。瑠璃が当番の日は皆の機嫌が良く為る気がするし、手際の良い彼女の言う通りに進めれば出来上がりも早い。
「分かった」
了承して瑠璃と並び、籠入りの野菜を一つ一つ切り始める。麗蘭は器用でないため多少時間は掛かるが、長年やっているので酷い腕前ではない。
今日は比較的時間に余裕が有り、淡々と熟すのではなく雑談を交えながら調理した。同じ年頃とは信じられぬくらい、瑠璃はあらゆる分野で博識であった。
炊事に関しても、味を良くする方法や効率良く仕上げる方法、質を落とさず食材を保管しておく方法など、次々と教えてくれる。複数の書物を暗記しているのではないかと思わせる程、細かい点まで熟知していながら、物知り顔に為ること無く知識を分け与えてくれるのだ。
此処のところ瑠璃の前では身構えていた麗蘭も、先刻の風友とのやり取りを経て言動を改めるよう努めた。子供染みた意地を張るのは止めにし、貴重な友を大切にすべきだと思い直した。
麗蘭が自分への接し方を軟化させたのに、賢い瑠璃は気が付いていただろう。だが其処について反応を見せることは無かった。見た目通りの寛容さから、敢えて気にしない素振りを貫いたのか、精神的に十分熟しているため無関心なのか。或いは、何らかの企図が有っての対応なのか――素直で正直な麗蘭とは正反対に、瑠璃は深層を欠片も見せなかった。
実際風友が危惧していたのも、神気の性質よりも奥が見通せぬ内面の方であった。風友の武人としての眼でも、十年以上多くの子供たちを育ててきた師としての眼でも、瑠璃が思考し、胸の中に秘めているものを窺い知れなかったのである。




