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「世界」  作者: 絶縁体クッキー
第一章 HOW TO SAY HELLO
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第三話 「おつかれさまです」

「なあ、今の聞こえたか?」

「聞こえるだろ、同じ僕なんだから」


 二人して馬鹿な会話をしていたら、声の聞こえた方から女の人が超高速で歩いているのが見えた。いや、女の人の手にはさっきのクソ女が首の後ろあたりを片手で持ち上げられ、ジタバタしている。


「うわかわいそうだな」

「おい、ちょっと待って。こっちに向かってきてないか?」


 女の人は話している間にもズンズンと近づいてきている。はっきり見えるほど近づいて初めてわかる。

 美人だった、でも今はその美麗さを般若のように歪め、一目散にこちらへと歩いて。いやもうあれは走ってるより速そうな勢いだ。


「に、逃げたほうがいいんじゃないか?」

「い、いや僕たちが逃げる必要なんて……」


 そういえば、僕は彼女に痴漢まがいの行為をしていたような。

 と、とりあえず逃げたほうがいいだろう。もう一人の僕を囮にすれば。僕だけは。

 気づかれないように振り向きダッシュのポーズを取る僕の肩に、万力のような力がかかる。


「あら、お急ぎのところ悪いんだけど。ちょっとお姉さんとお話。できるかしら」


 ギチギチと音を立てながら振り返ると、どこかファンタジー世界に住むエルフのように現世離れした女性と、首が締まり今にも泣き出しそうなそれがいた。


「お、お母さん……許して……離して」


 悲痛な呻き声に僕は投降するしかなかった。



 ***



「まずどういうことかまた一から説明してくれるかしら」

「……私が第2世界と第3世界を見ていたら」


 急に鈍い音がして少女の話が中断され、少女は頭を抱える。


「もう!急に殴らないでよ!お母さん!」

「あんた、勝手に歩いたらダメって六歳の頃から言ってるでしょうが!」


 今殴ったのか……?全く見えなかった。隣の僕も信じられないという顔を向けてくる。


「……それでしばらく歩いてたら私気づいちゃったのよ!第2にも第3にも寸分違わず言動所作、髪のくせ毛まで同じ人がいるって。それで、私、つい。ああ!いや!殴らないで!」

「僕たちそんな行き当たりばったりに殴られたのか」


 お母様が盛大なため息をする。


「あんた、私が前から言ってたでしょ?この世界にはどんな異世界にも係留する基準点がいるって」

「だって!」

「だってもこうもありません!」


 ピシャリと叱りつけられ涙目になる。意外とかわいい。


「……だって基準点ってモノや植物だと思ってたもん」

「確かにそういう基準点もあるけど、人間だって存在するに決まってるでしょ」

「聞いてないよそんなの……」

「あの」


 話の隙間になんとか挙手を滑り込ませる。


「なんだい?」

「その、なにぶん私どもは浅学なもので。その基準点というものがどういうものか」


 お母様はふと手を組んで考え込む。

 腰までありそうなその髪の毛は、まるでひらひらと勇者のマントが荒風に立ち向かうようでカッコよかった。

 ……カッコいいって女性の褒め言葉なのだろうか。


「まあ当事者たちには知る権利というものがあるのかしらね」


 お母様はゆっくりと話し出す。


「この世界が幾重にも存在することはこの子から聞いたね?」


 ぶんぶんと首を縦にふる僕たち。お母様の見えないところでクソ女が得意げな顔をしていた。


「他世界と異世界がこの世界には存在する。でもどこに存在しているかは私たちにはわからない」


 そう言いながら足元の石を取り上げる。折りたたまれた健康的な肢体が目に眩しい。


「でも他世界は確かに存在する。今ここにね」


 取り上げられた石を僕たちに見えるように差し出す。

 僕たちは息を飲んだ。


「右手で石をとった世界と左手で石をとった世界。可能性としては五分五分じゃない?」


 取り上げた石は一つであったはずなのにその手には二つの石があった。


「世界が重なり合うせいでその世界にあるものが邪魔で他の世界が見えない。まあ難しいけどこういうことよ」


 二つの石がどこか遠くに投げ飛ばされた。


「その世界と言うのは異世界であっても大まかな方向性は一緒なんだよ。どんなにひどく異世界と異世界が離れていたとしても、未来という方向に向けて進んでいく。どうしてだと思う?」

「えっいやどうしてって言われても」


 僕たちは失礼ながらも、その異世界自体信用していない。

 でもお母様の真剣な眼差しはふざけた解答を許してはくれなさそうだった。


「……そ、それはそういう風に決められていたから……とか」

「うーん、少し抽象的だねえ」

「世界が行くんじゃなくて未来が来るとか」

「へっ!あなた達せっかく私が教えてあげたのに全然理解できないのね」


 いつのまにかに遠くの木陰に逃れていたクソ女がヤジを飛ばす。


「あんたの教え方が悪かったんだよ!」


 二人して突っ込んでいた。シンクロ感だけはさすがに僕達と言ったところか。


「まあ正解を言うとだね。私たちが住む他世界、異世界は言わば未来へと進む縦糸のようなものであるんだけど、それをしっかりと結びつけるためにヨコ糸が存在するの。だからどの世界も結局は未来へと進んでいく。

 そしてその横糸と言うのが『基準点』つまりあなた達なわけ。私らが勝手にそう呼んでるだけだけどね」


 唐突に指差され戸惑う顔二つ。


「そんな急に言われても……」

「僕たちにそんな大役無理だって無理無理」

「僕自身が言うのもなんだか悲しいけど」

「あら?基準点というのはそんなに難しいことではないわ。ただ存在し続けるだけで世界をつなぎとめておけるのよ。

 もしもという言葉の分岐ごとに少しずつ変わっていく、どの世界にも普遍に存在する、そんなものが初めて基準点となって世界をつなぎとめるのよ」


 少しだけ特別感が薄れ少し残念な気分だけど、なんとなく生きてきた僕にこんなことが起きるなんて信じられなかった。


「でも不思議ね。基準点というのは基本的に周りからの干渉を受けにくいモノや動物がなるものだと思っていたのだけど。森林の奥の石とか深海に潜む貝とか」

「それはこの人が石や貝みたいに対人引きこもりしてたからじゃないのー」

「あらあ?ちょっとこっちにいらっしゃいあなた。少しことの重大性を思い知らせてあげますよ」


 実際、そうなのだから僕たちは苦笑いしかできなかった。

 未だに半信半疑だけど、心の中ではもうほとんど信じきっている僕もいた。


「なんかまるで小説みたいだ」

「まさかこんなセリフ言える日が来るとは思わなかったな」

「ああ、二号」


 ん?待てよ。

 もう一人の僕と会話し、対面してることで一瞬考えついたあることに疑問を持つ。


「基準点って普遍に唯一存在するんだよな」

「うん?そう言ってたね」

「それじゃあ僕たちが二人いるって大変なことなんじゃ?」

「そこなのよ!」


 親子喧嘩の勝者であるお母様が少女を固めながら答える。


「この馬鹿、基準点を動かしちゃうから!」

「だって異世界に一緒に動いてるものがあるって気持ち悪いしー異なる世界だから異世界って言だだだだだだだ!やめて!絞めないで!」


 少女はマウントを取る。しかし、虚しくもその手は空を切った。やがて徐々に元気が無くなっていくその手に、不覚にも少し不憫さを感じてしまう。


「それで、だ。基準点がズレることによる弊害だけど」


 やっと緩められた鉄のような腕の拘束から、ずるりと少女崩れ落ちる。あれ生きてるのか?


「直球で言えば、このままだと世界が崩壊する」


 僕たちは二人して言葉を失う。


「崩壊というか分裂だけど。あなたたち二人が一人であったことで繋ぎとめられていた世界が完全に切り離されて、やがて横糸を失ったどちらかの世界が綻び始めて消滅する」


「な、なんてことをしてくれたんだ!」

「知らないわよ、私こんなことまだ教わってなかったんだから。私のせいじゃないもんね」

「だーかーらー異世界を歩くなと言ってたんでしょうが!」

「暴力反対!ノット暴力!イエスラブ&ピース!」

「でも世界の崩壊なんて……」


 話の規模大きすぎる。


「ああ、間違いなくどちらかが消滅する。今まで何回も経験済みさ。まあ今回は早めに見つけられて助かったよ」

「まだ間に合うんですね、よかった」

「本当にどうなるかと焦りましたよ」

「まあ私がお母さんに早めに伝えてたおかげだね」


 瞬間、お母様の姿が霞み、猛禽類を思わせる双腕が伸びる。しかし、少女もそれに反応し下を取らせないようにガードを固める。

 次の場面では見事な卍の形ができていた。もちろん決められていたのは少女。


「あんたまた私のグローブ持ち出したでしょ!わかってるんだから!」

「あの、お母様。それもう息してないんじゃ」


 お母様が型をとくと何の抵抗もなくグシャリと地面へ崩れる。


「あれま、強くしすぎたかね。まあうるさいのがいなくなって助かったわ」

「大丈夫なのかなあれ」


 倒れている少女を、母親は仰向けにさせる。かすかにうめき声が聞こえ僕は思わず胸をなでおろす。

 ポケットあたりを無造作に探り、件のグローブを取り出した。


「やっぱりこれを使ったんだね」

「僕が殴られたんですよ。あはは、困っちゃいますよね」

「へぇあんたが」


 ジロリと二号を睨みつける。南無三、いいやつだったよ二号。


「そうよ!私が二号を殴ったの」


 少女が誇らしげにない胸を張る。回復早すぎだろあいつゾンビか何かの類だろ。


「二号?」

「そう、そこの馬鹿みたいなのが二号で。そっちの馬鹿なやつが一号ね。一号ってひどいんだよ!私にね」

「わあー!わあー!」


 僕が遮るより早く、お母様の剛拳が話を遮る。


「バカなのはあんただよ!これ以上個性を出したらさらに分裂が進むって猿でもわかるでしょ!あんたは世界を潰したいのか!」

「ひいい!ひたがああ!」


 口元を押さえて悶絶する。


「いいかい?あんたら。バカでクズでどうしようもない娘の言ったことは今この瞬間を持って忘れた。いいね?」

「は、はい」

「あらあ?そういえば一号はどっちだったかしら」


 反射的につい反応してしまう。しかし声を作るより早くお母様の視線が何重にも僕を突き刺す。


「あ、あれえ?どっちでしたっけ?」

「ははは、どっちだっていいじゃないか」


 おそらく生命の危機を感じたのは、これまでの人生で初めてだろう。


「よし、それでいいんだ」


 没収したグローブをポケットへしまいこみまた新しいグローブを取り出す。


「しばらくはこのグローブをはめて過ごすことだね。これは私達の問題であるけど、あんたらにも責任があるんだ」

「そうだぞ!」


 刹那、お母様の右腕が鞭のようにしなったかに思えた。


「もう一回殴られたいかねあんたは」

「殴ってから言うのやめてよ」

「あの…」


 控えめに僕たちが手を挙げる。


「この手袋……なんかまるで売れないロックバンドがはめてるようなダサさが……今時指ぬきって」

「なんだい?それは私の趣味だよ」

「……素敵なご趣味で」

「あ?」

「はめます、はめさせてください」


 僕たちの存在すら危うかった生存本能が、今の状況がレッドゾーンへ突入していることを懸命に知らせていた。


「それでこれをはめればいいんですよね?」


 グローブをとろうと差し出した手が、一瞬、目を離した間にお母様に掴まれていた。えっ、この人本当に人間なの。

 そのまま二号……いやもうひとりの僕も掴まられる。


「えっとこれは」

「この手袋は君たちと同じ基準点だ。つまりどの世界にも普遍に存在し、不変のまま存在している。いい?私の言うことよく聞いておくんだよ?」


 二人とも手を握られたまま、気の強そうな顔がぐいと近づいたことで互いの心臓が痛いほどばくばくしているのが聞こえる、気がした。


「あんたは一人だ」


 その言葉とともに僕の右手ともう一人の右手が重ねられ合う、そして僕の目のまえで肌と肌が溶け合い寸分たがわずひとりの腕になる。

 い、いやいやいやそんなまさか。


「疑問に思っちゃダメだよ。君はずっと生まれてから一人だ」


 お母様が耳元でそう囁くと僕らは宙を舞った。一つになった右手を軸に見事な一本背負。受け身も取れず背中から硬い地面に叩きつけられ、一瞬息ができないほど肺の空気が搾り取られる。

 掴まれた右手にさっきのグローブがはめられた。


「いやあすまなかったね、ほら、起きあがれるかい?」


 差し出された腕に手を伸ばそうとした。


 その一つになった左手を。


 そこで僕はやっと一人になっていることに気がついた。周りを見渡してもどこかにすっ飛んでいったとかそんなことはない。

 あまりにもキョロキョロしているとお母様が両肩に手を置く。


「君は最初から最後までずっと一人だった。ずっと君は君だった」


 カクカクと首が縦に動く。


「このグローブは絶対に外れない。絶対に二つになんてなったりしない。君は少し悪い夢を見ていた。そうだよね?」

「は、はい」

「よし、これで一件落着だわ。あなたには大分迷惑かけたわね。ホントうちの娘のせいで」

「基準点のこと教えてくれないお母さんが悪いんだもん!」

「殴るからね」


 右手がなんのひねりもなくそのまま打ち下ろされる。


「あらかじめ言ってたら、あんた面白がって試しに行くでしょ。まさか言う前にするとは思ってなかったけど」

「まあ基準点くんもちゃんと直ったことだし。めでたしめでたし!あーお腹すいたし早く帰ろ!」

「いや。まだ安定しているとは言えないわ。いくら基準点で固定してるからといって人間ってのは一番予測できないものなんだ。まだ分裂する可能性がある」

「えぇ〜!?」

「まあそこで、だ。この先安定するまで、あんたが基準点を観察してなさい」

「えぇー!!」


 僕と少女が同時に叫ぶ。


「大体一週間くらい見ればいいからさ」

「嫌よ!私、もっと他の世界見に行きたいもん!」

「あら?私がそんなことを許すと思って?それにそもそもの原因はあなたなんだから、ちゃんと責任持って最後までしなさい」


 そんなペットみたいな……。


「思春期の娘を理性のない獣と一緒に生活させても平気なわけ!?」

「へえ!?」

「あらあ?」


 お母様がぐらりと首をこちらに向ける。


「基準点くん、私の可愛い可愛い愛娘の純情をまさかいっときの感情で穢そうなんて、思ってないわよね?」

「はい!」

「なら大丈夫だわ」

「大丈夫なわけなあい!絶対嫌!お断り!ノーサンキュー!アーユーアンダースタン?」

「そんなこと言っていいのかしら?一生異次元送りにするわよ?」

「……私、そんなに詳しくないし。そうよ!お母さんが監視してくれればいいじゃない!また私が何か起こすかもしれないし!」

「それを自分で言うかねあんたは」


 そこでお母様が眉をひそめ困った顔をする。


「でも私、お家騒動の体裁真っ只中だし。今こうしてここにいる時間が惜しいくらいなのよ?それはわかってるわよね?」

「……ふんっ!」


 ついにいじけ始めてしまった。なんというか精神が子供。


「でも、本当にいいんですか?」

「あら?手袋のことなら大丈夫よ。丈夫な素材でできてるし多分防水仕様だったはずだから」

「いやそうじゃなくて。その娘さんと一緒になんて」


 肩に勢いよく腕を回される。


「大丈夫だって少年よ!もし何かあったとしても親公認だって!」

「そそそそんなことしませんよ!」

「そうよ!私好きな人いるんだから!」


 あ、いるんだ。いや好きとか嫌いとか以前になんか意外だった。それだけ。


「あー大変だわーもーこんな時間。じゃ、後はよろしくね!」

「えっ、ちょっとお母さん!?」


 駆け出したお母様はあっという間に見えなくなった。


 昼休みの終わりを知らせるチャイムがかすかに聞こえてくる。

「ありきたりにしたくない」という発想がすでにありきたりな発想なので、難しいです。


七話まではストックがあるので、毎日投稿できます。

投稿時間っていつがいいんでしょうか。固定したいという思いもありますが、締め切りが守れない人種でもあります。


さて内容ですが。そろそろ序盤も終わりいろいろな説明が終わった回です。世界観について未だに説明不足な気もしますが、なんか雰囲気で楽しんでくれれば幸いです。


これからは一週間の共同生活。楽しそうですね。

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