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その惚れ薬私のですからっ!

作者: 歌月碧威

――なんとしても玉の輿に乗らなきゃ!


私は馬から降りると、近くにあった大木へと手綱を括り付けた。

そして拳を握りしめ、気合いを入れつつ目の前にぽつりとある建物へと向かい足を進めていく。

そこには『魔女の薬箱』というプレートが掲げられていた。


扉を開き中へと足を踏み入れた瞬間、鼻先に若草の香りが漂ってくる。

それはおそらく正面左手にあるカウンターからだろう。


そこにはいくつもの瓶が並んでいる。それは数百種類にも及ぶ乾燥ハーブだ。

その前に帳簿を捲りながら座っている女性がいた。緑色のグローブに身を包み、目の下にクマを作り、頬は痩せこけてしまっている。顔色も優れず病的。

そんな彼女の様子を見て、私は眉を顰めた。


「ちょっと、アリス。貴方また寝ないで研究していたの?」

ため息交じりで尋ねれば、こくりと頷かれてしまった。

「睡眠・食事と、区切りをつけて生活しなさい! って、いつも口を酸っぱくして言っているのに」

「ごめんなさい、ミーア。えぇ……その…ちょっと面白い材料が手にはいったものだったから……」

相変わらずゆったりとした口調で、アリスは言葉を紡いでいく。


私が住んでいる村から西へ向かった深い森には魔女がいる。それが彼女。

私とは幼馴染みという間柄。

元々アリスは私達が生まれ育った村で薬屋を営んでいたのだけれども、研究による爆発音が凄まじく近隣から苦情が殺到。そのためこの森へと引っ込んだ。

だからアリスに会いに行くのは、深い森に人目を避けるような形になってしまう。


「ねぇ、お願いしていた物は出来ている?」

「用意しているわ。でも、ミーア。やっぱり惚れ薬なんて良くないと思う」

「わかっているってば。でも仕方がないの。この間も言ったと思うけれども、今度妹が結婚するのよ。だから金が必要なの! 結婚資金っ!」

私はカウンター付近にある椅子へと座ると、肘をつき嘆息を漏らした。


両親は健在でパン屋を営んでいる。

だが、彼らは人が良すぎると言えば聞こえがいいが、抜けているのだ。

そのため親戚の連帯保証人になり、相手に逃げられてしまうという現状を生んでしまった。

しかも借りたところが悪かったらしい。返せるのは利息だけ。


一応私も独立し働いている。しかも名誉ある王国の騎士として。

だがいかんせん、そこも貴族優位の世界。

一平民の私が出世コースに乗るには、いろいろと力をつけなければならない場所。

そのため下っ端騎士では、給金もたかが知れている。


だから玉の輿に乗らなければならない。なんとしても――


「うん……それはそうだけれども……ミーアは、『戦乙女の祝福を受けた娘』なんだよ? 剣術の使い手としての実力はあるわ。他の国で賃金交渉したり、雇われ傭兵にでもなったらどうかな?」

「そんな称号貰ったって、一円にもなりゃしないわよ」

この国では戦乙女という、二人の女神様の存在が信じられている。

大昔この地を救った彼女達の名は、深く住民へと浸透していた。

そこに私のような貴族の爵位も持たない平民育ちの小娘が、王国騎士へという成り上がり。


しかも自分で言うのもなんだが、意外と強い。

そのため、私は戦乙女の祝福を受けし娘と呼ばれるようになったのだ。

まぁ、ただそういう異名がついただけで経歴に箔が付くとか、そういうのは皆無。

どうせなら昇進でもしてくれればいいのに。そうすれば給料も上がるし。


元々騎士には、なりたかった。

そもそものきっかけは、幼き頃に見た神殿に描かれた戦女神のステンドグラス。美しく可憐で強い。そんな女の子の夢がぎっしりと詰まった理想の女性。その憧れの対象に近づくため、剣を取った。

……と言っても、そんなものパン屋には無くて木剣だったけれど。


天が味方になってくれたのか、ちょうど良いタイミングでご近所に引退した騎士が帰国。

それを逃すはずがなく、私は彼に師事を願い出た。

その時に剣も頂き、有り難い事に数年間師範により腕を磨く事が出来たのだ。それは自分でも驚く程に。はっきり言って向いていたんだなと思う。


「時間がないの。こっちは藁をも掴みたいの」

「そうよね……仕方ない……よ…ねぇ…」

アリスは納得がいかない表情をしていたが、事情が事情。そのため、しぶしぶと店の奥へと通じる扉へと向かってくれた。

そんな彼女の背を見詰めながら、私は「ごめん」と囁いた。






――……おかしい。


物の数分で出てくると思ったのに、アリスはなかなか出て来ない。

まさか、まだ思い悩んでいるのだろうか?

私は怪訝に思い椅子から立ち上がると、カウンターへと入りそのまま彼女が消えた扉を開いた。

するとすぐに、忙しなく室内を動き回っている彼女を発見。

数か所ある引き出しを開けたり閉めたりしている動作から、何か探しているのが窺えている。


「アリス?」

「無いの! 惚れ薬が!」

「えっ!?」

それにはさすがに、驚きの声を上げるのを止められなかった。

自分でも驚くぐらいに大きなボリュームだったのだけれども、アリスはそれが全く耳に入ってないらしい。頭を抱え、目には涙を浮かべている。そんな彼女の元へ私は足を進めると、肩を叩いた。


「どこか別の部屋にあるんじゃない?」

「それは無いわ。今日の来客は貴方ともう一人だけ。だからこの部屋に置いてい……――」

アリスは弾かれたように顔をあげ、私を見据えた。

その下がった眉と、今にも泣きそうな表情。どうやらそれは、この件が最悪の方向へと動き出している事を無言で語り出していた。


「アリス。貴方、もしかして惚れ薬とそのお客様の薬間違えたの……?」

その問いに、彼女は唇を振るわせ頷く。それに私は顔を覆うと、天を仰いだ。


……マズイでしょ、それ。


「この町の人?」

それには、首を振られた。

「この国の人?」

それにも首を振られた。

やばい。この状況は明らかに不穏な方向へと進んでいってしまっている。


「何の薬と間違えたの?」

それに対しアリスは何も答えず、ただ自ら手にしていた瓶を私へと手渡してきた。

水色の液体が入ったそれ。私は受け取ると手中で転がしラベルを見た。そして思わず叫んでしまう。


「……真逆じゃないの!」

それは『嫌われる薬』と書かれていた。つまり飲んだ人が自分を嫌う。惚れ薬の反対だ。


「誰に売ったの?」

「隣国――ノルンの王子。第二王子のリベルデ様……」

それ、何の冗談? という言葉がつい口に出かかった。よりにもよって、隣国。しかも王子とは。

だが、それを飲み込み、すぐにアリスに問う。


「いつ頃店出たか覚えている?」

「ミーアが来る三十分程前……」

「そう、わかった」

なら馬を走らせれば間に合うかもしれない。

私はミーアからその薬を奪うと、出口目がけて駆けだした。





「ヴァロッサ! 私の未来がかかっているから頑張って!」

私は跨っている灰色の愛馬に声を掛けながら、隣国・ノルンへと続く道をただひたすら飛ばしていく。

だが、不安要素が一つある。それはこのルートで合っているのか明確ではない事。

主にルートは三つ。その中で人目に付かない山道ルートへと目を付けた。わざわざ自国ではなく、ワルーシャの魔女に頼みに来るぐらいだ。人目を避けているのが容易く想像出来る。


「しかし、よくこんな所を通ったわね。ヴァロッサは軍馬だから道慣れしているけれども……」

深い森に覆われた道は、獣道と間違えてしまうぐらいに足場が悪い上に狭い。従って馬車等は通れず、ここを通るのは変わり者か訳ありぐらい。しかも雲のように天を覆う葉により、薄暗く、左右は緑の壁に挟まれ暗殺には適している。


隣国の第二王子が命を狙われているかは知らないけれども、私が任務を請け負ったならば、この絶好な機会を逃さない。なぜなら目撃者の心配もせずにそれにそのまま死体を山林へと埋める事だって可能だから。


――……でも、まぁ護衛の騎士ぐらいつけていると思うけれども。それよりも惚れ薬よ、惚れ薬っ!


「ヴァロッサ頑張って! きっと追いつけるから! ソラ村の人参あんた好きでしょ? しかも太っ腹サービス! なんとファーナ湖の水も毎日付けちゃう!」

店を手伝う時の様に営業用の愛想を乗せた声でそう告げれば、ヴァロッサはスピードを上げてくれた。

なんて現金な。飼い主に似てくるというが、どうやら私と一緒で目の前に餌がないと頑張れないタイプのようだ。


それから数刻、ヴァロッサは頑張って走り続けてくれた。

主のためにと言えればいいが、恐らく好物のために。


「この様子だと予定よりも早くノルンへ着けそうね」

風を切りどんどんと奥へと進んでいく。だが、進めば進むほど、私の心中は穏やかではなくなっていった。


――何、これ。


木々の若々しい爽やかな香りに乗って漂ってくるのは、物騒な臭い。そう、例えるならば、錆た鉄。


「これってもしかして血の香り?」

堪らず呟いてしまった。それにヴァロッサが「ヒヒン」と同意するように啼いた。

どうやらこれは、事件の香りがする。ヴァロッサも心なしか更にスピードを上げ始めているように感じた。


「国境出てなければいいけれども……」

隣国へ逃げられてしまうと、こちらからは手出しができない。国軍所属の騎士とて、私は下っ端だから。国境を越えれば、法も変わる。

これが上層部だと違ってくる。上同士で暗黙のルール的な事もあり、犯罪者に対する取り締まりも私達とは形式が違ってくる。


「……見えた!」

少し遠くにて、薄らぼんやりしたものが目に飛び込んできた。対象物体と段々と近づいていく。どうやら相手は完全に静止しているらしく、距離が広らく事は無い。


一頭の白馬とそれから――……人だ。


しかもフードを被った人物をぐるりと数人が囲んでいるという、いかにもな構図。

相手も見るからに破落戸。


「ヴァロッサ。ちょっとマズイ事になっているみたいよ。よろしくね」

その囁きに、彼女は「ヒヒッ」と笑うように啼く。すると体感スピードが先ほどよりもゆっくりになっていく。それはヴァロッサが、私が飛び降りやすいようにスピードを調整してくれているからだ。


「戦女神のアロンとギアよ。我を守り賜え」

私は祈るように呟くと、腰元に下げていた騎士の証を掴むと鞘から抜いた。

細めの中型の剣。腰にはそれと同じものが、もう一つ掲げられている。師範に頂いたこれには、アロンとギアとこの地に伝わる戦女神の名を名付けた。彼女達のように戦えるようにと。


「ヴァロッサ。準備はいい?」

それに対し頷くようにヴァロッサが頭を縦に一度揺らす。

「行くわよ」と手綱を引くと、そのままヴァロッサはそいつらの元へと円を突き抜けるようにして真っ直ぐ突き進んでいく。


そしてフードの男を守るように彼の前方にてヴァロッサは停まると、私は飛び降り、彼の後方を守護するようにさっとヴァロッサとは反対の方向へ。

突然の乱入に最初は唖然としていた男達だが、すぐに我に返り「なんだ、お前ら!」と鉈等の武器を振りかざしてくる。


私はそんな攻撃を腰に下げているもう一本の剣を取り出し、四方から来る刃を受け止めつつ攻撃をしかけていく。背にフード姿の人を庇いながら――


「君は……?」

「そんな事より、薬っ! さっき迷いの森で買った奴、まだ持っている!?」

この身に降りかかる男達の刃を裁きながら、私は叫んだ。


「え? えぇ……持っておりますが……今はそんな事よりも……」

戸惑う王子の声に、私は心の中でガッツポーズ。

よしっ! こいつら倒せば惚れ薬が手に入る。


俄然やる気になったので、ここは何が何でもこの青年を助けなければならない。

そして薬を手に入れ玉の輿。

妹の結婚資金も、両親の借金も返済!

なんて絵に描いたような順風満帆な私の人生。


「ワルーシャ王国第八騎士団・ミーア=マッベリー。貴方達に恨みはないけれども、諸事情によりこの王子を保護します」

と、いつものように剣を天へと掲げ名を名乗る。だが、すぐに「ヒヒン」と高めな馬の鳴く声が。


「……と、愛馬・ヴァロッサ」

追加でそう紹介すれば、つぶらな瞳をきらりと輝かせ、蹄で地面を蹴りあげた。

相変わらず自己主張の激しい。だが、ヴァロッサも盾となり、王子を守っていたのは事実。


「双子剣……お前……もしかして戦乙女の祝福者か?」

「えぇ」

破落戸の男の一人が口にしたそれに私は頷くと同時に剣を振りかざし、そのまま撃ち落とすように下げた。それを相手が退きながら受け止めたため、距離を開こうとしたのを私は許さなかった。

隙を突きもう片方の剣を動かし、それを相手の脇腹へ。

命中し体の力が一気に抜けたように、崩れ落ち相手が地面へと伏せた。

それが一人、二人と多くなるにつれ、私は眉を顰めた。


――……本当にただの破落戸だわ。


いや、ある程度の力はあると思う。けれども、どう考えても剣術に長けているという感じではない。

どちらかと言えば、力技で相手を倒すタイプだ。つまりガタイがいい彼らの見たまま。


「どういう事……?」

簡単すぎる。全く手ごたえがない。こんな短時間で倒してしまった。

王子を襲う刺客ならば、それなりの腕はあるはず。

これでは、ただその辺にいた山賊もどきを金で雇っただけ。

王位継承権などで揉め相手が邪魔になるのならば、確実に仕留められる力量を持つある程度腕が立つものを選ぶはずだ。


「ちょっと。貴方、本当に王子?」

全て片づき、剣を収めながら振り返り尋ねた。


「はい」

彼が大きく頷けば、フードが取れ瑠璃色の髪がさらりと外気に揺れ動く。

そのため、やっと彼の顔を拝見する事ができたが、なんだろう。

すごく頼りなさそうに思えてしまう。それは困惑のため、ちょっと下がった眉のせいだろうか?


「まぁ、いいわ。薬を返してくれない? それ本当は惚れ薬なの」

「えっ!?」

王子は懐から何か取り出すそぶりをみせる。それはどうやら瓶だった。

赤い毒々しい液体の入ったそれを、王子が琥珀色の瞳で見つめている。


「貴方、さっきこれを私の薬と言いましたよね? 一体何に使うのですか?」

「むしろそんな事は、私が聞きたいわ。貴方の薬って、嫌われる薬でしょ? そんなの不必要よ」

「いいえ。必要です。僕は婚約者の事を嫌いにならなければならないのですから」

「はぁ?」

ちょっと待って。どうして自分の婚約者に嫌われないとならないの? 

あぁ、もしかして他に好きな相手でもできたとか? 大人しそうな顔してえぐいわー。

と思っていたが、どうやら話は違った。


「ありがちな話かもしれませんが、我が国では第一王子であるゴルド派と僕――リベルデ派とで王位継承権で揉めているのです。勿論、僕達はそのような揉め事には、一切関与していません。僕は兄上こそ次期国王には相応しいと思っておりますので。それに、そんな器は僕にはありませんし……」

そう言いながら俯く彼に、私も心底同意した。

まだ数分しかあっていない上に、第一王子も良く知らないけれども、ちょっと王子って感じよりは、世間知らずの坊ちゃんって感じ。護衛もつけないでこんな所通るし。


「婚約者――……エレナは、兄上の事を慕っているのです。僕は彼女の願いを叶えて差し上げたい。ですが、彼女の両親は我が母上への忠義心を忘れていない」

「へー。なんだかややこしいのね」

この第二王子はエレナさんの事が好きで、エレナさんはそのお兄さんの事が好き。なんて面倒な泥沼三角関係。まぁ、私には関係ないけれども。


「はい。ですから僕はその薬を使い、エレナを嫌いになろうとしたのです」

「それもそれで辛いわね。あのさ、もしかしてこの破落戸達エレナさんの仕業? それなら話もわかるから」

お嬢様の考えそうな事だ。暗殺に長けているやつにコネがないから。

だから金で雇った破落戸か。


「……恐らく」

王子は悲痛な面持ちのまま頷いた。

かと思えば何の前触れも無く弾かれたように顔を上げ、こちらを見つめてきた。


「これ、惚れ薬なんですよね?」

「そうだけど」

その返事を聞き、王子はじっと手中の瓶を凝視。それがほんの数秒続き、やがて意を決したかのようにそれの蓋へと手を掛けた。


「……え?」

私は王子の行動にただただ唖然。だってそれを口元まで近づけ、一気に傾けてしまったのだから。

あぁ、飲んでいる。しかも、喉渇いてたの? ってぐらいに一気に。

……って、なんで飲んでいるのっ!?

みるみるうちに減っていく液体と、上下していく喉元。

そして青ざめる私。


「何しているのよ!」

すぐに彼から瓶を取り返したが時既に遅し。手中の物はもう中身は空だった。

「どう責任とってくれるわけ!? 私の玉の輿が夢の泡になっちゃったじゃないの! 妹の結婚式費用と家の借財払わなきゃならないのに……」

「さぁ、早く国に戻って報告しましょう」

「はぃ?」

王子は微笑みながら、何やらわけのわからない事を私へと告げた。


「まさか薬の事!? それバレたら、あんたも私もタダではすまされないわよ。人の気持ちを変える薬や魔術は重罪だから」

「何をおっしゃっているのですか? そんな事ではなく、僕達の結婚ですよ。エレナには申し訳ありませんが、貴方と結婚するためには致し方ありませんね」

「いや、ちょっと待って。私達さっき出会った……って、あっ!」

気づいてしまった。王子が飲んだのが何だったのかを。

「嘘でしょ……」

私の呟きを、ヴァロッサのため息交じりの鳴き声がかき消した。





嬉々とした王子に連れて行かれたのは、隣国だった。

しかもよりによって国王との謁見の間。

もうすでに狼の手により追い詰められた兎のように、私はあきらめにも似た境地にいる。

まさか惚れ薬を飲んで私の事を好きになりましたなんて言えない。

そんな事になれば、私は罪に問われてしまう。それだけならまだいい。

へたすりゃ家族全員巻き込んでしまう。


「リベルデ。その娘は誰なのだ?」

大きな広間にて前方にある階段を昇り豪華な玉座に座りこちらを見下ろしているのは、賢王と呼ばれる彼の父君の姿が。

「えぇ、僕の妻となるべくして生まれた者です。先ほど運命的な出会いを致しました」

ならない。ならない。と私は首を振るが、「恥ずかしがっているんだね」と、隣から的外れな答えが戻って来た。


「それは公爵の娘との婚姻を破談にさせるため偽りではないのか? あれをお前が大切に想っている事、その上娘がお前ではなく第一王子を好いておると余が知らぬとても?」

「いいえ。たしかに彼女の事は慕っていました。ですが僕は出会ってしまったのです。運命の女神に! ミーナに!」

そう大声で叫ぶと、王子は膝を床に付けちゃんと礼を取っていたのに、立ち上がり興奮気味に身振り手振りで力説し始めてしまう。


それには若干押され気味になり距離を少し取りながら、私はますます逃げにくい状況に追い込まれた事を悟った。


「破落戸に囲まれているのを、颯爽と灰馬に乗ったこのミーナが現れ助けて下さりました。えぇ、それはまごう事なき絵物語のヒーローのように。彼女は戦乙女の祝福を受けし娘。ほら、つい先日に父上がおっしゃっていた、あの例の騎士でございます」

「ほぅ。その娘がとな」

国王の目が輝きを放ちながら、私を捕えた。

えらい食いついかれてしまった。

てっきりどこぞのわけのわからぬ娘を! なんて反対されると思ったのに!


「いえ、違います。その……」

「あれ? 貴方はミーアではないのですか? 戦乙女の称号を持つ」

「そうですが……」

本人ではないかと言われれば、本人ですとしか言えない。だが、結婚というのはちょっと違う。


「あのっ! 王子はちょっと錯乱しておりまして、結婚は間違いなんです。私も別の方と結婚をするつもりですし」

「その者は?」

その言葉に固まってしまった。

正直まだ決まってない。ただ候補として三人いるだけだ。


「遠慮することなんてないよ? 君は僕が選んだ人なのだから」

王子に優しく肩を叩かれたが、それが鉄の様に冷たく重い。

何故だ。何故こんな方向へと向かってしまったのだろうか?


「ほぅ。では早速ワルーシャ国王へと便りを出そう。お前達の婚姻により、我が国とワルーシャの友好はますます深まるだろう」

「お、おまち下さいませ。私とて一国の騎士でございます。いろいろと予定もありまして……ですから、一度国へと戻りましてもよろしいでしょうか?」

「それは構わぬぞ」

「誠でございましょうか!?」

やったわ! これなら一度戻ってアリスに解毒剤を作って貰える!

そうすればきっとこの王子もこの結婚に関して無効にしてくれるだろう。


「だが、その前に婚姻契約書だけでも作成していくがいい」

「そうですね。是非」

「……え」

国王と王子の台詞に思わず浮かせた腰が、大理石へと沈んだ。





「本当にサインさせられたし……」

心と体は連動しているらしくて、私は猫背ぎみに前屈みになったまま、自国へと通じる道を辿っていた。

どうしてこうなってしまったのだろうか? 

やはりあれか。薬を使って人の気持ちを変え、あまつさえ金をぶんどろうとした事に関し、戦乙女から罰が当たったというのだろうか。


結局私は婚姻契約書へと署名をさせられた。

印鑑が無いとごねたが、拇印で構わぬと朱肉に指を無理やり押し付けられ、羊皮紙へと私の指が見事に赤い花を咲かせた。

あの二人は悪徳な業者かっ! 絶対に職業間違っているわ!


「はぁ」

ほんと、溜息しか出ない。

そんな主の憂鬱な気分も物ともせず、愛馬は城で良い物を食べさせて頂いたらしく、たいそう機嫌がいい。しかも手入れまでして貰ったのか、毛並みが艶やか。


――とりあえず解毒剤飲めば、目も覚ますわよね……?


深い森を駆けていき、やっとアリスの小屋へと辿り着く。そしてそのままヴァロッサから降りると、私は怒られるのを覚悟で扉を開いた。

すると待っていましたとばかりに、中にいたアリスが走り寄り、私へと抱き付いてきた。


「良かった。無事だったのね!」

「あぁ、それは勿論」

ただちょっと困った事になったけれども。

私はアリスに勧められるままカウンターへと腰を落とし、彼女が入れてくれたハーブティーを胃へと流し込む。


「あのさ、追い着いたんだけれども……ごめんね。惚れ薬は取り返せなかった……実はさ……」

私はアリスへと起こった出来事を全て話そうとしたが、彼女は「それはいいの。だってあれ偽物だったから!」と笑顔で私へ告げた。





「ヴァロッサ急いで! 全力で」

またまた私は隣国へ向かうルートを愛馬で駆けていた。

何度この道を往復すればいいのだろうか。出来ることなら、もう二度としたくない。関わりたくない。


――なんなのよ! 無害そうにして実は腹黒かったって? あの王子くせ者すぎ。


どうやら私はまんまと罠に掛かってしまったようだ。

心を変える薬を作るのは御法度。それが魔女のルール。そのためアリスは私に渡す薬も、王子に渡す薬もそんな効能のない、ただのハーブを凝縮させた液体を瓶へと詰めただけ。

それなのにあの王子は、それを使用し私を騙した。自分に有利に運ぶように。


アリスと王子はグルではない。王子はきっとあの効能を期待して購入。ということは、彼の口から語られた話は本当だろう。

彼は婚約者を愛し、その上で彼女が本当に愛する人と結ばれるように願っている。

相手の第一王子がどう想っているかはわからないけれども。


相手の娘も破落戸で王子の命を狙うぐらいまで追い詰められているため、時間がない。

それにはまず、第一関門として自分と婚約者の破談に関し、王の許可が必要になってくるはずだ。

それを私という餌を元に破談させる目論みなのだろう。



やっと辿り着いた隣国にて宛もなくノルン城の回廊を駆け回りながら、私はあの腹黒王子を探した。

だがいかんせん、私は不法侵入。

城門の警備兵に止められたが、全て叩き潰し、無理矢理先へと進んできたのだ。

そのため「出て来なさいよ!」と大声で騒いでやりたいが、それが出来ない。


――何処行ったのよ! あの腹黒王子め。


「あれ? どうしたの? 僕が恋しくて戻ってきたのかな」

と好き勝手に言いながら、前方からのうのうと現れたのは、あの腹黒王子。

爽やかな笑顔を浮かべながら、こちらに片手を上げている。


「騙したわね」

「なんの事かな?」

「惚れ薬よ。惚れ薬! 貴方が飲んだのは、あれは偽物だったの。貴方は利用したのよ。私の存在を」

そしてまんまと自分の考えたシナリオ通り、進めて行った。


「あれは間違いなく本物だよ」

「はぁ!? 作った魔女(アリス)が偽物だって言っているんだってば!」

「飲んだ僕が証言するよ。あれは惚れ薬だ。だから僕は君を好きになり、婚約を破棄させられた。

しかも父上の公認で」

王子はこちらに一歩足を進めると、私へと手を伸ばし、耳朶へ触れるように囁いた。

「君が単純で良かったよ。僕の想像通りに事が運んだ。薬の取違えに気づけば、絶対に僕の事を追いかけると踏んでいたからね」と。






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