SとMの拠り所
この小説は、心が落ち着いている時にゆっくりと読んでほしいです。話の内容を頭に入れないと次の話がわからなくなるので。
「はっ、はっ、はっ、はっ___」
左手首に巻かれている税込九百九十八円の防水式腕時計を、眼球だけ動かして見る。
七時五十八分___
(くそッ、まずいぞ)
俺は今、十六年の人生の中で最大の窮地を走らされていた。
私立天海高等学校。
全生徒数およそ千人にして共学校。全国平均と比べ、全生徒合わせての平均が偏差値五十を誇り、部活動も、野球・サッカーを初めとし、約二十もの部活がある。無論、ヤンキー・不良の類いはおらず、制服も、男子はブラウス+青系色のネクタイと黒ズボン。女子はブラウス+赤系色のネクタイと赤チェックのミニスカート。着崩そうと思ってもどうやったらいいのか見当もつかない、質素ながらもセンスの良い制服。休日も自由に校舎内に入れ、静かな時間を過ごすことができる。正に、生徒たちの安らぎの場と言っても過言ではない高校である。
ぶっちゃけてしまえば、山も無ければ谷も無い。極々普通の、というより、普通すぎて逆に珍しいほどの高校なのである。
今日はそんな高校の入学式。式の始まる時間は八時丁度。しかし現在七時五十八分のため、俺は通学路を猛ダッシュしている。
勘の良い人なら既にお気づきだろうが、俺は今、遅刻寸前の状況に陥っている。
だから俺は走る。振り返らず、あと三キロの道のりを本気で走り続ける。
地べたに落ちている諭吉先生。ダンボールに入れられている黒斑の子猫。路地裏でヤンキーにカツアゲされている超絶美人なJK。何回も俺の名前を呼んでくる超絶フツメンなDKでさえも、全てを無視して走り続ける。天海高校校旗が見える、その時まで___。
「___い、空ッ。おい、空ったら!」
右肩に感じる生温かい手の温もりを感じ、耳障りな若干高めなDKの声が脳内に響き渡ったため、"偶然"後ろに居合わせたDKを回し蹴りで、美人なJKのいる路地裏に蹴り飛ばしてあげた。せいぜいメルアド交換しているといい。
七時五十九分___
(しゃーなし、か)
走りながら息を整え、目をつむりながら天海高校の座標を脳内に強くイメージし、風を切るイメージで加速させていく。そして自らの脳に、力を百パーセント出す様に命令し、一瞬だけ全体重を右足に乗せて地面を蹴り飛ばす___
「漣流奥義閃之一"神足歩法"!」
目を見開けばそこは、天海高校の体育館前である。
無事、遅刻せずに入学式を終えた俺ら新入生たちは、教員たちの指示に従い、各自の教室へ振り分けられる。
「漣空、天野七海、一の一。森内___」
(一の一……)
一緒に呼ばれた女子の天野さんの並んで、一の一の教室へ向かう。不意に天野さんが、
「天野七海です。一年間よろしくお願いします」
と、自己を紹介してくれたので、こちらも、
「漣空だ。こちらこそよろしく」
と、俺が今できる最高の笑顔で愛想良く挨拶し、ポケットに入れられていた右手を差し出した。
その途端、天野さんが顔を赤らめ、顔を俯かせながら右手を差し出してくれた。けれど、なかなか俺の右手を握ってくれないため、こちらから握ってしまった。
「よろしく、天野さん」
俯かせた顔でもわかるほど、天野さんの顔が真っ赤になっていた。
「……天野さん?」
「は、はひッ」
噛んだ。めっさ可愛いです。
「頭から湯気出てるけど、大丈夫?」
頭から湯気が出てるところ初めて見た。本当に出るんだ。アニメみたい。
「え?いや、あ、あの……、大丈夫、大丈夫ですから〜ッ!」
真っ赤になった顔を両手で隠して、走って教室の中に逃げ込んでしまった。そこまでまずいことしたつもりは無いんだが……、無理やり手を握っちゃったのが悪かったのか?
俺は自らの右手を見て思った。
(不潔……なのか?)
ほんの数十秒の間で、俺の心は半端無く傷つきました。
気持ちがブルーながらも、とりあえず教室に入ることにした。入った途端、全生徒の視線が俺に向けられた。中でも女子からは、痛いくらいの視線が突き刺さってくる。逆に男子たちは、その女子たちの視線に気づくないなや、ある一人の生徒を一斉に見て、顔を華やかにさせていた。
(天野さんか……まあ、可愛いもんな)
小顔に栗色のショートカットで、身体も小柄。色白で、顔もめちゃくちゃ可愛いとくる。注目されるのも無理は無い。
とりあえず俺は、黒板に貼ってある座席表をみて、自分の席に座ることにした。窓際の一番後ろだ。
(ふむ、悪くない)
そんなことを思いながら席につく。
(そうだ。隣の人に挨拶しなきゃな)
「よろし___」
……天野さん、ここだったんだ。なんか右手をガン見して、高速で独り言をつぶやいている。横から見てると軽くホラーだ。
(そっとしておこう)
意識が戻ったら、謝ろう。
「さあ皆さんッ。毎年恒例、自己紹介を〜、はっじめっるよ〜ッ!」
木製ドアが開く音がしたと思ったら、いきなり超絶ハイテンションな幼女が入ってきた。右上の髪だけリボン付きのヘアゴムで縛っていて、活発ながらも大人しい雰囲気を醸し出している。
それよりも、何故にその幼女がこうこうにいるのか。
どれだけ高く見積もっても百三十センチは越えないだろうという、高校どころか中学でも危うい背の幼女は、誇り高く俎板な胸を張って教壇へ上がり、教卓の上を両手で思い切り叩いた。激しい打撃音が聞こえたものの、痛そうに屈んだのはご愛嬌。何とか立ち上がり、前を向いた。
「さ、さてッ、自己紹介を始めましょうッ!」
さっきまでのハイテンションへ戻り、その話題を再び振ってきた。そこでまた、当初の疑問を思い出す。
何故に幼女が高校に?
クラス中の生徒が、その問題を解決しようと考えを頭の中に巡らせていると、ある一人の生徒が究極の名案を思いついたようで、ゆっくりと立ち上がり、言葉を放った。
「すいません。自己紹介の前に一つ質問をしてもいいですか?」
「いいともッ。ドンと聞いてくれたまえッ!」
胸を握りこぶしで叩き、軽くむせた。おっちょこちょいな幼女だな。
「はい、それでは一つ……」
まさか……ッ、あの禁断の言葉を放つというのかッ___。
周りの生徒たちも、驚きの表情を隠せないでいるようだ。常人であれば必ずは思いつく選択肢の一つ。だが、思いつきはするのだが、即座に切り捨てる選択肢でもある。あの幼女が大人、もしくはさらに聖職者であった場合、傷口を抉りかねない質問なのである。それを今、あのDKがやろうとしている。
(まずい……)
我が校の生徒が(見た目)幼女を泣かせたことが世間に知れ渡った場合、肩身の狭い思いをするのは自明の理。そんなことになる前に阻止しなければ……ッ。だが、この緊迫した空気のせいで動くことができない。くそッ、ここまでか……ッ。
「では……、あなたは___」
くッ、体が……ッ。待てッ、DKッ!
「___小学生ですか?」
遂に爆弾が投げ込まれた。
場の空気が固まった。そんな中、いち早く動き出したのが、紛れもない"幼女"だった。
「う、うえぇぇぇぇぇぇぇんッ!みさきちゃゃゃんッ。私の生徒がイジメてくるよぉぉぉッ!」
……あ、やっぱり先生だったんだ。
泣き出したと思ったら、教室を出て隣のクラスへ向かったようだ。ってか、みさきちゃんって誰?
「おい貴様らッ」
長身でドSそうな女性が入ってきた。大方、隣のクラスの担任だろう。あ、後ろに幼女先生が抱きついてる。
「私の凪を泣かせた奴は前へ出ろッ!」
教卓を蹴り飛ばして教壇のド真ん中で仁王立ちをするドS先生。漣流奥義を身につけた俺でさえも恐怖する程の迫力。ドMがいたら、めっさ興奮しそうなシチュエーションだと思う。
ふと、あのDKが立ち上がり、ゆらゆらと体を揺らしながらドS先生のもとへと向かう。これからお仕置きをされそうなのに、どこと無く興奮しているように見えるのは気のせいか?
「お前が凪を泣かせたのか?」
「は、はい。わた、私、私が___」
どんどん興奮レベルが上がっているように感じる……、まさかッ、あのDKはッ!
「私が、凪先生を泣かせた醜くて汚らしい雄豚めにございま〜すッ!」
(((真性のドMだったのか〜ッ!)))
心の中で皆と共鳴してしまった。
「___ほう、面白い」
先程まで吊り上げられていた眉が降ろされ、何やら含みのある笑みに変わっていた。
「凪、少しの間待っていてくれ」
ドS先生はそう言って、腰に抱かれた幼女先生の腕を優しく振りほどいた。
「では、その醜くて汚らしい雄豚ッ!」
「は、はいッ!」
「たっぷりとお仕置きしてやるから、ちょっと来い。」
「イエス、女王様ッ!どこまでもついていきま〜すッ!」
………………。
飴を与えて、皆で凪先生を宥めたおかげで、三分程で泣き止んでくれた。飴で泣き止むって……。見た目だけでなく、中身まで幼女の様だ。
その前に、飴って学校に持ってきていいのか?