第四十一話
「そろそろ頃合いかのお。江戸の正信の倅にも指示を出せ」
徳川家康は駿府より出陣した。ゆっくりを進軍し、後続の江戸から出陣する幕府軍と合流して、大坂に布陣する予定であった。
駿府に潜ませていた乱破からの情報が大坂へ到着するやいなや僕は軍議の開催を要請した。
軍議は原則十一名によって決定される。豊臣秀頼公、千姫様、浮田英以江(宇喜多秀家)、真田大助、大野治長、大野治房、明石全登、後藤基次、真田信繁、長曾我部盛親、毛利勝永の十一名である。
全員が集まったところで僕は言った。
「駿府に派遣した乱破から連絡がありました。大御所の軍は西に向かって進軍を開始したそうです。江戸においても軍の編成を急いでいる、との事です。追って江戸からも出陣するのは間違いないでしょう。幕府の軍は専攻する大御所の軍と合流して、大坂に布陣するでしょう」
各人の反応は、恐れを抱く者、闘志を沸き上がらせる者、静かに自らのやるべき事をやろうとする者と様々だ。僕は秀頼公と千姫様の様子を窺った。何の動揺も見られない、まさに明鏡止水の心境である様に思われた。
「この数か月、大坂城の防御能力の向上に努めて参りました。外堀と内堀のない状態ではありますが、防御においては遜色無い状態まで戻っているかと思います。これらを前提として、皆さんに忌憚の無い意見をお願いいたします」
「やはり帰って来る城が堅固だと安心して戦えるというものだな」
長曾我部さんが言った。一同、それに頷いた。
「それはそうですね」
父上が発言を求めていたので、僕は話してもらう事にした。
「今の話だと、大御所の軍が先行しており、幕府の軍が後続という事だ。まだ合流していない。合流する前なら、幕府の軍を叩く機会があると思う」
「それはどちらの軍をどこで叩こうと言うのですか?」
「幕府の軍を関ヶ原で叩く。まず、大御所の軍には先行して宮から桑名に渡ってもらう。その後で幕府には真田が彦根を狙っている、との知らせが入る。忍びに調べさせると関ヶ原から彦根を窺う一団を発見する。そうなれば、将軍は十五年前の事を思い出し、我を忘れて関ヶ原に殺到するだろう。そこを叩く」
「兵の規模はどれくらい必要だと思っておりますか?」
「そうだな。騎馬兵二千、諸々の仕掛けを準備する工作兵が一千程。やはり真田の戦法は三千くらいが丁度良い」
「懸念点が二つあります。一つは幕府軍の後に、雄藩の軍が続いて関ヶ原に来ることが考えられますのでその対策が必要です。二つ目は彦根藩への対応です。彦根藩が参戦すれば、父上は挟み撃ちになる恐れがあります」
「後続の藩については、幕府軍の行動を無視して桑名へ行くように、お触れが出る事になる。彦根藩については、真田は赤備えである為、同士討ちの恐れがある為参戦不要との文が幕府から届く事になる」
突然、英以江さんが笑いながら言った。
「フハハハハ・・・。面白い、面白いのぉ。大助、父親のやりたい様にやらせてみよ。本来なら儂が関ヶ原で暴れたいぐらいだ。だがな、信繁殿、そなたにはもう一度大坂で幕府軍と遊んでもらわねばならぬ。必ず大坂に戻って来い。これが出来るなら出兵を許可しよう。・・・それから皆にも言っておく。我等は浪人衆を束ねて戦うだけじゃ。彼等と同じく自分の命のやり取りとするだけだ。豊臣の再興だとか、自分の家の再興なんぞ考えなくてもいい。もっと戦いを楽しめ!・・・戦をあまり辛気臭く考えるな。そんな奴から先に死ぬぞ」
「わかりました。父上に三千の兵を預けます。戦果についてはとやかく言いませんので、必ず、兵の消耗を最小限で大坂に戻って来て下さい」
父上が黙礼で返す。
「他に意見のある方はございませんか」
特に意見が出なかったので、次は開戦時の布陣である。
各員の前に大坂の地図を配布する。
重要視したいのは、敵にいい場所を与えない為に先に布陣する事だ。その準備においては、完全に優位に立つ。現段階ではどこに布陣しようが思うがままだ。
考えたいのは、敵に不利になる場所に布陣させる事だ。高所に布陣させてもいい。木々が生い茂り、木々の間を騎馬や歩兵が走り抜けられない場所に布陣させるのだ。そうなれば下山するにも獣道を進むしかなく、狙い撃ちが出来る様になる。また、それだけ木々が密集した状況ならば、山火事を起こすのが有効だろう。
千姫様は天守に残るとして、本陣秀頼公をどこに布陣させるかが最大の問題である。できれば、大坂の象徴とも言うべき場所に布陣し、大坂の街全体で徳川幕府と戦うという雰囲気を醸成したい。
となると、秀頼公の本陣を四天王寺に置きたい。それが決まると、交通の要衝と秀頼公の四方に将を配置することになる。四方とは言え、北は大坂城及び淀川があり、西には海が広がる。これら二方向についてはさほど重要視していない。もっとも船舶については、確認機能を充実させる必要があるだろう。交通の要衝という面では、京、堺、奈良への街道を掌握しておかなばならない。
南側・東側を守るのは、浪人衆を束ねる事になる五将にお願いしたい。南面の西側・東側、南東部、東面の北側・南側の五ヶ所である。問題はどこに誰をあてはめるかである。まずは南東部に父上である真田信繁。南面・東面双方に睨みを利かせつつ、攻守共に自在に采配を振るう事の出来る父上がふさわしいだろう。南面東側には長曾我部盛親。敵主力と相対する場所だけに攻撃力のある長曾我部さんにお願いしたい。東面南側には明石全登。ここも敵の大軍と相対する場所なので、宇喜多秀家公の元で参戦した経験が生かせるだろう。東面北側については後藤基次。こちらでは、もし敗戦となった折に軍としての崩壊を防ぎ、個人の武力で活路を開く役目がある。個人の圧倒的武力を持つ彼がふさわしいだろう。南面東側が毛利勝永。南面全体を見通し、東側への助力と、堺への交通路の確保を担当する。
軍議のおいて将の配置の僕の案を伝えた。その理由については説明していないが、各自理解している事は顔つきでわかる。特に異論もなく、開戦時の布陣は決まった。無論、戦いは生きものなのでどう変化するかわからない。だが、この将達なら柔軟に対応出来ると思うのだ。
後は戦の進め方となる。




