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「白い結婚をしたい」と仰った旦那様、愛してくださってありがとう

作者: 久遠れん

「白い結婚がしたい」


 婚約者からそう言われた場合の、正しい対処方法ってなにかしら。


 そもそも、後継ぎはどうするつもりなのだろう。白い結婚の意味がわからないほど子供ではないはずなのに。


 けれど、悲壮な顔をして口にするからには相応の覚悟があると思うべきだ。


 だったら、私の返せる答えなんて一つだけ。


「わかりました、ジョルジュ様」


 にこりと微笑んで私は了承を伝えた。




▽▲▽▲▽




 結婚して半年が過ぎようとしている。


 私の旦那様となったジョルジュ様は当初の宣言通り、一切私に手を出さない。


 でも、ないがしろにされているとも感じてはいないのだ。


 だって、ものすごく大切にされているのが伝わってくるから。


 何不自由ない侯爵夫人としての生活、ドレスもアクセサリーも週に一度は新しいものをプレゼントされるし、使用人たちも私を敬ってくれている。


 だからこそわからない。私を扱いかねているならともかく、どうして『白い結婚』となったのか。


(楽なのは楽なのだけれど)


 趣味の読書の手を止めて、窓の外を眺めながらため息を一つ吐き出す。


 降りしきる雨が柔らかく窓のガラスを叩いていた。


 涼やかな音色に耳を傾けながら、私はさらに思考を巡らせる。


(最初に「白い結婚」と言われたときは嫌われているのかと思ったのに)


 婚約者時代はそこそこ仲良くやっていた自覚があっただけに驚いたのだ。


 私とジョルジュ様の婚約は両親が勝手に組んだものだったけれど、お互いを尊重しながら少しずつ歩み寄ったと思っていた。


 だからこそ、なにか粗相をしただろうか、ジョルジュ様を不快にさせる言動をしたのだろうかと焦る気持ちがあった。


 そんな不安はいまではすっかりと消えている。だって、ジョルジュ様は私を大切にしてくれていると、言動の節々から伝わってくるから。


 けれど、そうなるとさらに不思議なのが『白い結婚』をしている現状だった。


「女性にトラウマでもあるのかしら……」


 少し強くなった雨脚を見つめながら、私はもう一度ため息を吐き出した。


 答えは出ない。


 けれど、直接ジョルジュ様本人に聞いていいのか、私には判断がつかなかった。






 公爵家のお茶会に侯爵夫人として出席した帰り道を馬車に揺られていた。


 今日のドレスは昨日ジョルジュ様からプレゼントされた新しいものだ。


 アクセサリーなども含めてお茶会に行くなら、と一式を贈っていただいた。


 お茶会の席では当たり前だけれど、結婚して半年たつのに妊娠の兆候がないことをほかの夫人たちに尋ねられた。


 ゆっくりでいいわよね、と公爵夫人がフォローしてくださったけれど、そもそもそういうことをしていないのだから妊娠の可能性があるはずもない。


 馬車の窓の外の流れていく街の景色を見つめつつ、浅く息を吐く。


「帰ったら、聞いてみようかしら」


 どうして『白い結婚』をしようと思ったのか。


 私に原因があるのか。ジョルジュ様にとって『白い結婚』にどんな意味があるのか。


 怖い、と思っていた。


 正面から尋ねて『めんどくさい女』になるのが恐ろしかった。


 けれど、いつまでもこのままでいいはずがない。


 先代の侯爵夫妻――つまり私の義両親にあたるお二人も孫を楽しみにしていると仰っていた。嫁入りした女として、後継ぎを生むことは義務だ。


 もう一度ため息を吐き出す。最近ため息が多いわね、と苦笑をこぼした、その、瞬間。


 ぐらりと馬車が揺れて、御者の悲鳴が上がった。なに、と思ったその時に体を強く馬車の壁に打ち付けて、私の意識は暗転した。






 ゆるりと意識が浮上した。


 けれど、意識が目覚めた瞬間に襲い掛かった痛みに悲鳴を飲み込む。


 体が痛い。泣きそうだ。こんなに痛い思いをしたことがない。体の節々が悲鳴を上げている。


 幼いころ、実家のお屋敷のお庭で転んだ時だって、こんなに痛くなかった。


 体が自由に動かない。指先一つ動かすのが億劫だ。


 でも、どうしてこんなに体が辛いのだろう。


 なにか怪我をするようなことをしただろうか。なにも覚えていない。


 もう一度寝てしまおうかな。意識がなければ痛くはないかな。そう、思ったけれど。


 指先が温かったのだ。誰かに包まれているように温かくて、指先にどうにか力を入れてぴくりと辛うじて動かすと、悲鳴のように名前を呼ばれた。


「エリーヌ!!」


 私の、名前だ。呼んでいるのはジョルジュ様。


 気合と根性で重たい瞼を少しだけ開ける。私の視界一杯に広がったのは、瞳に涙を浮かべたジョルジュ様の顔のドアップ。


「じょ……さ……」


 声がかすれて音にならない。私はこんなに言葉を発するのが下手くそだっただろうか。


 霞む視界でどうにかジョルジュ様を見つめていると、にわかに部屋が慌ただしくなった。


 女性の声が「先生を呼んでください!」と言っているのが聞こえる。


 聞き間違えでなければ私付きのメイドの声に聞こえた。


 ジョルジュ様が、涙を浮かべたまま、さらに強く私の手を握った。


 少し痛かったけれど、それを伝えられる状態ではない。


「よかった……! 目が覚めて本当に良かった……!!」


 どういう、ことだろう。それではまるで私が長い間眠っていたかのようだ。


 そういえば、どうして私はベッドの上にいるのだろうか。


 視界に入る情報で判断するに、ここは私の自室のようだけれど、ベッドで寝た記憶がない。


 そもそも、最後の記憶は――たしか、馬車の中で。


(ああ)


 覚えている。悲鳴が聞こえて、馬車が揺れて、叩きつけられた。


 きっと、事故が起こった。馬車の事故は滅多に起こらないけれど、一度事故を起こすと悲惨な現場になることが多いとお母様が口にしていた。


 私はきっと馬車の事故にあって、それでこんなに体が痛いのだ。


「エレーヌ……! 本当に……!!」


 そんなに泣かないでください、ジョルジュ様。


 私、大丈夫ですから。声はかすれているし、体は痛くて泣きそうだけれど、気持ちは結構元気ですよ。


 ああ、でも。ちょっと眠くなってきました。少しだけ、寝ても大丈夫かしら。


「エレーヌ! エレーヌ!!」


 そんな、この世の終わりみたいに名前を呼ばなくてもいいのに。


 少し、眠るだけですから。




▽▲▽▲▽




 エレーヌが乗っていた馬車が事故にあった。


 そう聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。


 王宮に仕事に出ていた私の元に舞い込んだ知らせに、すべてを投げ捨てて屋敷に戻った。


 すでにエレーヌは屋敷に運ばれて治療を受けていると知らされたからだ。


 帰宅した屋敷はひどく騒がしかった。メイドたちは慌ただしく動いている。


 私を出迎えた執事の顔色も悪く、私は最悪の事態が脳裏をよぎった。


 寝室に運び込まれたエレーヌは医者の治療を受けていた。


 駆け寄った私の前で、青白い顔で浅く呼吸を繰り返しているエレーヌは左腕と左足が折れたと説明を受けた。


 強く体を打ち付けているから、意識が戻るかどうかはわからない、とも言われた。


 足と腕を折って体を打ち付けるなど、どれほどの痛みだろうか。代われるものなら代わりたかった。


 だが、私がここで嘆いていても事態は好転しない。


 私は執事を呼びだして、すぐに国にいる優秀な医者と治癒師を連れてくるよう命じた。


 私の身分は侯爵だが、国ではそこそこ重要な地位にいる。


 私の願いだと聞けば、協力してくれる貴族は多いはずだ。


 そうして探した医者は陛下からの紹介で、国一の名医だ。


 治癒師は隣国から我が国に遊学している腕の良い人間を探した。


 医者と治癒師が的確な治療と治癒をしてくれたおかげで、エレーヌの傷はみるみるふさがって、跡を残すこともないだろうと告げられた。


 まだ体は痛むかもしれないし、リハビリも必要だが、悲観することはない、と。


 私は仕事を投げ出し、寝る間も惜しんでエレーヌの傍で神に祈り続けた。


 どうか、どうか。私のエレーヌを連れて行かないでくれ、と。


 無事にエレーヌが目を覚ますように、と。


 幼いころ、小鳥を殺したことがふと脳裏をよぎった。


 愛らしい小鳥を私のせいで死なせてしまった。あの時も散々に泣いたが、もしいまエレーヌを失うことがあれば、二度と立ち直れない。


 祈り続ける私の傍で、エレーヌは滾々と眠り続けた。


 眠り姫は口付で起きるという逸話があるが、エレーヌは私の口付では目覚めてはくれない。


 エレーヌが眠り続け、そばにいた私にも疲労がたまりだした一週間目に、かすかに握っていたエレーヌの指先が動いた。


 うとうととしていた私ははっと目を覚まし、エレーヌに呼びかけ続けた。


「エレーヌ! エレーヌ!!」


 エレーヌの宝石より何倍も美しい瞳が、ぼんやりと私を見る。


 その瞳に宿る光のなさに私の心臓は握りつぶされたように痛みを発した。背筋を嫌な汗が伝う。


 そのまま再び意識を失ったエレーヌを、さらに呼び続けた。


 医者がそっと私の肩に手を置いて「落ち着いてください。眠られただけです」と告げるまで、私はただエレーヌの名を呼んでいた。




▽▲▽▲▽




「目覚めたエレーヌが再び寝たときは、本当に心臓が止まるかと思ったんだ」

「すみません。なんだかすごく眠かったんです」


 私のベッドのそばに椅子を置いたジョルジュ様は、すっかりそこが定位置だといわんばかりに最近は執務が終わればそこに座って一日を過ごしている。


 私は馬車の事故にあって左足と左腕を骨折したらしい。


 意識が戻らないまま、一週間ほど寝ていたのだそう。


 けれど、ジョルジュ様が優秀なお医者様と治癒師を探してくださったから、事故の傷は残らないといわれた。


 クッションをたくさん置いて上半身を起こしている私は、まだちょっと事故の影響で左半身が不便だけれど、リハビリを頑張れば以前のように問題なく動けるようになれると診断されている。


 ジョルジュ様は心から私を心配してくれている。


 それが伝わってくるから、私の心はぽかぽかと温かい。


「ジョルジュ様、なにからなにまでありがとうございます」

「余所余所しいことを言わないでくれ。私たちは夫婦なんだ」


 お礼の言葉は素直に受け取ってもらえなかった。私は小さく苦笑をこぼしてしまう。


 ああ、いまなら。聞けるかしら。『白い結婚』をしたかった、その意味を。


「ジョルジュ様、質問をいいですか?」

「ああ。なんだろう」

「どうして『白い結婚』をしよう、と。そうおっしゃったのですか」


 そっと疑問を口にした私に、ジョルジュ様が視線を伏せる。


 迷うように揺れる眼差しをじっと見つめていると、ジョルジュ様がゆっくりと口を開いた。


「昔、小鳥を飼っていたんだ」


 小鳥? 突然どうしたのだろう。


 予想外の話の切り口に、ぱち、と瞬きをする。


 けれど、口をはさんで邪魔をすることなく、私は静かにジョルジュ様の言葉を待つ。


「その小鳥は白くて本当に愛らしくて。私は大切に育てていたんだ。けれど、ある日一緒に寝ようとベッドに入って、潰してしまった」


 それは悲しい。でも『白い結婚』とどういう関係があるのだろう。


 ぱちぱちと瞬きをする私の前で、ジョルジュ様は声音に後悔と悲痛さをないまぜにして、我慢していたものを吐き出すように話し続ける。


「君に初めて会ったとき、可憐な人だと思った。愛らしくて可愛くて、小鳥のような人だと」

(あ、なるほど?)


 ちょっと話の展開が読めてきた。私は浅く息を吐く。


 ジョルジュ様こそ愛らしい人だ、と胸がいっぱいになった。


 視線を伏せたままのジョルジュ様は私の視線に気づくことなく、膝の上で握りしめた拳を震わせる。


「君と夜を共にすれば、壊してしまうと思ったんだ。あの時の小鳥のように、潰してしまうと」


 予想通りの言葉が吐き出されて、私はそっと息を吐く。


 自由に動く右手をジョルジュ様の握られた拳に重ねた。


 びくりと肩を揺らして、ゆっくりと上げられた視線に、私は笑み崩れた。そんな風に大切に思われて、嫌に思う女性などいない。


「私はそこまでか弱くはありません」

「……本当かい?」

「はい」


 穏やかに頷く。私を小鳥に例えてくれるのは嬉しいけれど、私は小鳥ではないから。


 ジョルジュ様の愛を受け止めることができる。


 まだ揺らぐ視線を正面から受け止める。視線が絡み合って、私はもう一度優しく微笑んだ。


「だから、体が治ったら、ぜひ」

「っ」

「子供が、欲しいんです」


 ジョルジュ様を愛している。


 だから、愛の形が欲しい。


 私の訴えに、ジョルジュ様は真っ赤に顔をそめて、こくこくと頷いた。


 ああもう、私の旦那様が愛おしい!






 三年後、侯爵家の庭園を子供の手を引いてジョルジュ様とともに歩く私の胸には、幸福が満ち溢れていた。





読んでいただき、ありがとうございます!


『白い結婚をしたい? はぁ、ずいぶん夢見がちでいらっしゃるのね』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?


面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも


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