乙女ゲーヒロインに転生したけど先に転生した人たちが猛者すぎてすることがありません!
「出遅れたー!」
フローレンス伯爵邸の一室で、次女のミイナ・フローレンスが唐突に悲鳴を上げた。
明日入学する王立学園の制服。それを試着して、大きな鏡の前で一人でうきうきしながらポーズを決めていたところだった。
そこで前触れもなく人一人分の膨大な記憶が彼女の脳内に流れ込んできた。
自分には前世があって、日本という国に住んでいた会社員であること。乙女ゲームが趣味で、西洋風ファンタジー学園ものの『遥かなる運命の愛』という恋愛シミュレーションゲームに嵌まっていたこと。
そして、今住んでいる世界がその『遥かなる運命の愛』そっくりであるということ……。
「よ…よりにもよってなんでヒロインなの……。逆にどうしたらいいのかわからないじゃん」
ミイナの前世はオタク女子でネット小説もよく読んでいた。
しかしこういう乙女ゲー転生パターンは記憶の中だと悪役令嬢とか脇役令嬢とかが多くて、王道のはずのヒロインだとどういう立ち振る舞いをしたらいいのか逆にわからない。
ゲームのようにやればいいのか。いやでも、読んできた小説とかだと「ゲームのキャラなんかじゃない、生身の人間だったんだ」みたいな展開もよくあるし……。
ゲームじゃなくてリアルなら、シナリオそのままの物怖じせぬ言動を突っ走ったら冷めた目で見られたりしないだろうか。
「…ど、どうすればいいんだろう。どっちにしろ陰キャにヒロインムーブはきついって……。ああ笑顔が下手」
この数分で鏡の中に映る笑顔の質が著しく劣化しているように感じる。
前世を思い出す前のミイナは隠キャではなかった。隠キャという単語すらしらなかった。しかし記憶が戻った途端これである。
それに、大きな懸念がある。
このゲームを模した世界に、どうして自分だけしか転生していないと思い切れるだろうか。
しかも思い出したのが実際のゲームの開始時点から、わずか1日早いだけというタイミング。結構、いやだいぶ遅いほうじゃないだろうか。せめて数年は欲しかった。
た、対策…傾向と対策……。
ミイナは考えれば考えるほど焦ってパニックになった。
そして本音として飛び出た悲鳴が、
「出遅れたー!」
だった。しばらくしてバタバタという慌しい足音が部屋の外から聞こえてくる。
——バン!
「ミイナ! どうしたの!?」
「レイシアお姉さまー!!」
ノックもせず開けられたがミイナは気にも留めずにレイシアに駆け寄った。
三つ上の姉で半分しか血は繋がっていないが、母を亡くしたばかりのボロボロのミイナに最初から優しくしてくれた。大好きな姉である。
「急に悲鳴が聞こえたってメイドが伝えてきたの。怪我でもしたの?」
「いいえ大丈夫です」
「アンドリューも心配してたわ」
「アンドリューさまがおいでになってたの?」
アンドリューは姉の婚約者で侯爵家の一人息子だ。派手さはないが聡明な美青年で、姉を見ると目元をふっと緩めているのを知っている。
彼にとってレイシアは特別だった。昔、人見知りだったアンドリューにレイシアが根気強く話しかけたのがきっかけで、仲良くなったらしい。
(あ、あれ……?)
ミイナはレイシアに今唐突に抱え始めた不安を相談しようとしていたが、はたと止まる。
ゲームの中のレイシアって、どんなキャラクターだったっけ?
屋敷に来たばかりのミイナを売女の娘だと蔑み孤立させ虐め抜いていたような…。婚約者のアンドリューは口数少なくいつも彼女にいいように振り回されていたはずでは……?
「お、おね、おねえ……お姉さま…?」
美しい姉は平時とは違うミイナの様子に心配そうに首を傾げた。
「どうしたの? 明日入学式だから不安になっているのかしら? お姉ちゃんが厨房を借りてハニーミルクを作ってあげる。あなたは昔からこれが大好きだからね」
「お姉さまー!!」
しかし、今のミイナはいじめ、られてない! すごく仲がいい。レイシア自身がゲームの設定と全く違う性格をしている。つまり、
(いたー! ここに先輩転生者!)
そしてゲームの設定ではミイナがアンドリューの繊細な心を見抜き、彼の頑なな心を開いてゆくのだが……。
「レイシア、置いていかないでくれ」
「あら、アンディ。待っててっていったのに」
「俺を一人にしないでくれ。君がいないと俺は置き去りにされたぬいぐるみの気分になるよ」
「ふふ、そんなにかわいかったかしら?」
もう! めっちゃ開いとる心! レイシアに!
自分と同じようにアンドリューもレイシアにすでにめろめろだった。
ミイナはゲームの設定と現実との齟齬に頭を痛めた。今の自分には二人の恋路を応援したい気持ちがしっかり根付いているのだ。引き裂きたい気持ちは特に存在しなかった。
「大丈夫ですお姉さま。学園の制服を着て浮かれてしまっていただけですから」
ミイナは混乱を抱えたまま作り笑いをして、レイシアを部屋から追い出した。
その拍子にレイシアを迎えにきていたアンドリューの全身を一目で焼きつけた。今まで何度も見てきたけれど、前世の記憶込みで改めて見ると、かっこいいな! くそー! 二次元が動いてる!
レイシアを見送って、扉を閉めるときについでに人払いをした。
静まり返った自室で腕を組む。
レイシアに自分の悩みを相談するのは少し怖い。どんな反応が返ってくるのかわからない。あの姉がと思いつつも、本当の姉がわからなくなってしまっている。
ただあの人も独り言が多かった。「破滅ルートはいや」「シナリオどおりにいかせるものですか」今までは聞き流していたけれど。それってつまりはそういうことでしょう。
万が一、転生者だと気づかれて敵認定されてしまったら勝てる要素がない。家族政治はもとよりステゴロでも剣でも敵わない。姉は昔から何にでも真面目に取り組んでいて文武両道なのだ。ゲームのときのキャラとは真逆を行っている。
考えれば考えるほど、大切なはずの家族が遠く感じる。
「……しばらく一人で考えたほうが良さそう」
でも、やっぱり他に転生者がいるという自分の想定はあっていたらしい。
早速見つけられたのは運が良かったと言っていい。いや、悪かったかも。アンドリューさまルートが消し飛んだからね。
「そ、そうねじゃあお相手はアンドリュー以外に絞らなきゃ」
彼は現実的に考えると魅力的な恋人候補だったが仕方ない。
ヤンデレとかバイオレンスとか俺様とかお馴染みの属性も、ゲームだったら萌えるけど現実世界ではノーサンキューだ。あと王太子も荷が重い。ミイナは穏やかで無難そうな人がいい。
「でも、全員イケメン設定だから近くで見てみたいなあ……。そうだよね、ゲームの世界そのままの性格とも限らないし。それに答えは知ってるんだからうまいことやれば……」
不安と僅かな期待を抱えたミイナは学園に入ってさらに絶句した。
メインヒーローである王太子さまは、幼い頃からの許嫁といい感じになっている。
クールな未来の宰相さまは、血の繋がっていない姉に長い片思い中。
変わり者の未来の大魔道士は、理解ある包容力満点の彼女がいるらしい。
未来の騎士団長さまは……、ミイナのタイプではなかったのでしっかり調べなかったけど、どうせなんかいるでしょ幼馴染とか、と思った。
学園内にある食堂で、ミイナは友達とお昼ご飯をとっていた。
目の前に座っているお友達は、耳が大きくて尖っていて、額に宝石のような魔眼があって頭から2本、ゴツゴツした大きな角が生えている。
名前はgskufebenkzkxという。別の国から来たこの友達の名前は正確な発音するのは難しく、ぐーちゃんというあだ名で呼んでほしいらしい。
そう、別の国——魔族の国。
「私こっちに来てそろそろ半年になるんだよ。人間の国はご飯が美味しくていいよね」
「へえ、そうなんだ。何が一番好きなの?」
「ナポリタンかな」
「ナポリタンってこの世界だとどこで発明されたのかな」
「ミイナは不思議なことをよく言うね」
そういいながらぐーちゃんはタバスコをたっぷりふりかけてナポリタンをフォークにくるくる巻きつけた。
「……」
(ゲームではこんな友達いなかったよ!?)
ミイナは入学以来ずっとこんな調子で脳内でツッコミを入れていた。
こんな友達どころか魔族すら学園内にいなかった。しかし、今はクラスの4分の1は人間の国以外の出身の若者が占めていた。
おそらく、いや確実にレイシアとはまた別の先輩転生者によるものだった。
ミイナは食堂の壁に視線をやった。
そこでは歴代王族の肖像画が仰々しく飾られているが、数年前から遺物が混入している。他から少し間を開けてかけられている豪奢な金の額縁の中の絵には、二人の人物が描かれていた。
黒いマントを翻している大柄な美丈夫と、その隣に寄り添う豪奢なドレスを着た人間族の見知らぬたおやかな女性。魔王デルフォードとその妃だ。今もラブラブ夫婦だそうだ。
全ルートコンプしてから解放されるはずの魔王ルートもすでに、どのような手によってかヒロインではないはずの人物によってクリアされていた。なんと5年前に。
ゲームの中のいがみ合う人間族と魔族……という構図自体とっくに無くなっていた。どうりで街中や学校で魔族を見かけると思っていた。
そして、ゲームだとミイナの友達になるはずのキャラも中身は転生者だったようだ。あからさまに避けられている気がする。
(そう、今ちょうど私に気づいて柱の裏に隠れた女の子!)
ミイナは何も気づいてないふりをする。
「ごちそうさまでした。お待たせぐーちゃん」
ぐーちゃんはミイナが食べ終わるのを急かさずに待っていてくれた。ゲームでは登場すらしていなかったが、優しい友人だった。
ミイナは前世の記憶を取り戻してから、ずっと妙な解放感に似たやるせなさに包まれていた。
自分がヒロインのはずのこの世界なのに、コミットするはずのイベントはない。
シナリオも起こるはずのイベントも起きない。己の出る幕はどこにもないのである。ゲーム開始時点の時系列で全てのヒーローには完璧なヒロインがコミットされていた。
「ちょっと転生者多すぎるんじゃない!?」というツッコミは入学して数日で使いすぎて擦り切れた。そりゃ、小心者の自分ではできるか怪しいイベントが目白押しだったけれど、なくなったらなくなったでなんだかな。
ミイナとぐーちゃんは食堂を出るときに、一段高い生徒会専用テーブルのそばを通り過ぎた。
『遥かなる運命の愛』のネームドキャラクターばかりいる。
その中の何人かがこちらに目を光らせていた。多分先輩だ、転生的な意味の。ちょっと雰囲気ひりつくのやめてほしい。怪しいものではございません。ミイナはちょっと涙目になった。
怒りたい気持ちにもならない。というか、他の転生者を知れば知るほど萎んでいった。
(だって……この人たち、私よりも原作愛すごそうだし)
入学して2日で異常を確信したミイナは、しばらくこそこそと情報収集をしてみたことがある。
あるときは花壇に隠れ、またあるときは反対側の壁からこっそり聞き耳を立てた。
「そろそろこの時期にエリックは父上から武勲を立ててこいっていわれるんだよね。でも魔族と仲良くなったし、別のものと置き換えられる可能性があるかも。彼から目を離さないようにしないと……、一人で抱え込まないでって。口の中を噛む癖が見えたら要注意ね」
「アレンは幼い頃から天才って褒めそやされていたけれど、彼が本当にほしいものはありふれた愛情と触れ合いだったんだよね……。大丈夫私ならわかる。どれだけ考察してきたと思ってるの」
調べればわかった。
彼女たちは何度も何度もストーリーを読み込み、バレンタインに欠かさずチョコを送り、推しの誕生日は祭壇に手作りケーキを公開し、アクスタをサイズ違いで全て買い、グッズを無限回収し、ファンアートを作り、既プレイヤーを大号泣させる考察を上げているような猛者たちだった。
そして転生した今も逆境を跳ね除けたりなんやかんやして頑張っているのだ。
無産でグッズもあまり買わないミイナは勝手に気にして肩身を狭くしていた。
自分も『遥かなる運命の愛』大好きだったけれど、もしスカウターがあったなら、多分あの人たちフ○ーザ様だ。自分は第一村人のおじさんとかかも。
ご飯を食べた二人は、そのまま中庭に設置されている噴水の石の囲みに座った。ぐーちゃんはこういうとき、いつも一人分開けて座る。多分ツノを考慮しているのだ。
「ミイナはいつも何かに悩んでいるよね?」
さすがに気づかれていたか。第3の目ついてるし、見透かすよねそりゃあね。
気まずくなって視線を水面に投げると、ふと映ったミイナの顔は、庶民的な何かが染み付いているように見える。ああ、ヒロインの輝かしいばかりの美貌がくすんでしまってる。
懺悔するように言葉が出た。
「これからどうすればいいのか、ずっとわからないの」
「学生の間ってそういうのを探す時間じゃないの?」
「うーん、でもシナリオがあったはずなんだよ。その通りに進むはずだったのに、気づいた時にはすでに全部めちゃくちゃになっちゃってて……」
どうせぐーちゃんには理解できないだろうから、隠す必要はないかも。ミイナはずっと抱え込んでいたもやもやを吐き出すことにした。
「戻すことは無理そうだし、そもそもガチ勢に勝ち目なんかないし、勝ちたいって思ってるわけでもないの」
「ガチ勢って?」
「あるものについて、すごく好きですごく詳しい人みたいな感じかな」
「よくわからないけど、ミイナはその、シナリオ? 通りになりたかったの?」
「……」
ミイナは悩んだ。
メインシナリオを思い返してみる。入学初日で王子とちょっとした諍いを起こし、クラスメートどころか学園中から白い目で見られる。
初夏祭では魔物が出ないはずの山の中で迷子になって、凶悪なレッドウルフに襲われるのだ。追い詰められて絶対絶命のピンチで天才魔導士のアレンに救われるけど、その時の傷で数日高熱と痛みにうなされる。
それからも大小様々な苦難と、打ち水程度のトキメキが…。個別ルートだってなかなかに不穏な単語が連なるのだ。
ミイナは一瞬で答えが出た。
「荷が重いどう考えても」
やっぱり無理だ。自分のような若輩者に背負える荷じゃなさすぎる。積載量オーバーだ。
「じゃあこのままでいいんじゃない?」
「うーん、そうだね。ぐーちゃんと友達になれたわけだし」
「友達かあ」
「一番の友達だよ」
そうだ、シナリオなんて無くていいじゃないか。そうじゃなきゃぐーちゃんにも出会えなかったし。
うじうじ悩んでいたけれど、吹っ切って考えよう。ここはゲームの世界と同じ設定だったとしても、ゲームそのままではない。全員生きている。ゲームには登場しない彼女のおかげでするりとそのことが入ってきたと。
「この世界に地に足をついて生きるということ……。ヒロインからただの私へ生まれ変わる……」
「詩的だね」
ぐーちゃんは満面の笑みでミイナを見つめた。ミイナは一番の友達に笑い返した。ちゃんと現実としてこの世界を受け止める。そう吹っ切ってみると解像度が一気に上がった気がする。
なんか、ぐーちゃん長い髪の毛に印象引っ張られてたけど、しっかり見ると凛々しい顔してるなあ。
「gskufebenkzkx殿下! gskufebenkzkx殿下!」
向こうから異国風の服を着た男の人が走って来た。
頭にぐーちゃんとよく似たツノが生えている。ぐーちゃんのツノの方が大きいけど。男の人はぐーちゃんの前に跪き、必死に訴えかけていた。
「いい加減国におかえりください! 竜王陛下がお怒りです!」
「父上は怒ってるぐらいが元気でいいよ」
「そんなことおっしゃらないで!」
ミイナは一気にまずそうな雰囲気を察した。状況を理解できないながらも、ぐーちゃんからなんとなく距離を取る。
「! ミイナどこ行くの?」
ぐーちゃんは早速引き留めようとした。
「……なんか、ぐーちゃんって…………声低いね」
「えっ今更!?」
「もしかしてぐーちゃんって男の子……」
「待って気づいてなかったの!? 結構がっしりしてるつもりだったんだけど」
ミイナよりもぐーちゃんの方がびっくりした表情をしている。跪いている男の人はドン引きしていた。
「いろんな子がいるし、スカート履いてたから……」
「竜族は尻尾が太くて、この学園の制服のズボン履けないんだよ」
ぐーちゃんのロングスカートの内側が蠢いた。ミイナは目を丸くした。
男の人も大きな布を巻いたようなゆったりとした服を着ている。そして尻尾の片鱗がちらりと見えた。で、でかくて重そう。
「ほら見て、上着は男物を着てる」
「……確かによく見れば。……あの、竜族って?」
「私たちのことだね。魔族の国の向こうにある竜の国に住んでるんだ」
「知らそん」
(ゲームにそんなの存在してなかったよ!)
ゲームをプレイしている最中も竜の国なんて単語一つ見かけたことはない。いや、マップでは魔族の国の向こうをぼかしていたからないこともなかったのかもしれない。
「魔族と人間の国が国交を結んだでしょう? 竜の国もいけるかなって思って来てみたんだ」
ぐーちゃんはめちゃくちゃフットワーク軽そうな感じに言った。まごうことなき陽キャだ。世界の見え方がミイナとは違う。
「そ、そうなんだ…頑張ってね……遠くで」
さきほどぐーちゃんが殿下と呼ばれていたことはスルーしていきたい。ミイナは意図して触れないようにした。
「なんでいきなり他人事になったの!? 一緒に毎日お昼食べてるのに! ずっと一緒にいてよ!」
ぐーちゃんは逃げようとするミイナの手をぎゅっと握った。今までそういうものかと思って見過ごしてたけど、手、でかいな。
「そういうのはガチ勢に頼んだ方が……」
言いかけてはっと気づく。
(いや、転生者にぐーちゃんガチ勢なんかいない! だってゲームに出て来ていないから)
「さっきミイナは一番の友達って言ってくれたよ。一番ってことはガチ勢? になるよね」
ぐーちゃんは真剣ながらもきらきらした眼差しでミイナを見つめた。
「いやいやいやいやいや……」
たしかにそうとも言えるけどそうとも言えないとも言えるはず。だってぐーちゃんとは一緒にいたけど、竜の国の王子さまなんて初耳だし知らないし全然わかんないし。
ミイナは今まで先輩転生者の苦労を偲びまくっていた。だからこそわかる。自分みたいな凡人なんかじゃ、
「に、荷が重いって無理無理無理!!」
8/11 修正