Good ol'
午後4時38分。
代垂水峠からの帰宅途中。
八王子バイパスを過ぎたあたりから、異様な湿気が身体に纏わりついてくる。どうやら市街地は、夕立があったらしい。
「純の家はまだ?」
「あと、30分位かな」
「ぶぅぅ!」
ぶぅたれる。という言葉があるが、リアルに『ぶぅ』と聞いたのは初めてだ。
先ほど、俺と契約を交わしたシルヴィーは、ノートン君の後部座席にいる。今日から赤城家で一緒に暮らすことになるわけだが、まずは母さんに事の経緯を話さなければ…。
父さんは喜ぶだろうけど。母さんは何て言うかな?
そして俺たちは夕方五時を少し過ぎた頃に、ガレージに到着する事ができた。
昼間の時とは違い、誰もいないガレージは閑散としている。俺はノートン君をガレージに置き、自宅へと向かう。
商店街を歩く俺とシルヴィ。シルヴィーは俺と手をつなぎながら、キョロキョロと周りを見渡している。ヴィレヴァンの前では、俺の手を引き、『何これ?』と聞いてくる。まるで目に映る物、全てが初めて見るかのようだ。
「ねえ純。これは何?」
ドラッグストアの入り口付近に置かれたスプレーを見て、俺に質問をして来るシルヴィ。
「これはデオドラントスプレーだよ。」
「Deodorantspray? 何? 何に使うの?」
「発音いいなおい!!」
「ん? 何が?」
「いや、何でもない…。まあ簡単に言うと、体臭を誤魔化す物」
「ああ、そっか! 人の子は臭いもんね!」
「え? 臭いの?」
「うん。純は少しだけど臭い…」
直球!!
「俺、臭いのか…」
「落ち込まないでって。少ししか臭くないってば」
うなだれる俺に、シルヴィーは笑顔で言う。でもフォローになっていないからね!
商店街を抜け、自宅マンションに近づくと、公園が見えてきた。
公園の中に植えられた樹木を見て、シルヴィーが言う。
「純は色々な女と、ここを歩いているの?」
「はぁ? 何それ?」
「ここの植物たちが言っているよ? 新しい女だ。って」
植物と話ができるのかよ!?
「もしかして、万里さんと香織さんのことかな?」
「誰それ? 女?」
「うん、2人ともお隣さんだよ」
「ふーん」
(どうしたシルヴィー? ヤキモチか?)
「違うもん…」
やっぱりシルヴィーにも守護霊様の声が聞こえているんだ。
マンションのエントランスに入り、エレベーターホールで待機をしていると、非常にバッドなタイミングで、浴衣を着た万里さんがエレベーターから降りてきた。
どうやら今から納涼祭に向かうようだ。
俺とシルヴィーを交互に見る万理さん…。そして何かを悟ったように、笑顔で言う。
「そうねぇ。私も一緒に話を聞きましょうかしら?」
そう言って、自分が降りたエレベータに俺を押し込む。
何で万里さんまで…。
7階に到着。
俺の足取りは重い…。
すると、シルヴィーは心配そうに俺に聞く。
「どうしたのジュ…。主?」
おいおい、何でその呼び方?
「あっ、主!?」
万里さんが大声で聞き返した。
「いや、違くて! てか、シルヴィー! その呼び方はやめろ!」
「はーい」
悪びれた素振りもなく、外を眺めながら俺に言うシルヴィー。
そして、自宅の玄関を開ける。すると、なぜか母さんが玄関にいた。
「ああ。やっぱ帰ってきたんだ。何だか外が騒がしかったからね…。 てか誰!? その娘は!?」
まあ、こうなるよな…。
「とりあえず、2人ともあがって。」
リビングに入り、ソファーに座る万里さんとシルヴィー。
麦茶を用意し、2人の対面に座る母さん。
リビングテーブルの前で、なぜか正座する俺…。
「で? そのお嬢ちゃんは誰なの?」
「えっと…」
説明をしたいのだが、なんて言えば良いのかわからない…。
「ねぇ純君? こんな幼気な少女を連れまわしたらダメだよ…」
「はぁ!? 違うって! 全然、幼気なんかじゃないって!」
スパーンッ!!
今のスパーン!! は母さんが俺の頭をスリッパで叩いた音である。
「何すっとね!」
俺が母さんを怒鳴ると、母さんの目からは涙がこぼれ落ちている。
「純君…」
あっれー?
万里さんまで泣いているんじゃけど?
あっれー?
もしかして、俺が誘拐してきたとか思っちゃっている的な?
「えーっと、2人とも? わかりやすく説明をするので、良く見ていてくださいね」
ハンドタオルで涙を拭う、母さんと万理さん。そして、俺の事を凝視する。
「いや。見るのは俺じゃなく、シルヴィーを見て」
今度はシルヴィーを凝視する2人。
「はぁ…。可愛い娘ね…」
母さんが、ため息を漏らすように言う。
「それじゃシルヴィー、消えてみて」
「はーい」
シルヴィーは能天気な声で返事をし、その場でパッと消えた。
「えっ!?」
まあ、驚きますよね普通は…。
でも、これだけじゃ信じてもらえないだろうから。
「ありがとシルヴィー。姿を見せてもらえる?」
「はーい。次は何をする?」
「シルヴィーは、風と水の加護を授けているんでしょ?」
「うん」
「それじゃ、ちょっと待ってて」
「はーい」
俺はキッチンに行き。シリアルボウルに水を入れ、それをテーブルに置いた。
「それじゃシルヴィー。この水を氷にしてから、その氷を薄くスライスしてもらってもいいかい?」
「はーい」
シリアルボウルに入った水は、30センチほど浮かび上がる。
そしてフワフワと浮かぶ水は、ピキピキと音を立て、凍り始めた。
その間に俺は、冷蔵庫からコンデンスミルクとイチゴのシロップを用意する。
俺がテーブルに戻ると、宙に浮いた氷が、シュン!シュン! と音をたてながら、かき氷となり、シリアルボウルに氷の山を作って行った。
母さんと万里さんは、呆然とその光景を見ている。
「できたよ。これでいい?」
「ありがとう、シルヴィー。上手だね」
「うん!」
シルヴィーは褒められた事が嬉しかったのか、俺の背中に抱きついてきた。
何だかなぁ…。
ほんの数時間前までは、俺のことを殺す勢いだったのに…。
とりあえず、氷イチゴを完成させ、母さんと万里さんに渡す。
「それじゃ、食べながら聞いて」
俺は2人にシルヴィーについて、話を始めた。
代垂水峠で起きていた事。もちろん、万里さんに憑いていた、浮かばれない霊の事も。
土地神様と守護霊様の事。
精霊の事。それはシルヴィーが群れを成さない精霊である事と、シルヴィーの年齢が84歳だという事だ。
シルヴィーの年齢を聞いた母さんには『あんたアホか?』と言われた…。
そして、俺とシルヴィーが、名付けの契約を交わした事と、それに伴い共に暮らすこと。
「あらぁ。それじゃ、これからは一緒に暮らすのね! シルヴィーちゃんは何が好きなの? カレー? シチュー?」
母さんが嬉しそうに、シルヴィーに質問をしている。
「あの。母さん、精霊は人間と違って、飲んだり食べたりはしないんだよ」
「そんな…」
肩を落とし、落胆の表情をする母さん。
「残念? ねえ残念、人の子? てか、私はあなたを何て呼べばいい?」
シルヴィーの質問に、目を輝かせる母さん。
「お母さん。って呼んでもらえる?」
「はーい。お母さん」
「ヒョー! シルヴィーちゃん、カワユスか!」
テンションがアゲアゲ状態の母さん。
母さんを他所に、万里さんが話の内容を変えてきた。
「はい! オッケーわかった! それじゃ純君は私と納涼祭に行こ。早く用意して!」
「え!? 俺も行くの?」
「行くの!」
万里さん、何で怒っているんだ?
「じゃあ母さん、納涼祭に行ってくるから、夕飯はいらないよ」
「はいはい、行っといで」
シルヴィーの頭を撫でながら、俺に対し、素っ気なく言う母さん。
「万里さん、俺はこのまま出かけらるから行こうか」
「うん…。てか、純君。私、浴衣を着ているんだけど…」
窓から外を眺めながら言う万里さん。
(こう言う時は、『可愛い柄だね、万里さんに似合っているよ。』って言うんだぜーい)
守護霊様が俺に助言をしてくれた。
(あっ、そうか!)
「ごめん万里さん。さっきは突然だったから言い忘れていた。その浴衣の柄、色と合っていて可愛いね。万里さんに似合っているよ。俺と一緒に歩いてもらっても良いかな?」
「うん。純君と一緒に行くために着たんだけど…」
「ひゃー! ちょっと! 私とシルヴィーちゃんの前で、やめて!」
母さんが楽しそうにしている…。
「純! 似合う?」
いつの間にか浴衣を着ているシルヴィー。どういう事だ?
(魔法だな)
(スゲーな精霊! 何でもありじゃねーか!)
「すごいねシルヴィー」
「違う柄の方が良い? えい!」
掛け声と同時に色と柄が変わり、万里さんと同じ柄の浴衣となった。
「ちょっとシルヴィー! 私とカブってる!」
「だって純はこれが良いんでしょ?」
「ダメ! てか、何でアンタも来るのよ!」
「ねぇ純、それじゃこの柄は?」
「ちょっと! 無視するな!」
何これ…。
「ねえ母さん。皆にシルヴィーの事をなんて言えば良いかな?」
「はぁ? そんなの爺ちゃんの孫でいいよ。ハーフって言えばいいでしょ? はい、シルヴィーちゃんにお小遣いね。」
そう言って母さんは、浴衣用の巾着にお財布を入れて、シルヴィに渡した。
「ありがとう。お母さん」
そう言って、母さんに抱きつくシルヴィー。
(ねえ守護霊様? これもチェイストなのかな? 微妙にシルヴィーの笑顔が眩しいんだけど…)
(正解)
素でチェイストの発動って…。こりゃ精霊って美人に見えるはずだわ…。
* * *
学校に到着。
駅のホームにいながら聞こえていた、御囃子の音は校庭中に響き渡っている。確かにビッグイベントである。
正門にいる実行委員の人たち。俺たちは準備の担当だったので、納涼祭が始まったらお役御免である。
そして実行委員の中に、武田先生(兄)の姿が見える。
即座に俺を発見する、武田先生(兄)。
そして足早に、こちらへと向かって来る。
「ねぇ純。アイツ何者? 殺っとく?」
シルヴィーは武田先生(兄)に対し、嫌悪感丸出しの表情で、剣を取り出した。
「シルヴィー、剣を出すな!」
「はーい」
そして武田先生(兄)は俺の目の前まで来ると、目を見開らいて言う。
「何しに来たのかな? 赤城君」
早速かよ!
「あの、親戚の子が九州から来たので、遊びに来ました。ダメでしょうか?」
武田先生(兄)は、親戚の子と言われたシルヴィーを見る。
(シルヴィー。『純とお祭りダメ?』と言え)
ナイスです! でも守護霊様、お主も悪よのぉ。
「ねえオジサン。純とお祭りダメェ? ねぇ…」
淡い光を放ち、武田先生(兄)におねだりするシルヴィー。
武田先生(兄)は、シルヴィーに言われ、デレ顔となる。
キモ…。
「どうぞぉ。お兄ちゃんと楽しんで来てねぇ」
気持ち悪い笑顔で言う、武田先生(兄)。
おお! チェイストスゲーな!
そんな訳で、無事に場内に入れた俺たち3人。
出店に興味津々なシルヴィーと、ご満悦な表情をする万理さん。
校庭の中央では櫓が立ち、和太鼓の音が響き渡る。
そんな中、守護霊様が俺に言う。
(純、見られているぞ。)
(見られている? って誰が? 万里さん? シルヴィー?)
(純だ。)
(俺? 何で?)
(実は土地神に頼まれたことは、もう一つある。)
守護霊様が言う視線の主。
守護霊様に言われてから気がついた。
確かに見られている。いや、観察されているという言い方が正しいかもしれない。
まるで俺の一挙手、一投足を観察しているようだ。
だが、その視線はどこから来るものかはわからない…。
シルヴィーは気付いていないようだ。
嫌な予感がする…。
土地神様のもう一つの依頼とは何なんだ?
そんな時、誰もいない屋上に人影があった。
その人影は、1人の少年を見ている。
「すごいね赤城君。御子と精霊 持ちか。ワクワクするな…。」
不敵な笑みを浮かべながら言う人影。